014
「……………え」
診察室を出たら、ドアの前のベンチの上で、彼女が熟睡していた。
「……まじ、ですか」
まじみたいだった。
………………
なんだかんだ言いつつ、彼女を背負って動くことが多いような気がする。結局、僕も男だ、っていうことか。そう思い直して僕は苦笑して、彼女の身体を背負いなおした。
あと、ちょっと。
心の中で自身を鼓舞し、ゆきこ先生の言葉を反芻する。
「奥さんは体重が四十二キロ―――――でしたっけ? ずいぶんと軽いですね」
「ええ―――というか、普通に食事とかは取ってると思うんですけどね………ほんとに、ほっそいんです、彼女」
「体重が軽すぎていい事は何もありませんよ」
言いきった。僕も人の事を言えないぐらいの体重なので、う、と言葉に詰まる。
「赤ちゃんを産むとなったらもっとです。―――おそらく、お子さんは低体重出生児になるでしょうね」
て、て―――――?
「ていたいじゅうしゅっしょうじ、です」
「お堅い名前はついていますがなに、ただ適正体重よりほんの少し、小さく生まれてきてしまう赤ちゃんたちの事ですよ。何らかのトラブルがなければ2,500グラム前後で生まれてきます―――あ、
心配することはありませんよ」
僕の表情を見て、先生はあわてたように手を顔の前でぶんぶんと振って見せた。
「普通は九歳までに他の子たちに成長は追い付きます。…………分かってますよ、そういうことじゃないんですよね」
「大丈夫です」
明るい瞳が僕を強く見つめた。
「私が、全力で、サポートします」
………ありがたいことだ。
またずり落ちてきてしまった彼女の身体をぐい、と引き上げて僕は嘆息した。こんなにも―――――こんなにも、僕の事を考えてくれる赤の他人がいるなんて。
正直、僕には今まで「誰も」いなかった。
そう、いなかった。
全ては、「群衆」というモノ、でしかなかった。それが今、大切な人が出来て、僕たちの事を考えてくれる人がいて。
なんて、幸せなんだろう。
君がいたから、僕はこんなにもたくさんの事を知ることができた。今だって、毎日が新しい事だらけで、新しい音色、ばかりで、
世界が違って、見える。
だから僕は、こんな世界を、描くことができる。
彼女がやっと目を覚ましたのは十七時過ぎだった。
柔らかい音がして、彼女の腕が僕の胴に回る。
「う、わっと」
フライパンの柄を握っていた僕は思わず声をもらした。………びっくりさせないで下さいよー……もう。
「なに、どうしたの」
むにゃむにゃと彼女は意味不明の言葉を発した。ぎゅう、とまた一層、腕の締め付けが強くなる。
「うん、わかった、わかったから」
火を止めて、彼女に向き直った。ぐい、っと引き寄せると、彼女はご機嫌そうに僕の胸に顔を埋めた。
「………ねむい」
「うん、知ってた」
「……くん」
「ん?」
「大好き」
小さく息を吐いた彼女の頭をゆっくりと撫でた。
「うん。知ってた」
一瞬の沈黙の後、彼女は僕の胸から額を離した。「何つくってたの? ………あなたって家事、出来たけ」
失敬な。出来ますよ。
「……ふふ。なんだかんだ言ってあなたのごはん食べるの初めてだね。楽しみにしてる」
「じゃあそろそろ腕、離してくれないかなぁ。作業ができなくて、困ってるんですけど」
彼女は息をもらすように笑った。少しだけ紫がかった大きな瞳。熱を帯びて、僕を見上げている。
う。
やっぱり、僕はこの目に弱い。
のけぞるようにして僕が彼女から距離を置こうとしていると、彼女は唐突に―――――
僕から身体を離した。
「ごめん」
そうはいうけど、彼女の眼は笑ったままだ。
「もうちょっと、寝てていいかな………ごはんできたら、お願い、呼んで」
「…………う、うん……分かった」
大丈夫? なんて言うか、流れでそう聞くと、彼女は笑った。
「ありがとう」
あ、まあ………どう、いたしまして?




