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英雄派遣  作者: 軌条
第二話 一姫当千
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ドラン(6)

 デボラの前に現れた魔物は獣人だった。黒の毛皮に覆われた比較的小さな亜人型の魔物で、どこで拾ったのか錆びた剣を持っている。奇声を上げながら最も近くにいたデボラに襲いかかってくる。


「きなさい!」


 デボラが小剣を構える。勝負は一瞬でついた。デボラの剣は折れ、破片が地面にばら撒かれた。よろめいた彼女に獣人の兇刃が迫る。それをラシェルは遠くから眺めていた。


「よっと」


 ダンが近くに落ちていた小石を投げた。見事獣人の眼球に直撃し、悲鳴を上げた。その隙にオルウェルがデボラに駆け寄る。


「無事ですか、お嬢様!」

「え、ええ……」


 デボラは力なく頷く。ラシェルはお嬢様の表情の変化を注視していた。戦いに恐れを抱いたのか、全く元気がない。ラシェルはそれを確認して一旦は安堵したが、すぐに失望することになる。


 デボラの瞳に宿った荒々しい輝き。それは他人の力ではけして御することのできない、当人から無限に湧き出てくる強い感情だった。


 獣人が悶えつつもその場に留まっている。デボラはオルウェルの剣帯から剣を抜き放った。家庭教師があっと声を上げたがもう遅い。デボラは剣を振りかぶり、勢い良くその剣を叩きつけた。


 獣人の頭部を潰す。首までめり込んだ頭蓋の骨と、割れた皮膚の隙間からどぷりと漏れ出す脳漿。それをデボラは燃えるような眼差しで直視していた。


 彼女は剣を地面に棄て、なかなか倒れない獣人の躰を蹴飛ばした。そしてオルウェルに振り返る。


「今まで思いもしなかったけど――結構、武器って重要なのね?」


 そして彼女は笑む。ラシェルは、はあ、と嘆息し、ダンを睨みつけた。ダンは頭髪をかきながらラシェルの視線から逃れようとしていた。


「さっさとあなたがトドメを刺すべきだったのに」


 ラシェルが言うと、ダンは弱々しい声で反駁した。


「いや、そんな隙はなかったよ――デボラお嬢さんってのは、大したお人だよ、うん」

「誤魔化さないでください。あなた、デボラさんが怯える様子を観察していたでしょう。石で牽制した後、すぐにあの雑魚を屠るべきだった」


 ちっ、とダンが舌打ちする。


「そう言うお前だって、ただ見てただけだろうが。俺だけの責任にするつもりかよ」

「あなたが私の責任にしたいというのなら、ご自由にどうぞ。私の武器を把握した上でそんなことを言う人だとは思いませんでしたが」

「ふん、分かったよ、もう言い訳はしない。で、建設的な意見を賜りたいんだが?」

「もう少し彼女に付き合うしかないでしょう」


 ラシェルは言う。


「それに、もしダンさんがトドメを刺していたとしても、彼女は旅を続けると決めていたでしょうね。どうやら私が考えていた以上に、彼女には戦士の資質があるようです」

「戦士の資質ね……。厄介だな」

「ええ、全く」


 デボラは魔物を初めて倒した。これは彼女の比類なき成功体験として強く印象付けられるだろう。こうなっては、もう彼女はそう簡単には退くとは思えない。この任務を成功裏に終わらせる上で、致命的な過失と言えるだろう。


「ダンさん、覚悟してくださいよ。もしかすると、私たち、この地で果てることになるかも」

「冗談言うなよ。ウチの会社で戦死者が出るのは年に一件あるかないかだろ。そうなる前に増援を呼ぶべきだ」

「昨晩と言っていることが逆ですね」

「うるせえ。あんなおてんばをたった二人でフォローするのが無茶だと思い始めただけだ」


 戦いを続けるだけなら喜んで危険に身を委ねよう。しかしこんなちゃちな護衛任務を続けて神経をすり減らし続けるなんて御免だ。ラシェルにはダンの心境が痛いほどよく分かった。


