019
食べ物って、ほんとにすごいらしい。
少しずつ食べられるようになって、彼女は少しずつ回復していった。長い一ヶ月間だったなあ、と思えるのも今、やっと落ち着いてきたからだ。
「……くんの料理、あったかい。あなたの料理、おとうさんのよりも好きかも」
聞けば、お義父さんはイタリアンシェフだったらしい。
「お父さんの料理、濃いんだもん……あんなの、太っちゃうよ」
「君はむしろ太った方がいいと思うんだけど……」
「………それセクハラって言うんだよ?」
「ち、ちがっ……! 僕は単純に君を心配して……!」
「ふふ、わかってるよ。大丈夫、からかってみただけ」
ベッドの上で、彼女は笑って僕の手をもてあそんだ。
あーあ。そんなわざとらしいため息をついて。
「もうやだなー……、あなたって知れば知るほどいい人でさ」
「もう離れらんないよ」
「離れなかったらいいんじゃない?」
僕が言うと、彼女は「え」と目を丸くした。
「君が僕から離れない限り、僕はどこにも行かないよ? ちゃんと、ここにいる」
ぱちぱちとその瞳が瞬かれた。
「………ほんとう?」
「うん、君が離れて行ってしまっても、僕はここにいる」
「ついてきてはくれないんだ」
苦笑する。そんな僕に、彼女はますます目を瞬かせる。
だって。
「僕もどこかにいっちゃったら、君は帰ってこられないでしょう」
あ、そうか。
と、彼女はいやに納得したそうだった。それもそうだね、と歌うように呟き、実際に次の瞬間には歌いだしていた。
「~♪」
ご機嫌そうな横顔を眺めながら、僕は彼女の髪を撫でる。今日も、ちょっとだるい程度で大丈夫そうだ、と自分で言っていたし。
「それ、何の曲?」
「ピアノソナタ。“愛の夢”って言うんだよ」
「ふーん」
いい曲だ。後で音源を聴いてみよう。
「お昼、食べられそう?」
彼女はまた僕を見つめて、うん、と元気にうなずいた。
じゃあさ、と僕はポケットからゴムと櫛を出す。
「よろしくお願いします」
「喜んで」
起き上がるのを背を支え、手伝う。ぱ、と目があって、彼女と僕は小さな声で笑いあう。
広げた腿の間に自分の身体を預けたら、さあ、開始だ。
この前はあんなに嫌だったのに、結構、これはいい。
髪を切ろうかと考えたのも、やめた。こっちの方が楽だし、それに―――――
結んでもらうのも醍醐味、でしょう?
他人に頭を―――――自分の最大の弱点を預ける。これって相手を信用しているから出来ることであって、ものすごく、
安心する。
彼女が僕によく髪を触らせたがるのも分かる気がする。
確かに、気持ちいい。
「お」
なんかいつもと違うな。
不思議な顔をした僕に、彼女は笑ってこう言った。
「少しだけ結ぶ位置、高くしてみたの。ポニーテール出来るくらいの長さになったからね。
………こっちの方が多分、楽だよ」
「おー」
ぶんぶんと首を振ってみた。ぱさぱさと軽い音を立てて髪が揺れる。
………いいな。これ、やっぱ。
振り返って彼女に笑いかけた。彼女は僕の頭に手をぽん、と載せて顔を近づけてきた。
鼻が触れあう。
……君の匂いだ。
「じゃあ、ごはん、作ってくるね? ちょっと、横なってて」
僕がささやくと、彼女は目を細めてうん、と素直にうなずいた。
よし。
「あとちょっとで悪阻も終わってくれると思うから、少しだけ、辛抱、だね」
「だから私は悪阻嫌じゃないって」
「そうだったそうだった」
もう少しで、この子も四カ月だ。
楽しみだねえ。
そんな風に呟くと、彼女もふわりと笑ってうん、と。
いつもと同じように微笑んだ。




