007
あなたに見せたいものがあるの。
「え? なんか言った?」
彼女は僕の脚の間で、むくれた顔をした。
「聞いてなかったの?」
「うん…………ごめん」
「むー」
だいたい何描いてるのよ、と彼女は僕の手元を覗き込んで、目を丸くした。「ね、ねぇこれって………」
「そう」
僕は呆けたような顔をする彼女に、にこ、と笑いかけて見せた。
「君の、晴れ姿だよ?」
画版の中、僕が描いた世界の中で、白いウエディング姿の彼女が笑っている。彼女は、思いもしなかったであろう題材に、大いに戸惑ったみたいだった。彼女は、力が抜けてしまったように僕のお腹に自分の背を預けた。
その体を、優しく包み込む。
「あーあ…………文句言ってやろうと息こんでたのにあなたって人は全く………」
「あは、拍子抜けしちゃった?」
「うん…………なんて言うか、うん………なんて言うか、ね………」
「ごめん、ごめん」
ぽん、ぽんと彼女の頭を叩くように撫でると、彼女は、「…………小さいころにね」と話し始めた。
「お父さんが、急に『みんなに見せたいものがあるんだ』って、『だから、明日それを見に行こう』って言って、家族みんなを福島に連れて行ってくれて。
なんだろう、って不思議に思って見たその景色が、本当にきれいで」
「その、景色って?」
僕が言うと、彼女は少しだけ目を見開いて、僕のほうを見上げた。
「あれ、今私景色って言っちゃった?」
「うん、ばっちり」
「あちゃー、やっちゃた」
「ん、ドンマイ」
彼女は肩をすくめて舌を出した。その“失敗”は気に留めなかったみたいに、彼女は話し続ける。
「だから、その景色があまりにもきれいだったから、あなたに、見せてあげたいな、ってほんとに思ったの。
私たち。なんだかんだ言って新婚旅行行けてないでしょ? どうかな? そんな、新婚旅行」
僕は微笑んで、もちろん大賛成、とおどけた口調で言ってあげた。彼女はその僕の言葉を聞いて、嬉しそうに「ありがとう」と笑った。
かわいい。
もういちど、頭を撫でる。彼女は、少しだけ顔を赤くしたかと思うと、向きを変え、僕の肩口に額をつけた。
「あのね」
少し甘ったるい、そんな声色。“おねだり”するときと同じ声の色だ。少し警戒しつつ、僕は彼女の言葉を聞いた。
「ひとつだけ、お願いがあるの」
「お願い?」
「そう、お願い」
彼女はいたずらっぽく唇の端を吊り上げた。一瞬、その白い歯がこぼれて、僕は思わずびくり、と肩を震わせる。
いやな予感がするのはなぜだろう…………。
僕はそっと、にじみ出てきた額の汗を、筆を持っていないほうの腕でぬぐった。
「そ、そのお願いって………?」
彼女はいっそう意地悪そうに笑った。僕の少しあいていた唇に、ぴと、と彼女の人差し指が触れる。
「それは、そのときまで、ひみつ」
どうしてこのとき、僕は簡単に彼女のいたずらに引っかかってしまったのだろう?
こんな笑い方をするとき彼女は―――――なにかを、たくらんでいる。
それに気づかず、押されたようにして思わずうなづいてしまった僕はきっと……………
自分で思っているよりずっと、馬鹿なんだろう。