013
すう、と息を吸った。
さあ、口に出してみよう。
昨日さんざん悩んで、考えた、僕の本当の心を。自分でもまだわかっていない、僕の、本音を。
「そんな覚悟は―――――」
「ありません」
少しだけ、止水先生が驚いた顔をした。目を伏せたまま、僕は考える。これでいいのか? 本当に、僕は―――――。
「きっと、彼女もそうで。覚悟がなくて、自信もなくて、だから、昨日、彼女はきっと」
泣いていたんだろう。苦しんでいたんだろう。
……………迷いながらさがしたその言葉たちは存外、僕の本音に近いそれかもしれない。
「僕は、彼女になんて言ってあげることもできなかった。それが悔しくて口惜しくて、ずっと後悔していました。どうしたらいいんでしょうね? 僕が、僕なんかがこんな…………人の親になんて、とうていだけどなれない。……………本当に、そう思っているんです」
僕には。
そう、呟いた言葉には驚くほど覇気が無かった。
「僕には、両親の記憶が、ほとんどありません」
「親という生き物が、どういうものなのか―――――僕はまるで、」
そう、まるで。
「知らないんです」
「だから、いきなりそれになれと言われてもなれるものじゃあありませんし、だからと言って現実から目をそらしてはいけないことぐらい十分、分かっていて。
昨日の夜、彼女からこの事を聞かされた後、さんざん悩んだ癖に、僕はこういう結論にしかたどりつけませんでした」
止水先生はただ、無表情に近い表情で僕の話を聞いていた。僕の話が終わると、診察室の中は奇妙な沈黙に包まれた。
止水先生は息を吐いた。
「正直、驚きました」
「え………何が、ですか……」
先生は呆れたような、感心したようなよくわからない表情で僕を見る。
「最初にも言いましたがね、あなたたちみたいな人たちはたくさんいるんですよ―――――二十代で結婚して、結婚そうそう子供作って、堕ろす相談をしに来る若いご夫婦。
あなた方もたいがいそんなものだと思っていたんですよ。………私は」
ため息をつくようにして言った先生はそのやや冷たさを帯びた目のまま僕を見た。
「天才は天才って、事ですか? 浮世離れしていますね………お二方」
え。
「存じ上げておりますよ。初出展で世界絵画コンクールでいきなりグランプリをとり、その後そのまま四年連続グランプリを取りつづけている若手天才画家さん?」
「なんだ………僕ももうそんな有名になっちゃったんですか。めんどくさいなぁ」
「あら、鼻にかけてもいないんですね」
「あたりまえじゃないですか。僕はちやほやされるの、好きじゃないんです」
「本当に、浮世離れしてらっしゃるんですね」
先生は心の底から呆れたようだった。
「そういう、普通のご夫婦はそんなコトを言いもしないし考えもしないものなんですよ…………。まったく」
わかりました。
そう言って、止水先生は僕を見た。
「分かりました。全力でサポートしますから、ですからここから八カ月、頑張ってみますか?」
乾いた、見開いた目からじわりと涙が滲んでいくのが分かった。
「あ、……あ」
「ありがとう、ございます………っ」
そう、言うのがやっとで。
滲んでいく視界の中で、先生は、今までの冷たい態度が嘘のような、柔らかく、温かい表情で笑って見せた。
「じゃあ、私の事は、止水先生じゃなくて“ゆきこ先生”って呼んでくださいね?」
……………これまでのイメージをずたずたにするような発言は慎んでもらいたかった。