057
途中で、どうしてもお腹がすいて、ほったらかしにしていた入院食を食べた。
無味乾燥な、温みのない食事を機械的に口に運びながら、心の中でそっと笑ってみる。
こんなときでも、お腹は空いてしまう。さして、
生きようと思ってもいないのに。
ふと、雫もこの食事を食べていたのか、と思い至った。そりゃまあ、出産後の健康な女性と、心臓を壊した痩せぎすの男性ではメニューも違うだろうが――――これを、か。
「帰って」きて、嬉しそうに、二人で背中を並べて作った料理をほおばっていた彼女が思い出される。
――――――だからだろうなあ、あなたのあったかい味の料理、恋しくなっちゃって。
その、だから、の理由を、今更知っている。
馬鹿らしくなった。
何度自分に失望したら気が済むのだろう。
考え出した途端、ずっと心の中に押しとどめていた彼女の事があふれてきて、顔を覆った。今度こそ、泣けると思った。
涙は流れなかった。
また失望する。
僕の様子に気がついたのか、備え付けのベビーベッドから紫苑が身体を起こすのが見えた。しきりに身じろぐ紫苑が不安そうに声を出すので、思わず立ち上がって抱きあげる。
胸も締め付けられる。
しばらくすると、紫苑は落ち着いて僕の胸に顔を埋めて寝息を立て始めた。
ごめんね、と呟いた。
ほら、僕はこんなまんまだ。
描いていた。
またまぶたの裏で彼女の欠片を思い起こしながら、ひたすら。
意味のないことくらい、そんなことくらい。
分かったいたつもりでいた。
もし今、僕が描いている彼女のなくなった半分が出来上がったとして――――――彼女の、あの表情までもが帰ってくるわけじゃない。
分かった上で、取り戻そうとしていた。
彼女の顔を。
彼女の、せめてものイキタアカシを―――――僕は取り戻そうとしている。
§ § §
きっかけは、僕の病床を訪れた、あの警察官からの言葉だった。
「現在は奥さん、司法解剖を受けていただいていますが―――――お帰りになられたとき、如何しますか?」
「如何、って」
まさか生き返るわけでもないだろう。
半ば投げやりに答えた僕に、それでも警察官の方はめげずに言い続けてくれた。
「いろいろやり方はあるんです。やり方、と言うよりも……なんて言うんでしょう、これからお葬式の準備の方も進めていかなければなりませんし。
御影さんが動けない今、出来ることはなるべくやっておかないと」
そして、少しだけ言葉に詰まる。
舌で唇を湿らせるしぐさをした後、彼は言いにくいことを言いだすようにそっと口を開いた。
「実はこういう事故の場合―――……大きく身体の一部が損傷している場合、ご遺体に無くなった部分の形を整えるための詰め物をさせていただくんです」
何が言いたい?
眉をひそめる僕に、更に言いにくそうに彼は言った。
「いえ―――、……あの、でも今回は顔、なので、やっぱりそれは難しくて……仮面を、かぶせるくらいしかこちらではできないんですよ、だから」
もし、もし。できたらでいいんです――――
「奥さんの顔、描いてみませんか?」
そして今、僕は、僕の膝の上には小さな半分の、描きかけの顔が乗っている。
もう、これで終わりにしようと思った。
これで終わり。
だって、君がいない世界を描いたところで、と思ったのだ。
幸い今まで稼いだお金で、僕と紫苑が生きていけるだけの蓄えは備えていた。
これ以上描いてどうしよう。
意味も、ないから。
これで終わりにしようと思って、僕はひたすら筆をとる。




