ドラン(3)
「こっちよ! こっち!」
道なきカルド草原の旅を先導するのは、他ならない、デボラお嬢様だった。そして、彼女の特異な才能なのか、あるいはこの草原がよほど魔物に溢れているのか、デボラが張り切って進んだ先には必ずと言っていいほど魔物の巣があった。
今回デボラが探り当てたのは巨大ミミズの巣で、草を薙ぎ倒し体液をばらまきながら迫ってくるミミズが何十体もいた。
「さー、こーい!」
自分の数倍はあるというその魔物を目の前にしても、デボラは全く臆することがなかった。しかし彼女が持っているのは、少し力を込めただけで折れてしまいそうな細い小剣。そんなもので魔物を倒せるはずがなかった。
「やれやれ、またかよ」
ダンがぼやきながらデボラの前に立つ。デボラが腕をぶんぶん振り回してダンをどかそうとする。
「こら! 山賊顔! またワタシの邪魔をする気!?」
「怪我で済めばいいが、洒落にならんからな、オルウェルさん、お嬢さんを頼んだぜ」
「は、はい」
オルウェルがデボラを後ろから抱き締めるようにしてその動きを束縛する。デボラはキェーという奇声を上げながらオルウェルから逃れようとするが、さすがに膂力では男に敵わないようだった。
ダンがその巨大な戦斧でミミズを真っ二つにする。しかし生命力豊かなミミズはそれでも激しく身をくねらせ、毒を含んだその体液をばらまいてきた。
「ちっ、俺一人なら何とかなるが、デボラお嬢さんを守りながらとなると厳しいもんがあるな。ラシェル、援護遅いぞ、何してる」
ラシェルは大砲を設置しているところだった。そして事前に回収しておいた魔物の肉片を砲口から詰めていく。
ラシェルの大砲は何でも砲弾として利用できる。その辺に落ちている木屑だとか石ころだとか、何でも撃てる。しかし強力な攻撃をするには、やはり砲弾選びが欠かせない。硬いもの、密度の高いものが良いが、特に魔力が含まれた物体なら爆発的に威力が増大する。魔物の肉なら、微量ながら魔力を含有しているからうってつけだ。
「ダンさん、避けてくださいね、直射です!」
大砲がラシェルの魔力に反応して起動する。砲口から赤い閃光が走り光の球体と化した魔物の肉が砲弾として解き放たれる。
熱を帯びたその砲弾は先頭にいたミミズに着弾すると一気に爆発、周囲の草を巻き込みながら炎上した。ミミズたちは熱に弱く、炎を浴びたミミズは水分を奪われて萎れ、やがては焦げて切れ切れに瓦解した。
危うくその爆発に巻き込まれそうだったダンは、草叢に飛び込んで無事だったが、冷や汗をかいていた。
「やれやれ、魔物よりお前の大砲のほうが危ないぜ。手加減はできないのかよ」
「できません。ちょっと魔物の巣を焼いてきますから、デボラさんの護衛、任せましたよ」
「分かったよ、ったく」
ラシェルは巨大ミミズの巣に三発、砲弾を撃ち込み、完全に焼き尽くした。草の炎が草原全体に燃え移りそうな勢いだったが、湿った風のおかげか、はたまた魔境に充満する怪しげな魔力の効果か、炎はすぐに勢いを失っていった。
ミミズの死骸を次の砲弾として使う為に回収し、三人のところに戻ると、デボラがダンとオルウェルに詰め寄っていた。
「どうしてワタシの邪魔をするのよ! 言っとくけど、これはワタシの魔物討伐の旅なんだからね! 主役はワタシ! ワタシなの!」
「仕方ないだろうが……。お前さんじゃあ、あのミミズと戦ったって一瞬でやられてたぞ」
「やられるわけないじゃない! ワタシは勇者なのよ!?」
ラシェルは嘆息した。半ば予想していたことだが、デボラは護衛に敵を倒されるのが気に食わないらしい。しかし、あのミミズと戦わせていたら、間違いなくこの向こう見ずな少女は殺されていただろう。助ける猶予もなかったはずだ。あのミミズは獲物の胴体に喰らい突き、隠し持ったその牙で噛み砕く。そうなったときにはもう致命傷だ。
