017
「何か食べられそうかな」
彼女は僕に全身を預けたまま、器用に首を傾げた。「いや、ね」
一応もうお昼なんだよ。
そんな風に言うと、彼女は何つくったの? と微笑んだ。
「まだつくってないんだけど、さ」
「口に何か入れられたらずいぶん楽になるかもしれない―――でしょ?」
彼女はぱちぱちと瞬きをする。
その大きな紫がかった瞳に優しく微笑むと、彼女は一層目を丸くした。
「ちょっと待っててね」
彼女の身体をベッドの背に預け、立ち上がった。
「すぐ戻ってくるから」
手を離してくれない彼女に苦笑い。………うん、と胸が痛くなるくらいの弱々しさの返事をして、彼女はやっと手を離してくれる。
あたたかい彼女の手が離れた僕の手に、少しだけの風が触れる。
軽く頭をその手で撫でた僕は、笑って寝室を後にした。
「さてと」
台所に立った僕は腕を組んで考える。………どうしようか。そんな風に独り呟いて、冷蔵庫を開ける。
自分が体調悪かった時、食べたいもの、といえば?
………胡桃餅。
………………
いやいやいやいや。
さすがにそんな重いものは食べさせられないでしょ。
風邪のときはねぎとかニンニクなんだけどなあ…………そこまで考えて気がついた。
「あ、生姜か」
寝室の引き戸を音をたてないようにそっと開いた。
「………きみー……起きてるー…?」
ゆっくりと薄暗がりの中で、彼女が起き上がる気配。ベットのそばに膝をつき、彼女を見上げると、彼女は僕を認めてうっすらと微笑んだ。
「………ごはん?」
「うん、作ってきた」
食べられそう?
彼女ははっきりしない眼光で「がんばる」と呟いた。
「よし」
持ってきたお椀を手繰り寄せる。
「甘い奴が食べやすいって、聞いたから」
「つくってみた」
湯気を立てるマグの中に入った乳白色の液体に、彼女は目を丸くした。
「…………いい匂い」
「でしょ?」
これなら。そう、彼女は呟く。
目を閉じて飲み下すその横顔をじ、と眺めた。端正な横顔は少しいつもよりあからんでいて、
でも。
それでも、
綺麗だ、なんて思う。
自然に手がスケッチブックを探した。描きたい、突き上げるような欲求に僕は身を任せるまま、筆をとる。
「………くん、おいしかった、よ――」
「………くん?」
彼女の声。戸惑ったような声に、僕は答えられないまま描き続けた。
そんな僕に彼女は苦笑いして、もう一口マグの中身を口に含んだ。そして、
どこか必死に手を動かし続ける僕を、隣でじ、っと待っていてくれた。
「………描き終わった?」
荒い息で、額に浮かんだ汗をぬぐった僕に、彼女は優しく声をかけた。
その腕の中に頭を預ける。
「………こんな、本気で描いたの久しぶりだ。少し―――疲れた―――」
「……うん」
「ごめん、君に頼らせて………もうちょっと、このまま」
「………いいよ」
今、結構楽な時だから。そんな風にうそぶいて、彼女は僕の髪に指をくぐらせた。
「かみ、伸びたね。そろそろ切ろうか?」
「……そんな伸びてる?」
「うん、けっこう」
彼女が僕の襟脚をつまんだ。少しだけ引っ張られるような感覚に、僕は顔をしかめて彼女を見上げる。
「邪魔でしょう―――ちょっとじっとしてて。結んであげる」
思わず耳を疑った。
「――――――え――っ?」
「ちょ、ちょ、ちょっと、待って」
「んん? どうしたの?」
「結ぶ? 何を? もしかして僕の髪の事言ってる?」
彼女は首を傾げた。
「それ以外に何があるの?」
いや、待ってそれは―――
アウトでしょう!?
「いやさ、君っ―――なんて言うかそれは僕にとって、いや男としてどうだろうと思うんだけど。ていうか大前提として僕が結びたくないというかなんていうか――っ」
「大丈夫だよ」
彼女は意にも介さないようだ。
「だってあなた女の子みたいにきれいな顔してるもの―――絶対違和感は無いと思うよ?」
え、えええぇ………
「じゃあ、結ぶね」
結局、また彼女に負けてしまった。
くん、と髪が引っ張られる未知の感覚に顔をしかめながら僕は彼女に全てを任せて、待つ。
そして、はいできた、なんて彼女が僕の肩をたたくときには、
僕は、驚きに目を見開いていた。
「どう?」
見上げた彼女は僕を見て、「ほらやっぱり似合うじゃない。気分は? 案外悪くないんじゃない?」
僕はゆっくりと頷く。
「髪………軽い」
「めっちゃ楽、悪くないかも…!」
そうでしょう? と彼女は微笑んだ。
「私は耳出すのが嫌だからずっと下ろしてるけど、お料理するときとかは結んだ方が楽なんだ。あなたは絵を描く人なんだから、横に垂れるの気になるだろうな、っておもって」
「………よくわかったね」
「まあ一応、……くんの妻、ですから」
「そっか」
ありがとう、そう言うと、彼女はあなたもありがとうね、と返した。
「そう、そう言えば、つくってくれたこれって………なんなの?」
ああ、そんなこと?
「実はさ――――」




