エゼ=アロム(2)
依頼人のブルトンは痩せた男だった。青地に白い紋様をあしらった道衣を来て、頭からフードをかぶって顔の半分くらいを隠している。聖都エゼ=アロムの入口の前に立っていて、登場した二人の女戦士を見るなり手を叩いて出迎えてくれた。
「お待ちしておりました、あなたがかの高名な戦士ハリエット様?」
「いかにも、そうです」
ブルトンはそして視線を動かし、露骨に不機嫌を前面に押し出しているロビンの顔を見た。
「――そしてあなたがそのお仲間の、ロビンさん?」
「仲間? 奴隷だよ、奴隷! この女の奴隷!」
ロビンが喚くとすかさずハリエットの拳骨が飛んできた。頭を押さえてしゃがみ込んだロビンを、ブルトンは困惑したように見ていた。
「ええと、その……。聖都をご案内いたします」
「お願いします」
ハリエットが笑顔で応じた。ロビンはそんな彼女を睨みつけた。この愛想ばかり良い女は、一般の人間からは相当人気らしいが、どいつもこいつも騙されている。本当はもっと打算的で、目的の為なら悪辣な手段も厭わないシビアな現実主義者だぞ……。
「ロビン、いつまでもしゃがみ込んでないで。さっさと行くわよ」
「誰のせいだと思ってんだよ、くそ」
「言葉遣いが汚い。ほらっ」
「いてえって! 髪を引っ張るなぁっ!」
わあわあ喚きながら入都した。都市全体を遠くから眺めた限り、美しい外壁と秩序立った街並み、静謐な雰囲気といい、神の都を自称するだけの優美さが感じられた。
しかし都市の中に入ると、その印象は一変する。
建物の壁に描かれた意味ありげな絵や文字は薄っぺらで、何か重要な部分でのバランスを欠いていて、直視していると気分が悪くなる。秩序立った街並みも無機質なイメージを訪問者に与え、ここがどこなのか眩惑させる効果がある。そして、静謐な雰囲気と言っても、ここにいると段々と無感情な人間になってしまうような、そんな無彩色で刺激希薄な空間が延々と続いていた。
ゴミ一つ落ちていない石畳の道を、三人はゆっくりと通る。ブルトンがあれこれ施設の説明をしているが、ロビンはろくに聞いていなかった。
ブルトンはこの街に誇りを抱いているらしく、施設の説明には熱がこもっていた。ロビンは欠伸を噛み殺し、説明に強引に割り込んだ。
「そんなことよりさ、魔物退治を依頼しに来たんだろ? その魔物はどこにいるんだよ。こんな悠長に話をしていて良いのかよ」
ロビンの言葉に、ブルトンは深く頷いた。
「いえ、英雄様、今、魔物は出没しておりません」
「はあ?」
「しかし近い内に現れるでしょう……。この聖都のどこかに現れ、人を襲うはずです。被害が大きくなる前に、早急に退治をしていただきたい。その為に英雄派遣会社に長期契約の話を持ち込んだのです」
ハリエットが頷く。
「話は伺っております。ですが、その魔物というのはどこからやってくるのです?」
「詳細は分かりません。我々も警戒を怠っているわけではないのですが」
ロビンは皮鎧の上から着込んでいる外套の衣嚢に手を突っ込みながら辺りを見回した。聖都エゼ=アロムは、けして大きな街ではないが、その外壁は強固であり、そう簡単に魔物の侵入を許すようには思われなかった。そもそもこの街の周辺をざっと見て回ったが、魔物の気配はほとんどなかった。
魔物はこの街の、たとえば下水道から侵入しているのではないか。ロビンは最初、そう考えた。
ハリエットは辺りを見回し、
「なるほど……。過去にも弊社の英雄が調査を行ったと思うのですが、進展はなかったのですね?」
「残念ながら」
「ならば、私どももあまりできることはないようですね。当面は魔物の出没に備えて警戒することくらいしかできないと思いますが」
「それで十分です。ありがとうございます」
ブルトンは頭を下げた。ロビンはそれをぼうっと見ていた。どうもおかしな話、そしておかしな街だった。
ロビンは街を見渡す。この圧倒的な違和感の正体は分かっていた。通行人がほとんどいないのだ。この街に住んでいる住民の姿をほとんど見ない。いたとしても道衣を着込み、顔をフードで隠している。
「なあ、依頼人さんよ、この街の人口って少ないのか? あんまり人がいないようだけど」
ロビンの質問にブルトンはかぶりを振る。
「いえ、最近は魔物の出現に備えて、できるだけ外出しないように命令が下っているのです。以前はもっと活気のある街だったのですが」
「へえ……、神出鬼没なんだな、魔物ってのは。出没する地点が大体決まってたりはしないのかよ」
