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それはやっぱり、君でした。  作者: せみまる
第八話 運命の曲がり角
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037


 その劇長さん―――――佐々田さんと名乗った―――――は、僕の声音から察したんだろう。僕が案外乗り気なことが分かると、堰を切ったように話し始めた。


 彼女の代役として立てていた女の人が、急病で倒れてしまったこと。

 何でもない病気だが、九月の舞台には立てそうもないこと。


 そして、急に声を潜めると、こうも言った。


 実は彼女、音が取れないのか、微妙に“ずれて”いるんですよね――――奥さんと比べると、どうも、というところがあって。



 それでも、その代役の女性を立てて、上演するつもりだったと彼は言う。


「奥さんを――――私たちは、大変買っているんです」

 彼は僕に縋りつくように言って、電話口で頭を下げているんだろうなあ、という声音で「お願いいたしますッッ!!」


「どうか、どうか奥様を説得して頂けませんでしょうか!!!」



 § § §



 彼女が、疲れ切ったように息を吐いた。


 ぐ、と肩をすくめて、僕の腰に額をこすりつける。

「………大丈夫?」

 ささやき声で問うと、彼女はかすかに首を振った。「………大丈夫」



 紫苑を何とか泣きやませて、落ち着くと、僕は真っ先に彼女の身体を抱きしめた。

 彼女はしばらく放心したように、うつろな目で僕の背中の向こう側を見つめていたが、不意に自分を抱きしめているものが何なのかを思い出し、僕の背中に手を回してくれた。


「……まだ、耳の中がんがんする」

「………ん」



 …………相当、つらかったのだろう。


 抱きしめても、その細い身体は自力では上手く動かせないようで、結局僕が抱き抱えてリビングの真ん中まで運んだ。あたたかい床に投げ出すようにして自分の身体を横たえると、彼女は億劫そうに目を閉じた。


 その身体に、薄い毛布をかけた。

 彼女は、僕のその優しさにも返せず、ただ薄く、目を見開きしただけだった。



 ゆっくりとその、柔らかな髪をすく。少しだけ元気を取り戻した彼女は力なく笑って、「ありがとう」と、かすれ声で微笑った。


「僕の、思いを、言ってもいいかな」


 彼女はゆっくりとうなずく。

 こちらは見ないままだったが、気にせずに、僕は続ける。


「………君に、歌ってほしい。僕、は」



「君の歌が聞きたい」



 触れたままの、彼女の頭が揺れた。それを見て、ああ―――――と、胸の底に「やっぱり」という思いが広がった。

 彼女は、心の中では()たがってる。


 歌いたがっているんだ。


「………私の歌なら、いつでも聞けるよ―――いつでも、歌ってあげるよ」

「そういうことじゃないって、分かってるでしょ?」

「…………分かんないよ」


 ふてくされたように、彼女は言う。その、かたくなに目をあわせようとしない態度が、彼女の思いを物語っていた。

「き、み」


 背を丸めて、彼女の顔を覗き込む。彼女はそれを避けようとするように肩をすくめた。



「分かってるんでしょ? ――――――自分が、本当は……―――って」



 彼女が、息をのんだ。そして、ゆったりと、その身を起こした。

「……くん」

 僕を見上げたのは、大きな、紫がかった瞳。どこか挑むようにじ、っと僕を見つめるその瞳を、僕は強く見つめ返す。


「どうして?」


 息を吸った。………言えるかな?

 自分の中にいる、気持ちを、全部。


 吸った息を吐き出すように、僕は話しだす。



「………君が、どこまで自分の思いに気がついているかは、分からない。だけど、言わせてもらう―――――君は、本心では歌いたがっている。君が、そういう風に怯えたしぐさをするときは、大体そうだ」


「自分の本心を隠している時だ」



 彼女が顔をゆがませた。苦しそうに食いしばった歯が、薄い唇の隙間から見えた。

「ごめん、僕は君より君が分かるから――――――君は僕より僕が分かるから。……きっと、僕がどうしてこんなことを言ったのかも分かるんだよね、だから……」


「苦しいんだよね」


 ふいに、食いしばっていた歯の隙間からうめき声が漏れた。ぼろぼろと、透明な雫がその瞳から零れていく。

 吐き出すように、彼女が控え目な声で叫んだ。

「……ムリだよ……っ!」


「紫苑ほっぽり出して、私だけ……なんて、無理だもん……っ、私にはっ、やらなきゃいけないこと、いっぱいあるのに……それ全部…くんに押しつけてなんて―――――」

「違う」


 肩をつかむと、彼女は驚いた顔をして僕を見た。涙がたまったままの瞳を見つめながら、僕はもう一度、「それは違う」――――

 そう、言った。


「違う――――紫苑の世話は、必ずしも君がしなくちゃいけないことじゃない。むしろ、自由のきく“僕が”やるべきなんだ。女親とか、男親とか、そんなの関係ない、君は、しょい込みすぎだ」



「もっと楽になっていいんだよ………押しつけて、いいんだよ。お願いだから、頼ってよ」



 ぶんぶんと彼女が首を振った。泣きながら、胸を叩いてくる。

 その身体をつかまえて、もう一度抱きしめた。


 彼女は長い間、僕の腕の中で泣きじゃくっていた。


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