吸血姫とヴァンパイアハンター
「吸血姫覚悟!」
「ふっせい!」
「ぎゃふんっ!?」
普通の精神状態の者であれば、十分といられないらしい禍々しい城。さあ寝よう、とベッドにかけた所で、刀と共に景気よく窓をぶち破って来た黒髪黒目の少女を沈める。
鳩尾にクリティカったし、一晩は起きないね、うん。このまま風邪引かれて移されても面倒だし、とりあえず一緒に寝よう。ていうか黒、全身黒っ。どこから来るにしても砂漠こえなきゃなのに、よく来られたわね。まあ、いいや。
「おやすみ~」
少しして、泣きながら抱きついてきた少女は、けれど、私が眠る頃には、ぐっすり眠っていた。
「はい、コーヒー。砂糖とミルクは適当にどうぞ」
翌朝。
漆喰のテーブルを挟んで座る少女は、コーヒーと私を何度も見やる。
「毒なんか入れるくらいなら、昨日の時点で殺してるわよ」
おどおどしちゃってかわいいんだから。
飲む直前、カップの中に映った私は、相変わらず真っ白だった。ピュアデビルなのに。いや、個人的に気に入ってるけど、どうしたって気になる。
嘘をついてないことは分かったのか、少女は両手で持って息を吹きかける。そうして一口飲むと、あからさまに眉根を寄せた。
大人ぶりたい年頃かな? やっぱりかわいい。
「あなた、どうやってここまで来たの?」
「え、走って」
「砂漠も?」
小さな首肯。砂糖とミルクにちらり、と。
なんだろう、この娘、逐一かわいい。私がブラックだから対抗してるんだろなぁ。
「砂糖とミルク貰うよん」
小さじ三杯に二回くるくる。そんで一口。うん、おいしい。
飲みながら確認したら、少女は砂糖を五杯にくるくるは四回だった。いい笑顔しちゃって。
「人間が越えるには大分厳しいのに、よくぴんぴんしてるわね」
割れた窓の向こうには、地平線まで続く一面の砂漠。百人で行軍して五人踏破できれば御の字なのに、単身とは素直に普通に凄い。
「人間からは、人間として見られてないから。生まれた時から、化け物だから」
暗く沈んだ少女に対し、私は笑う。立ち上がった少女がテーブルを叩きつけて、見事木片へとなり果てた。
「あんたは最初っから化け物だから笑えるのよ!!」
「うん、それ正解。その化け物の中で、私も化け物扱いされてるの。あー、おかし」
こんな似た者同士がこうも都合良く会うなんて、物語にしかないと思ってたわ。
「は? それが、なに、よ……」
「だから、同じ心細さを味わった者同士なんだし、どうせなら仲良くやろうよ? あんたがどれだけ強かろうと、私は絶対負けないし。けっこー楽になると思うけど? 自分以上の化け物が近くにいたら」
「そうやって取り込んで、寝首をかくんでしょ?」
「あんたがお望みなら、今すぐしてあげるけど」
額と額を当てて、瞳を覗く。遅れて気づいた少女は、当然飛び退こうとするけど、
「くっ――!?」
させなかった。掴んだ右手ごと腰を寄せて、左手も掴む。
「ね? 勝ち目なんてないでしょ? もお、睨んでも怖くないって、かわいいなぁもお」
「は、なっ、かわ――!?」
「へ?」
頬どころか、覗く素肌全てが、一瞬で朱に染まった。意外も意外な反応に力が緩み、少女は離脱。大慌ててでベッドの刀へ飛び込んだかと思えば、そのまま前転して窓の外へ砲弾よろしく吹っ飛んだ。水色フリル、良いわね。
その日、少女が再び突っ込んで来ることはなく。次の日、また次の日、そのまた次の日も、現れることはなく。
更に二日が経過した日の夜。
そんなに好きなら、捕まえに行っちゃいなよユー。
能面みたいな顔してる癖にやったら神々しい雰囲気の女が夢に現れ、なんてことを言いおった。
しかし、なるほど、こっちから行けば良いだけか。
妙に納得すると同時に目が覚め、ぱっぱぱ準備を済ませる。
まあ、いつもの白服に軽い胸当てと剣差しただけですがね。
屈伸運動と伸脚をしながら、少女の魔力を探す。ラヌスにて発見。到着予想時間、十秒。
「よっし!」
記念すべき初のお出かけ、景気よく行こう。
バク転を三回、跳んで着地と同時に片膝を曲げる。思いっきり駆けだしてベッドへ、窓へ跳び――
