008
「ね、ねぇっ、ちょっと、君!」
そして今僕は、猛烈に後悔していた。
暗闇。それは、辺りが暗い、それだけじゃない。目隠しをさせられているのだから、当然だ。
彼女の“お願い”は、その場所につくまで目を開けないでくれ、と言うものだった。
無茶だ。そう僕は言ったが、彼女は大丈夫、大丈夫とひらひら手を振って見せた。お父さんも私にそうしたから、で、それでも私、全然平気だったから、と。
僕はこく、と喉を鳴らす。
何も見えない世界って、こんなに怖いんだ。
今更ながら、そんなことを考える。
彼女は、目隠しした僕の手を引いて、ずんずんと歩いていた。かすかに水の匂いと音を感じるくらいで、後は本当に何も感じない。頼りになるのは、彼女の細い手と、足の下にあるアスファルトの感触だけ。……………ずいぶんと心もとない。
彼女の提案で新婚旅行―――――福島に来て、今日が二日目。の、夜。
昨日の夜は二人ともほとんど寝てないから、彼女も本当はすごく疲れてるはずだ。
…………なのに。
突然、足元がふらついた。眠いのと、暗いのがあいまって、もう眠りそうだ。正直、もうホテルに帰って寝たい。僕は呻いて、頭を振った。
電車に乗って彼女と来たのは、福島県西郷村。小さな町だけれど、本当にのどかで、いいところだ。
いつも都会の騒々しさや、蛍光色のような人口の色素に侵されていた僕らは、ここの街の色、音に感激しっぱなしだった。
ここで、見れるもの。
いろいろ考えてみたけど、やっぱりおもいつかない。
彼女が、僕に、わざわざパレッドとスケッチブックを持たせたんだ。それを考えると――――――彼女がこぼした、“景色”をヒントに考えると、夜景かなとも思った。けど、水音が近くで聞こえる夜景スポット? やっぱりしっくりくる答えは出てくれなくて。
いよいよ眠気がマックスになってきて、僕は見えない彼女に声を張り上げた。
「君! な、なんか………しゃべって、くれないかな! 僕もう、オチそうなんだけど!」
前方。彼女の声が返ってくる。
「ええ? だって喋ってたらまた口滑らせちゃうかもしれないじゃない! 頑張って、もうちょっとだから!」
「それに」
「絶対、目隠ししてた方がいいから!」
がんばれ。そんななげやりな声に、僕は情けない声を上げた。「そ、そんな…………君、僕もうそろそろ無理…………」
彼女が少し、スピードを上げた。半ば、引きずられるようにして僕は必死に歩いた。肩にかけた画材のバッグがカタカタと鳴る。規則的なその音を聞いていたら、意識が遠くなってきたのであわててやめた。彼女の手の感触だけに集中して僕は歩いた。
突然、足裏の感触がアスファルトから土へと変わった。
「あなた、もうすぐだからね」
彼女の声が遠くから聞こえる。
青草の匂いが立ち込める場所に来ると、彼女は足をとめた。
「―――君、横に、なってくれる?」
ぎょっとして、僕は彼女の声がする方を見た。「いいから」
急かされ、僕はしぶしぶ横になる。そこは、草の上だった。新鮮なその匂いに、少し眠気から引き戻される。
「とるよー」
彼女はいい、僕の頭に巻いたタオルを取った。反射的に目を開こうとする僕を「まだ」と押しとどめ、自分はゆっくりと後ずさる。
………音が、した。
あの時と同じ、いたずらっぽい声で彼女は言う。
「3、2、1………で目、開けてね? あ、この隙に眠っちゃだめだよ? じゃ、いっくよ~」
「3、2、1………」
「はい、どうぞ」
目を開いた僕はその瞬間、今まで感じていた眠気が全て吹き飛ばされるほど驚いた。
彼女が喉を鳴らして笑いながら、僕の隣に座る。
思わず、その彼女の顔を見上げた。ずっと、目隠しで視界が暗かったから、目はすぐに暗闇に慣れて彼女の表情をはっきりと映し出した。
彼女は得意げに胸を張った。
何も言えない僕は目顔でうなずきかえしてまた、その世界に目を向けた。
果たして、そこに広がっていた“景色”とは。