012
ゆっくりと夜が更けてゆく。
彼女の規則正しい寝息を腕の中に感じながら、僕はまどろんでいた。
朝の光だ。ほぼ反射的に枕元に置いてあるはずのスケッチブックに手を伸ばしてしまう自分に苦笑が漏れる。
結局、途中であきらめた。まだ眠気の残るしびれる頭で僕はふうぅ、と息を吐いた。
―――――赤ちゃんが、出来ました。
震えていた声。ああは言ったし、動揺は隠したけれど。
僕だって、びっくりした。
でも、ねえ? あんな声で、あんな表情で。
―――――責めないの?
―――――私の事、責めないの? だって私っ……………
もう一度、手を伸ばした。考え事をするには描いていた方がずっといい。
眠ったまま僕のシャツの胸元を握りしめた彼女を腕の中で転がし、抱えなおす。うつ伏せになって鉛筆を握る。考える。
すぅ、と。
僕は息を吸って薄く、白い紙の上に鉛筆を侍らせた。
描くのはもちろん、彼女がくれたあの美しい音の色だ。
金銭的な余裕なら、まあ、大丈夫。
というか、余裕。
多分肝心なのは、そういう問題じゃないんだろうな………。
実は、僕は彼女のことをなにも知らない。今まで過ごして来た時間も、見てきた景色も、その、ほんの少ししか知らない。その上で、彼女がどんな風に考えてるかなんてわかるわけもなく。
確かに、彼女は怯えていた。
その理由すらわかってあげられない自分にどうしようもなく腹が立った。
きっと、それは、ずっとわかってあげられないんだろう。
そんな、自分にも、
どうしようもなく、腹が立った。
もはや、何も考えていない腕で、世界を描いた。
うーん………。
出来がよくない。
はあ、とため息をついて、僕はスケッチブックからその一枚を破いた。
………今の状態がいいなんてどう考えても思えないしな。
少しだけ、彼女が腕の中でうめいた。その頭をとん、とん、と優しくたたいてやる。
………はぁ。
今日にでも、彼女を連れて病院、行かなきゃかなー……。
「妊娠ですね」
と担当の先生は言い切った。
まあ、そうですよね。
知っていたから、何とも言いようがない。
結局、彼女と十時半まで布団の中にいて、もうすでに午後三時。
彼女に出て行ってもらった、狭い産婦人科の病室で、その若い先生は笑った。
確か、止水先生。しすいせんせい。
なんて言うか、僕と三つしか変わらないらしい。彼女と同い年の先生である。―――――美人だ。
「それで」
そう言った先生はにこり、と彼女に笑いかける。
「どうしますか?」
「どうしますか、とは………」
「あなたの気持ちです。お父さんの、気持ちです。あなたが本当にお父さんになりたいのか、と言う事を聞いています」
「………、僕は」
「たくさんいるんですよ。――さんのところみたいなご夫婦。………確か、二十、一でしたよね」
「はあ」
先生はそう言って僕に決断を迫った。
「本当に、お父さんになる覚悟は、ありますか」