 デボラはオルウェルの剣をそのまま使用することに決めたようだった。鞘を強奪し、紐で腰に括りつけている。


「ふふふ、英雄さんたち、もう帰ってもいいわよ? あとはこの勇者デボラがこの草原の魔物を根絶やしにしておくからね!」


 冗談なのか本気なのか。ラシェルは思わずオルウェルを見た。かの家庭教師は慌てて首を振った。いなくなられては困る。その切実さを感じ、ラシェルは頷いた。


「デボラさん、魔物と戦うのはいいですが、これからどうするんです?」

「どうするって?」

「まさかあてもなくカルド草原を彷徨うだけってわけにもいかないでしょう」


 ラシェルの問いに、デボラは蔑むような目で応える。


「ワタシの目的は邪竜――ドランの魔を総べる者よ。この草原のどこかに眠っているはず。それを見つけ出す」

「見つけ出す自信がおありなんですか」

「もちろん。ワタシは勇者なんだから。きっともうすぐ見つかる」


 その自信はどこから湧いてくるのだろう。ラシェルは呆れるのを通し越して感心さえしたが、もう振り回されるのに慣れ始めてきたのかもしれない。


「さー、行くわよー、オルウェル!」


 上機嫌にデボラは言った。オルウェルは聖剣という名の錆びた剣と、食料品やらを抱えて、彼女について歩いた。



 色々と思うところはあったが、元々10日程度の旅は覚悟していた。あまり焦って事を進めることもない。ただここカルド草原には魔物が多過ぎる。これは事前に予期していなかった。体力がもつかどうかはやってみなければ分からない。


 草の背丈が肩に達し、どこに魔物が潜んでいるのか分からない。警戒を怠らないのは当然だが、それに増して、霧が出てきた。視界が確保されない。これはかなり危険な状況だった。


 それなのにデボラはずんずん先に進んでいく。その首を魔物に差し出しているようなもので、彼女を見守る三人はヒヤヒヤしていた。



「お嬢様! 少し歩調をお緩めください!」


 たまらずオルウェルが言った。するとデボラはキッと振り向き、


「ワタシに指図しないで! オルウェル、いつからあんたはそんな口を利くようになったの!」

「しかし、お嬢様……」

「あんたも見たでしょうに! ワタシが魔物を華麗に討ち滅ぼすところを! 何の心配もいらないわ」

「しかし、先ほどの魔物は……」

「手強かったわね。あのクラスを倒せるのは、世界広しといえども、さほどいないはずよ」


 デボラは浮かれていた。あの小型の魔物も、デボラの中では凶悪極まりない超大型のモンスターということになっているのだろう。


 ラシェルは教師と生徒――もとい主人と従者の会話を聞きつつ、霧の奥に何かが潜んでいないか探っていた。どうも視界が確保されないと落ち着けない。ある意味こんなときでも堂々としているデボラは大したものである。自分が死ぬという可能性について全く考慮していない。


「ダンさん、デボラさんにもっと近付いてください」

「あん?」

「何か、嫌な予感がします。いざというとき、すぐに守れるように、デボラの傍にいるようにお願いします」

「大丈夫だよ。気にし過ぎだ」


 しかしダンは自分の先ほどの失敗を思い出したのか、首を捻り、


「……と思ったが、そうだな。またお前になじられるのは御免だ。言われた通りにするよ」


 ダンがデボラの真横についた。それを不審に思ったデボラが、口を尖らせて何か言おうとしたときだった。


 突如風が強く吹き、霧が一瞬、晴れた。靄の向こうにいたのは魔物の群れだった。依然視界が悪かったので全容は定かではなかったが、数えきれないほどの魔物が前方で一行を待ち伏せていた。


 おかしい。何かがおかしい。この草原は単なる魔物の群生地ではない。何か邪悪な思惑が働いている。ラシェルは背負っていた大砲を素早く設置した。


 しかし後ろから奇声が聞こえた。振り返ったときには、既に巨大な熊のような魔物が飛びかかってきていた。


「嘘っ――」


 ラシェルは横に跳び退いた。魔物は大砲にその爪を突き立て、吹き飛ばした。特注の大砲はそう簡単に壊れることはないが、遠くに転がっていってしまった。


 ラシェルは棒立ちになった。いつの間にか無数の魔物に囲まれていた。ふとデボラのほうを見ると、ダンがお嬢様を守るように立っている。


 ダンとちらりと視線が合った。二人の英雄は小さく頷き合い、意思の疎通を完了した。ラシェルは魔物の囲いに向かって走り出す。


 大砲を失ったラシェルは、もはや囮としてしか役立てない。一体の魔物を足台にして、宙高く跳躍した。そして簡単な炎の魔術を駆使して草原に火を放つ。


 ダンがデボラとオルウェルを抱えて猛然と走り始めた。彼らが無事に囲いを突破したのを見届けたラシェルは、自分をつけ狙う魔物どもの無数の視線を感じ、冷笑した。


「私は割に合わない獲物ですよ。そう簡単に倒れはしないし、見ての通り、贅肉も少ないですからね」


 草原に放った炎は既に消えていた。自分もこんな風にあっけなく潰える存在かもしれない。しかし死を覚悟してからが戦いの本番だ。ラシェルはそう考えていた。






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