「せぇええ――っの!」
城の何分の一かが崩れる音を背に、遙か南の王国、ラヌスへ跳んだ。
石造りの街、ラヌス。商店が並ぶ大通りは人々に溢れ、
「あ、いたいた。お~い、水色フリルちゃ」
「ふっせい!」
「おおう、こないだと逆だね~。効かないけど」
振り返りと踏切を同時に行ってからの、鋭い拳。受け流して、また瞳を覗き込む。
「うん、やっぱり綺麗だわ、あんたの目。そんで、かわいい」
睨みながら、頬を染める少女。周囲ほぼ全ての視線が集まった。
「こんな所じゃなんだしさ、ゆっくり話せるとこ行こうよ。いい感じの場所見つけたんだぁ」
「っ! 吸血姫と話すことなんてないわよっ」
今度は一気に騒然となる。
「つれないわね~。じゃ、気が向いたら来てよ」
「ひぅっ!?」
額にキスを落として、記憶映像を転写する。
「待ってるからね~」
右足をとん、と。展開した魔法陣に沈んでいく。
「今日は白か。いいねっ、かわいっ!」
「っ――! このセクハラ吸血姫っ!」
「待ってるよ~」
沈み切った直後、石床が砕け散る音が聞こえた。
「いや~……、もう少しでたんこぶできるとこだったわ」
「蚊が止まった程度にも思わないくせに、よく言うわよ」
住宅街から徒歩二時間程か、そこに広がる平原に、少女の声はよく通った。振り向けば、そこにはやっぱり黒い彼女が、刀片手に佇んでる。
「早いね」
さすが。
「こんな所まで出て来て、どうするつもり?」
「あんたを捕まえるつもり。一緒にいて欲しいんだぁ」
少女の顔が歪んだ。何かがぐらついたみたいに。
「私はごめんよ。あそこで一生一人でいなさいよ。化け物は化け物らしく、誰にも迷惑かけないようにひっそり生きて死になさいよっ! あんたにっ、わ、私にっ! 化け物に、居場所なんてないのよっ!」
吹き抜ける風が、少女の涙を攫っていく。
「いつもいじめられた! 何度も死にそうになった! 誰も――お母さんもお父さんも助けてくれなかった! 泥棒を倒したらっ、化け物って言われた! 悪い魔物を退治したら、みんなに怖がられた! 近付いて来た人はっ、私を戦争の道具にしたいだけだった! 味方なんて、どこにもいなかったっ!」
爆発した感情が、大気と地面を震え上がらせる。
「居場所は私の傍。味方は私。万事解決」
膨れ上がっていた魔力がしぼんでいき、少女の口からは、変な声が漏れた。目が点、とは正にこのことか。
「一緒にいよ? あなたを脅かす様なヤツは、全部私が叩きのめすから」
過去をどうにかすることなんて、誰にもできない。だから誰もが、これからに目を向ける。
振り返ることがいけないこと、だなんて思わない。むしろ私は、一見後ろ向きなこの行為を推奨する。とことん振り返って、自分を糧に歩いて、成長していけるから。それが、人間の強さだから。
この娘の場合、過去には成長を促進する効果なんてまるでなくて、苦しみと辛さだけが押し寄せて、どんどん沼にはまっていく。伸ばした手を握る誰かがいないから、ただただ沈んでいく。
「ずっと、頑張ってきたんでしょ?」
細い肩が跳ねた。
大きな力を持ってるだけのヤツなんて、いくらでもいる。
使いこなしてるなら、それは彼女が、ひたむきな努力を積み重ねた証だ。たった一人で、孤独に耐えながら。
「いつでも抱き枕になるよ? ぐっすり眠れたでしょ、あの日」
刀が滑り落ちた。
「美味しかったでしょ、コーヒー」
小さく頷いた。
「美味しいご飯、思いっきり食べたいでしょ?」
「うんっ……!」
大粒の涙が零れ落ちた。
生き物が当然にすることの悉くが、少女にとって命取りだった。どれだけの恐怖を抱えて生きてきたのか、想像もできない。できた所で、どうにもできない。
「当たり前のことを、思いっきり楽しもうよ、一緒に」
だから、私のこれからを捧げる。誰でもない、私の為に。
「帰ろう?」
額と額を会わせて頬笑む。今度は驚くことも、飛び退くこともなく、可憐に頬笑んだ。
吹き抜けたのは、爽やかな風。
涙は遠く遠く、どこまでも。