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それはやっぱり、君でした。  作者: せみまる
第十一話 イキ
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 必死に走った。


 幸い、彼女が運び込まれた病院は家から全然徒歩でいける場所にあったから、無我夢中でともかく走った。

 走るたびに、胸の痛みは増した。


 そんなのはどうでもよかった。


 ただ、全力で自己主張する心臓を押さえつける。走る。



 どうやって彼女の病室にたどり着いたなんて、覚えちゃいない。

 病室の白い引き戸を汗だくで開けると、部屋の中にいる人全員がはじかれたように開かれたドア―――――つまり僕の方を振り返った。

 その中には、見覚えのある顔もあった。


 ゆきこ先生が、泣きはらした顔で僕を見上げている。


 どうして?

 どうしてゆきこ先生は、そんな表情(かお)をしているんですか――――――?


「御、影っ、さん………っ」


 ゆきこ先生がそっと示した先を見た。―――――表情が、はがれおちる感覚。

 それまで五月蠅いくらいに騒いでいら動悸が音も無く静まった。血の気が引くってこういうことなんだな、とわずかに残った冷静な部分が肩をすくめた。


 冷静じゃない部分が、勝手に僕の足を進める。


 ゆきこ先生が、僕の手を精一杯の力で引いた。引きとめようとしてくれている。

 ―――――何を、止めようと言うのだろう?



 僕は一体、何をしようとしていると言うのだろう?



 僕はゆきこ先生の手を振り払って、彼女(・・)に近付いて行った。なんだか夢の中にいるようで、現実味がなかった。


 ……………あ、やっぱり、僕の手は冷静じゃないみたいだ。


 僕の手は、彼女にそっと掛けられた、白い布を引きはがしにかかっていた。



 何が待っているかくらい、冷静な部分はちゃんと分かっていたろうに。


 ――――――――――――白い布の下には目を閉じた美しいオキモノのような雫の顔があった―――――――――――



 ただ。



 彼女の顔は、半分が、なくなっていた。



 その光景を、僕の目が映した瞬間だった。

 思い出したように胸が疼きだす。あ、やばいかなと思った瞬間にはもう心臓がわしづかみにされたような圧迫感が僕を襲っていて。

 小さく喘ぎ、膝から崩れ落ちた。

 遠くで、僕の事を呼ぶ声が聞こえた。


『慧くん、世界で一番、愛してます』



 あ、息、できな



 いな、ぁ―――――――……………




 井戸に、桶が滑り落ちていくように、またはジェットコースターが急角度の降下を始めたように、視界が黒で塗りつぶされていく。


 息ができない苦しさよりも、見えなくなっていく恐怖の方が勝った。


 何も見えなくなったら、何を描いて。

 世界の何を愛せばいいのだろう?

 描きたい色は、音はもう半分に減っちゃって(・・・・・・・・・) ――――多分もう、二度と笑いかけてはくれない。甘えては、くれない。


 そんな世界でどうやって。


 生きていけばいいだろう。

 息をすればいいだろう。


 どの面下げて、紫苑に“世界は美しい”なんて言ってあげられるだろう。



 もう、ほとんどが闇に染まってしまった。

 僕の身体はしゃがみこんだだけでは飽き足らず、床にその全体重を投げ出した。身体が鈍い音を立てて転がったのを、ぼんやりと僕は感じていた。

 紫苑をかばうだけの余裕はあった。


 突然冷たい床に押さえつけられた、紫苑の小さな悲鳴に、よかった、つぶれてない―――――と、ばかばかしいほど現実的な事を頭の片隅で思った。


 そして、思考も止まる前に一瞬、現実に引き戻された。



 そりゃそうか。

 息ができなきゃ、こうやって死んでるや。



 そして、僕の意識は完全にもぎ取られる。

 紫苑、こんなお父さんでごめん。


 最期に小さく、口の中で呟くのが精一杯だった。



 ねえ、紫苑。


 大好き、だったよ。




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