「お、お嬢様、落ち着いてください……」
お嬢様の家庭教師は、普段どのように指導しているのか、頼りない声で宥めに入った。それを睨むデボラには獣のような迫力があった。
「オルウェル! あんたまでワタシのことをないがしろにして! あんたがワタシに剣を教えてくれたんでしょ! それなのにどうして戦わせてくれないのよ!」
「わ、私はお嬢様の身を……」
「ワタシは戦いたいの! この手で魔物を倒す! そういう使命を帯びているの! 邪魔をするならあんたたちも敵よっ!」
デボラは激昂したまま鼻息荒く歩き始めた。ラシェルは使い終わった大砲の手入れをしたかったが、そんな暇はなさそうだった。デボラを一人で行かせるのは危険過ぎる。嘆息しながら大砲を背負った。
「行きましょう、ダンさん」
「ああ」
ダンは頷いたが、頭髪を乱暴にかき、オルウェルを見た。
「オルウェルさん、あんた、もう少し強く言えないのかい? このままだといくらお嬢さんを守ってもキリがないぜ」
「はい……。申し訳ありません」
オルウェルは俯いた。
「根は悪い方ではないのです……。お嬢様が勇者伝説に拘泥するのも、市民の暮らし向きが芳しくないことを憂い、魔物討伐こそ貧窮を打開する一番の道であると悟ったからでもあるのです」
「勇者伝説ねえ……」
「邪竜を打ち破った勇者の伝説は、この国に住む人間なら誰でも知っている話です。勇者の再来として民を導くことで、この国を良くしようと……」
「勇者の再来か。はん、あのお嬢さんがその器かよ」
ダンが悪態をつくと、オルウェルは寂しげに笑った。ラシェルはダンを肘で小突いた。
「さあ、行きますよ」
「分かったよ」
ラシェルは先行きが不安だった。デボラお嬢様が軟弱で口だけの理想主義者だったなら、問題は少なかったかもしれない。しかし彼女はなまじ武術の心得がある。健脚であり、ちょっとやそっとの移動では弱音を吐かない。忍耐強くなければ貴族令嬢がここまで修練を積むことはできなかっただろう。
その忍耐強さが非常に厄介だ。この旅が終わるとき、それはすなわちデボラが命を落とすときとなるかもしれない。彼女は自分の実力不足を理由に退却するなんてことはないだろう。
それに、ラシェルはこのカルド草原一帯に潜む瘴気に気付いていた。ここは確かに魔物の巣窟となるだけのことはある。得体の知れない邪悪な気配がそこかしこに潜んでいる。
D級英雄とはいえ、ラシェルもダンも、故郷では無敵の戦士と讃えられた豪傑である。魔物相手に遅れを取ることはないだろうが、デボラが向こう見ずな行動を繰り返すなら事故が起こらないとも限らない。
「遅い! 置いていくわよ!」
デボラが大声を張り上げている。三人のお供は早足にお嬢様のもとへ向かった。
「オルウェルさん」
ラシェルは小さな声でお嬢様の家庭教師に言う。
「ダンさんも言っていましたが、この旅の道中、デボラさんを説得し続けてもらいたい。彼女にモノを言えるのはあなたしかいませんから」
「は、はい……」
「そう焦らずとも構いません。我々も任務を全うしたいと考えていますが、あまり長引くと事故が起きるかも……。ここカルド草原にはおぞましいほど多くの魔物が潜んでいるようですから」
「分かりました。努力します」
「はい。お願いします」
持参している食糧は14日ほどもつだろう。食糧が尽きたら一旦帰還することを選ぶか、それとも奥へと進み続けるか。その判断を下すのはデボラお嬢様だ。その判断のときが来るまでに、オルウェルにはお嬢様を説得してもらいたかった。