表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それはやっぱり、君でした。  作者: せみまる
第六話 「君」との出逢い
30/70

027


 どのくらいの時間が、たったのだろう。


 描いては消し、描いては消し、スケッチブックの一ページがボロボロになってすり切り始めたころ。


 朝焼けの中で、「その声」は、唐突に聞こえた。

 か細い、今にも消え入りそうな声―――――だけど、この両耳でしっかりと、聞いた。



 それは、僕の宝物が。


 生まれて初めて息を吸った音だった。



 §§§


 そして今、僕の膝をついた目線の先には、その宝物が眠っている。


 やっぱり体重が足りなくて、保育器に入らなければならなかったから、まだ、その小さな身体に触れることはできない。

 ―――――生きて出てきてくれて、よかった―――――

 ゆきこ先生はそう形容したけれど、僕だって同じ気持ちだ。


 実際、途中は相当やばかったらしい。

 彼女の体力が持たなくて、もう少し時間がかかれば彼女が危なかったかもしれないし、紫苑がなかなか産声を上げてくれないものだから、先生たちも必死だったそうだ。


 本当に、よかったとしか言いようがない。


 危なげな橋わたりでも。

 いくら小さくても。


 生まれてきてくれてありがとう。


「………ちっちゃいね」

 彼女のささやき声で我に返った。間抜けな顔で横を見ると、汗だくの顔で彼女は僕に微笑みかけた。

「ごめんね、びっくりしたでしょう」

「…………すごく」

「私だってびっくりしたよ、ほんとに痛かった」

 手を彼女の頭にのせる。彼女の体温―――――いつもより少しだけ、高い。


「ありがとう」


 彼女は本当にうれしそうに笑った。


「うん」


 そこまでで―――耐えられなくなった。ベットに縛り付けられたままの彼女の首にしがみつく。彼女をたしかめるように、頬をぐりぐりと押しつける。

 嗚咽は、押さえられなかった。

 彼女は僕の背中に腕を回して、ゆっくりとさすってくれた。涙は一向に止まってくれそうになかった。


 あーぁ………


 いつから僕はこんなに弱虫になっちゃったかな。独りでいたときはもっと、こんなにもろくなかったはずなのに。


 でも、そんな僕でも悪くない。


 人間として、生きる僕を、僕は嫌いじゃない、

 そう思ってる。



 泣きやむころには、彼女の服はぐずぐずになってしまっていた。ゆきこ先生が途中で来て、僕の様子を見て苦笑していた。彼女の首筋に唇をつけたまま顔を上げられなかった僕は耳だけ傾けて、先生の説明を聞いていた。


 ―――――紫苑くんですが。

 ―――――まだ身体が成長しきっていなくて、呼吸が今、すこし億劫な状態です。ですから保育器に入って頂いていますが………まあ、紫苑くんの体重なら二、三日で適正体重まで成長するでしょう。安心なさってくださいね。


 そこまで言って、ゆきこ先生は笑った。


 ―――――……さん。私、まだお二人に言っていなかったことがあるんです。


 その言葉を聞いて、また涙腺が緩んだ。いたずらっぽい声音で先生はこう言った―――――




 実は私、あなたがたご夫婦が初めての担当なんですよ。私、本当にうれしんです、紫苑くんに会えて………ふふ、まだ「これから」ですけれど。


 これからも、よろしくお願いしますね。



 § § §



 そして、時計を見たらなんだかんだ言って十時だった。

「そういえば」

 彼女が思い出したように顔を上げ、僕を見上げる。僕は後ろから彼女を抱きしめる姿勢を崩さずに「なに?」と応える。

「お台所どうなった? ガス栓切った?」

 こんなときに。

 と、彼女の生活力に苦笑する。さすがは、とでも言うべきなのかな。

 笑いながら僕は答えた。

「大丈夫。君を見つけて、一番最初にガス栓は切った。あと、救急車が来る前に調理中の料理も冷蔵庫に入れといた………まあ、君は気がつく余裕なかったと思うけど」

「………エアコンのスイッチ」

「切った」

「玄関のカギ」

「閉めたって」

「……じゃあ………」


「大丈夫」


 彼女を拘束する腕を少しだけきつくした。彼女は少しびっくりした顔をして、僕を見上げた。



「大丈夫」



 半分は彼女に向かって。半分は、自分に向けての言葉。

 大丈夫。

 何が大丈夫なのかも、何が心配なのかもわからないまま、言い聞かせるように、呟く。


 思い出したように彼女が呟いた。


「テレビの電源」


「あ」

 忘れてた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