052
細切れの、夢をいくつも見たような気がする。
細いせなか。僕だと思ったら、父さんでびっくりした。振り返った父さんが何か言うのに、それがどうしてもわからない。
目の下におっきなクマをこさえた父さんは、やっぱり僕に似ていた。
少し悲しくなった。
父さんは案外若かったんだ。そう言えば、棺桶の中にみた最期の顔も、僕に似てたような気がするなぁ………。
父さんが、何か言う。
何を言っているんだろう?
『慧』
『大きくなったなあ』
僕には、その声が届かない。
§ § §
目を開くと、やけに白い天井が視界いっぱいに広がった。
息が上手くできない。
出来ない上に、吸う息がやけに生温かいななんて思ったら、顔にがっちりと酸素マスクがっくついていた。ただ、混乱する。何があった。
「………ぁ、………あ」
そうだ、紫苑は?
紫苑は。
どたばたとあわただしい音がした。―――――と思ったら、けたたましい音を立てて引き戸が開く音がした。目だけをそちらに動かすと、人影が迫ってきているのがぼんやり見えて―――――
鈍い衝撃。
また、混乱させられる。
僕に精一杯の頭突きをしてきた女性はゆきこ先生だった。
え…………ぇ?
低い声でゆきこ先生がうなる。………泣いている…?
ベットに張り付けにされたままの顔を必死に動かしてみようとするが、なかなか見ることができない。僕の首のあたりに埋められたその顔は、かすかに小さく震えていた。
途端に、記憶がじんわりと戻ってきた。
あぁ、そうか。
僕は倒れたんだっけ。
ところどころにやはり曖昧なところはあるけれど、そう理解にずれてはいないだろう。
そう考えて、混乱した頭のまま僕は“現状”を考えの中に取り入れる。
彼女のいない世界を。
馬鹿馬鹿しいくらい冷静なのが、自分でも可笑しいくらいだった。
普通、こういうときは乱れて、暴れて、泣いたりするのが正常の、生情な感情を持つ人間のすることだろう。それが、どうだ。
僕はあまりに、慣れすぎてしまった。
また、奪われてしまった。
そのくらいにしか思っていない自分がいるような気がして―――――いや実際いるのだろう――――空恐ろしい。
ゆきこ先生の女性らしからぬ、荒れた手が僕の手首をつかんだ。
やはり震えている。あぁ、よかった、この人は正常な人間だ―――――
的外れなことを、考えていた。
「………しお、んは」
僕のかすれた声に、先生はぴくり、と肩を動かした。しばらくもぞもぞとうごいていたかと思えば、いくつか深呼吸をして。
がばりと、顔を上げた。
その真っ赤にはれた目元と頬とは対照的に、表情は凜としたものだった。
思わず、
見蕩れる。
「…………紫苑くんは、ナースステーションで、看護婦さんと遊んでいます。もっとも、紫苑くん、寝てましたから遊ぶも何もないですけど――――――心配は、しないでください」
かたい声で、ゆきこ先生は言った。
それで、この状況は?
僕の目線に、先生はそのまま硬い声で告げる。
「あなたは狭心症を発症しています――――――あああああぁぁぁぁあああああああっ、」
「馬っっっっっっっっ鹿っじゃ、ないですかあ!!?」
びくん、と条件反射で、意思とは関係なく肩が飛び跳ねる。身体が強張る。
いきなり発された、大音量の罵倒に、意識がついていかない。
ゆきこ先生は全身で叫んだあと、しばらく僕を睨みつけながら肩で息をしていた。おこっている。美人はおこると怖いなんていうけど、それを僕は生身で感じていた。
怖い。
息を軽く整えると、先生はもう一度大きく息を吸って弾丸のように喋り出した。
「意味分かんないですよ大体この状態になるまでどうして病院に来てくれないんですかまさか気がつかなかったなんてことあるわけないでしょ馬っ鹿じゃないんですかっ、胸の痛みは、息切れは!? ずっと前から感じていたはずです来ようと思えばもっと早く来れたはずどうして!!!!!
大体どうして独りで抱え込むんですかあなたも雫さんも!! 独りじゃ生きていけないなんて口だけじゃないですかなんで頼ってくれないんですか、私はいつでもここにいるのにあなたたちを救える知恵も力も持っているのに!!!!!!」
「それをあなあたたちのために使うためにずっとあたためているのにっっ!!」
「あなたたちなんて嫌いですなんで死ぬんですかどうして守るべきものがいるのに勝手に独りで抱え込んでいるんですか馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!!! 地獄にでも堕ちればいいんですよざまあみろ! 私はもう知りませんっ、あなただってそのまま死んじゃえばよかったんですよ満足ですか雫さんのところに行けてよかったですねぇ!? 紫苑くんのことだって放りだして諦めようとした癖に今更父親ぶって一人前に心配なんてするんじゃねぇですよ大っ嫌いですあなたなんかあなたたちなんか!!!!!!!!!!」
「…………もう、…………もう嫌いですっっっっ!!!!!!!!!」




