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それはやっぱり、君でした。  作者: せみまる
第七話 初めの“にほめ”
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034


 彼女にしては珍しい食べっぷりで、しばらくするとテーブルの上があらかた片付いた。


「……結構作ったつもりだったんだけど」

「そうかな? でも、二人で食べると案外こんなもんだと思うよ。……くん、少食だしね」

「君こそでしょ」


 ぱ、と目が合って、どちらともなく、吹き出した。肩をすくめて、笑いあう。



「……なんか、何でもないのに楽しいね」

 彼女が笑いすぎて、瞳に涙をためたまま呟いた。

 手を伸ばして、その目じりにたまった涙を、指先でぬぐう。


 また、目が合った。


 そうだ、と、彼女が思い出したように言った。

「あなたに、お願いしたいことがあるの」


「何?」


「紫苑と一緒にお風呂入ってきてくれない?」



 ……………へ?



 § § §



「……くん、入るよー?」


 彼女の声で、目を覚ました。

 胸の下から浸かっている、ぬるい湯の感触と、心地よい水蒸気の感覚。上を向いた姿勢のまま、見上げていた天井は、かすかに濡れている。


 がら、と重い音を立てて、開いたドアから彼女が姿を現した。

 ジーンズもニットも袖をまくって、腕組みをして立っている。


「……くん、のぼせちゃうよ、紫苑」

「ん――――……」

「あら、寝てたの?」

「………ちょっとねー…、今何時? 気がついたら寝てた」


 彼女が苦笑いを表情に張り付けて、浴室の中に入ってきた。

 持っていたタオルの一つを、僕の頭にふわりと載せると、くしゃり、と僕の髪を軽くふいてくれる。


「……まだ三十分しか経ってないよ、時間忘れちゃうくらい熟睡してたの?」


 ………わりと、ね。


 紫苑は?

 そう問われてようやく、胸の上にのせていた、紫苑の存在を思い出した。


 ………なんか、一体化してた…。


「ん、なんか、起きてるみたい」

 そう言うと、彼女は紫苑を覗き込んで、嬉しそうな声を出した。

「ほんとだー、目、ぱちぱちしてるー」


 僕の胸を布団代わりにして、まどろんでいてらしい紫苑は、突然の彼女(ママ)の登場に驚いたらしい。もぞもぞと動くと、僕の胸に柔らかい頬をこすりつける。


「……暑くなっちゃったかな?」

 彼女がもう一つのタオルで紫苑を包み込んで、その身体に浮かぶ汗をぬぐった。突然触れた、何か柔らかいものにもびっくりして、紫苑はくびをふる。



 ほっぺたリンゴみたい。


 彼女が口の中で呟いて、その小さな手のひらでも収まりきってしまうほど小さくて、柔らかい紫苑の頬をつついた。目を細めている。


 僕も、ずり下がってきた紫苑の身体を引っ張り上げて、その表情を覗き込んだ。


 …………ほんとにかわいいなあ。



 紫苑は、軟体生物は抜けても、肌は本当にすべすべで、同じ人間に思えなかった。


それに、柔らかい。


 肌を直接触れ合わせていると、それがよくわかる。

 ぷにぷにというか、ふわふわというか………。抱きしめているとだけで幸せになれるような、そんな抱き心地だ。



 満足げに紫苑を抱きしめる僕を、彼女は湯船のへりに両腕を乗せて見ていた。

「………なんかいいなあ」


「ん? 何が?」


 だってさ、と、彼女はうそぶく。

 口をとがらせて、どこか嬉しそうに。


「あなたが私との赤ちゃんだっこして、いっぱい愛してくれて。そんなの、どこかで夢見てたんだろうなあ……」



「あの日、“嫌いにならないで”なんて、私は言ったけど」



「多分心の中では、喜んでたんだろうな、って思うよ。不安で仕方なかったけれど……だけど、それがちゃんとこうやって、今の日々につながってる。それも嬉しかったりするんだ」


「…………そっか」

 ちゃぷん、と、お湯が波紋を立てて、僕の腕を解放した。


 そのまま、彼女の頬に、触れる。


「……くん、濡れちゃうって」

「いいじゃん、このくらい」

「まあ、いいんだけどさ」


 目を軽くつむった彼女が、ふふふ、と本当にうれしそうに笑った。



「ありがとうね、……くん。大好き」


 僕は、その不意打ちに少しだけ目を丸くして―――――



 こちらこそ、と目じりを下げた。



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