「あまりそういう傾向はないですね。まさに神出鬼没です」
「何か特定の施設が狙われてるとかは?」
「あまり施設や家屋の損害はありませんね。魔物が出没して被害を受けるには人間や家畜です」
ふうん、とロビンは腕組みした。そんな彼女をハリエットは嬉しそうに眺めていた。
「な、なんだよ、気持ち悪いな」
「あなたも随分職務熱心になったものね?」
「ちょっと気になっただけだよ、茶化すな。お前のそういう態度がな、ロビン様のやる気を削ぐんだからな、分かってるのか」
「はいはい」
ハリエットはくすくす笑っていた。ロビンは唇を尖らせながらさっさと歩き出した。
「ほらほら、ブルトンさんよ、ロビン様にふさわしい宿泊施設を用意しているんだろうな? さっさと案内しろよ」
「は、はい」
その後、依頼人に失礼な口を利いたという理由でハリエットから拳骨をお見舞いされたが、それを除けば、大したトラブルもなく滞在初日は終えた。用意されていた宿は質素だったが清潔で、居心地も悪くはなかった。宿の主人は機械的な人間で、親切ではあったがどこか人間を相手に喋っているという感覚になれない人物だった。
魔物が現れるまで待機、と言われても、ロビンは手持無沙汰だった。これまで多忙な英雄生活を続けてきただけに、暇なときどんなことをすればいいのか心得がなかった。
「なあ、ハリエット。見回りに行ってこようぜ」
ロビンがそう持ちかけたが、ハリエットは安楽椅子に腰掛けて、読書に興じていた。
「あなただけでいってらっしゃい、ロビン」
「おいおい、随分やる気がないんだな。暢気に本なんて読みやがって」
「だって、どこで魔物が現れるか分からないんでしょ? ここは聖都の中心部に近い。下手に出歩いて、いざ魔物が現れたとき都の反対方向にいました、なんて状況になったら、余計な被害を生むことになるわ」
「でもなあ……」
「別に、あなたはその辺歩いて来てもいいわよ? せっかく二人で来たんだし、一人はここで待機、一人は市中を見回って警戒。そういう風にしたほうがいいかもね」
「え。まあ、それでもいいけどよ」
ハリエットがくすりと笑う。
「ふふ。それとも、何かしら、私とゆっくり神の都でデートしたかった? 随分積極的なのね、ロビン」
「冗談はよしてくれ、想像しただけで震えが止まらねえ、何の罰だよそれは」
「どういう意味かしらねそれ」
「見回りに行ってきまーす」
ロビンは慌てて宿を後にした。宿の主人は、ロビンが出るときも何も言わなかった。ただ黙って頭を下げて見送っただけだ。別に会話したいとは思わないが、そこまで感情が見えないと、不気味だと思った。
一人でぶらぶら歩いていても、やはり人通りが少なかった。石畳の道にはゴミも汚れもない。ときどき痰を吐いて汚してやったが、清掃員らしき人物はおらず、ロビンの痕跡がいつまでもそこに残っていた。これだけ綺麗な街なのだから、きっと誰かが定期的に掃除しているはずだが。本当に人が住んでいるのだろうか。
ロビンは近くの住宅の窓に顔を寄せた。聖都の住宅のほとんどは、カーテンで窓を覆い隠し、中をうかがい知ることはできない。しかしその住宅のカーテンは僅かに乱れていた。僅かな隙間から窓の中を覗き見ることができそうだった。
ロビンは衣嚢に手を突っ込みながら窓に鼻先をくっつけ、部屋の中を見る。日中だというのに暗闇に包まれていた。じっと中を見ていると、何かが蠢いていた。
部屋全体が蠢いている?
否、そうではない。
暗闇に包まれている部屋など、存在しなかった。窓の近くに顔があった。夜の闇に見紛うかと思われるほど黒い肌。窓に鼻先をくっつけて外の様子を窺う異形の人間が、ロビンを凝視していた。
ロビンは咄嗟に身を引いた。家の中からロビンを見ているその黒い肌の人間は、全く無感情だった。ただただロビンを見ている。
「なんだ、こいつ、不気味な……」
ロビンは辺りを見回した。そしてよくよく観察すると、幾つかの窓のカーテンが乱れている。その隙間から誰かの眼が見えた。
見られている。
この街の住民から。
ロビンは舌打ちした。陰気な住民どもだ。家から出るなと言われているから仕方ないにしても、こちらが気になるなら窓を開けて挨拶くらいはしたらどうだ。
ロビンはすっかり気分を害し、ハリエットの待つ宿までそそくさと戻った。けして一人で街を散策するのが心細かったからではない。……と、彼女は自分に言い聞かせていた。




