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それはやっぱり、君でした。  作者: せみまる
第四話 君からもらったもの
19/70

016


 それからは、本当に大変になった。


 彼女の悪阻は、普通の悪阻(・・・・・)でおさまってくれなかった。

「―――……っ――……」

 彼女のうめき声が薄暗い部屋の中でこだまする。大丈夫、そう言って背を撫でてあげることしかできない僕は、本当に無力だと思う。


「大丈夫、大丈夫だから」


 僕の膝に顔を埋めた彼女が震えながら首を回した。僕をとらえたぼやけた瞳は薄紫色に染まっている。


「………、―――…、い、…くん―――」

「ん? どうした?」

「…………――し、て………」

「ん、いいよ」

 彼女の耳を挟みこむ。「大丈夫」そう呟いて目を閉じ、彼女の額に額をあわせた。


「………大丈夫」


 彼女が息を吐いた。胃液が混じったその匂いから彼女の苦しみを痛いほど感じる。



 彼女は、耳が敏感になりすぎていた。


 少しの雑音でも泣きだすくらいに苦しんで、何度も何度も吐いて、震えながら僕の手を求めて。

 苦しみ続ける彼女に僕は―――――


 そばにいてあげることしか、出来なくて。


 何度も背を撫でた。何度も彼女の目をふさいだ。耳をふさいだ。少しだけ冷たい体温を貸した。


 彼女の目がうすくぼやける。しゃくりあげながら必死に耐えている。

「寝て」

 僕がそう言うと、彼女はかすかにうなずいた。

「そばにいるから、ちゃんとここにいるから」


「寝て」


 目を閉じたその疲れきったような寝顔にそっと頬を寄せ、横たえた。「………――」


 名前を呼んだその横顔は、応えない。




「あら」

 部屋に戻ると、彼女はベットの上で薄眼を開けたまままどろんでいた。

「起きてたの」

 スケッチブックを置き、彼女の横に腰を下ろす。額をすりよせてきた彼女の髪を軽く撫でる。


「大丈夫?」


 かすれた声で彼女は何かを言った。うんともううんとも聞けるけど、呼吸も落ち着いているし震えも収まってるみたいだ。………よかった。

「つらいね」

 絡まった髪をゆっくりと解くように梳いた。彼女は僕を見上げて、ゆっくりと、


 微笑(わら)った。


「………うん」

「嫌だよね、君ばっかり。無理させてごめんね? 何か僕に出来ることあったら僕はなんでも―――――」

「いやじゃ、ない」

「え?」

「つわり、いやじゃないよ」


 どういうこと?


 首を傾げた僕に、彼女は少し呻いて起き上がろうとした。「あ、まって手伝う」

 細い背を支えて彼女を起き上がらせた。彼女は僕の胸に背を預けて長く息を吐いた。

 おもむろに、手首をつかまれる。


 弱々しく導かれ、僕が触れたものは―――


 彼女の、お腹だった。


 思わず身をすくめた僕に、彼女は笑う。

「だいじょうぶ」

 別に何も、取って食おうってわけじゃないんだから。かすれ声で言った彼女は楽しそうに見えた。


「ここにね、自分のじゃない命があるの」


 その言葉はどこか、ため息にも似ていた。


「そしたらもうそれだけで、それだけでそれこそ」



「死ぬほどうれしいよ」



「………そ、っか」

 そうだよね、そう呟くと、彼女は満足そうに笑った。

「あなたのこども、だよ」

「名前、どうしようか」

「まだ早いよ、これから七か月以上もあるんだから」


 無声音の会話。硬くにぎりあった手。


 音と音を重ねてまた、僕らは一つずつ思い出を育てていく。



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