呪歌
真緒、菜緒についてカラオケ部にいった二人。彼らの『歌うこと』の講義とは?
部室棟から離れ、音楽室の隣。
「ここが、カラオケ部だよ」
真緒が立ち止まり、そう言った。
「カラオケ部か……何か楽しそうだな」
静波が呟くと、荒波が首を傾げる。
「カラオケって、何?」
「あ、そっか。家からほとんど出たことないもんな」
確かに、荒波はカラオケに馴染みはないだろう。そう言えば、影世界のカラオケとは、どんな歌があるのだろう?
「カラオケって、曲に合わせて歌を歌うのよ」
「?」
菜緒の説明では、いまいち伝わらないようだ。見れば早いとばかりに、真緒が部室の戸を開ける。
「「「ようこそ、『セイレーンの双子』!」」」
折り重なった、マイクを通した大音量。凄まじい音に、静波と荒波は耳を塞いだ。
「……うるさい。帰る」
「真緒ちゃん、ダメよ!」
菜緒の執り成しに、引き返しかけた真緒も足を止める。
「いや、あはは……ごめんなさい。やり過ぎました」
鉢巻きを巻いたメガネの男が、ヘコヘコと頭を下げる。
「カラオケ部の部長、越前 優斗っす。えへへ……」
軽薄な笑いを浮かべる優斗に、真緒は冷たい眼差しを向ける。
「で? 僕らを呼んだのは、新入部員に歌とは何かを教える為、だよね?」
真緒の言葉に、優斗は頷いた。部室は意外に広く、ソファーには五人ほどの部員が座っている。そして、大きなモニターの前にもう一人。
「あの、宍喰 鈴です。よろしくお願いします」
一年のピンバッチを付けた、少女がピョコリと頭を下げた。歳は、静波達と変わらないように見える。
「あんたが、噂の……」
真緒はそう呟くと、ソファーに座った。
「まず、歌を聴かせてよ」
「あの~、止めといた方がいいかも……」
何故か優斗が止めに入る。しかし菜緒も同感のようで、真緒の隣に座った。
「いいんですかっ!?」
鈴は嬉しそうに言い、マイクを手に取った。久しぶりに見るモニターに、静波は(影世界にもテレビはあったのか……)と、何処か不思議な気分になる。
「じゃあ……『裏警察ヒーロー』の主題歌を……」
モニターの下の機械に番号を入力する。どうやらリモコンはないようで、今時珍しい分厚い本が置かれていた。
「静波、裏警察ヒーローって何?」
「俺が知るわけないだろ」
小声で言っている間に、ノリのいい前奏が始まる。モニターには……
「……学園長?」
何故か、学園長がどアップになり、優しい笑顔を浮かべている。映像は切り替わり、学園の風景をバックに歌詞が表示された。
「さ~わやかな風に乗り~、彼が、彼が、彼がやってくる~」
鈴が歌い始めると、部員達が耳を塞ぐ。歌詞はともかく、酷い歌には聞こえないが、と思っていると。
「今だっ、ヒーロー! このチャ~ンスを~」
「………!?」
頭に痛みが走る。サビに近付くにつれ、痛みは段々と大きくなっていく。
「かっげっ世界を~、まっもっる~ため~」
「あああああっ! 『宍喰鈴、歌を止めろ』!」
荒波の言の葉が飛ぶが、カラオケの大音量で本人には聞こえていない。静波は、耳を塞いで痛みに耐える。
「なるほど」
やはり痛むのか、真緒も顔をしかめながら機械に近づいた。そのまま、曲を止める。
「行くぞ、みんなの……あれ?」
曲を中断され、鈴は歌うのを止めた。辺りを見回し、肩を落とす。
「やっぱり、歌っちゃいけませんか……」
「その歌声、能力なんでしょ?」
菜緒が訊くと、鈴は悲しげに頷いた。
「私、表世界でアイドルを目指してました。小さい頃からの夢で……でも、私の歌は、皆聞いてくれないんです。それどころか、音楽の授業でも歌うなって言われて、どうしてなのか、自分では全く分からなかった」
自分の頭は痛くならないのだから、理由が分からなくても仕方ないだろう。周りにしても、何故鈴が歌えば頭が痛くなるのか、分からないに違いない。
「小さい頃は、そんなことなかったんです。鈴ちゃんは歌が上手ね、歌手になれるねって言われてたから……」
「成長するにつれ、能力が出てきたんだね。僕らと同じだ」
真緒はそう言い、マイクを手に取った。菜緒にももう一本のマイクを寄越す。
「いいよ。僕らの歌を、聴かせてあげる」
真緒が菜緒に耳打ちし、彼女は頷く。機械に番号を入力せず、二人はアカペラで歌い始めた。
「す、凄い……」
優斗が呟く。音楽は分からない静波だったが、二人の歌声が美しい事はよく分かる。そして、悲しげなメロディーに、どんどん引き込まれていき…………
「あれ?」
気が付けば、静波はソファーに座っていた。眠ってしまったのかと、慌てて真緒と菜緒が立っていたところに目をやる。歌の最中に寝るなんて、いくら何でも失礼過ぎる。
「早かったね」
マイクを手にしたままの真緒が、無感情な声で言った。
「周り、見てごらんよ」
周りを見ると、みんなソファーに座っている。無感情な目が真緒と菜緒をじっと見ている。
「荒波、おい、荒波!」
弟の見たこともない表情に、静波は声を荒げて彼を揺すった。
「……しず、は?」
目を瞬かせ、荒波が静波を見る。目には光が戻り、正気だと分かった。少しして、カラオケ部メンバーの目も、正気に戻っていく。
「これが、僕らの歌。呪歌って呼ばれる類の能力さ」
「私達の歌は、みんなを魅了しちゃうんです。だから、聴いている間の記憶も無くなってしまう」
「あれ? 歌……聴いてたはずなのに……」
優斗が不思議そうにメンバーを見回すが、皆キョトンとした顔で辺りを見ている。
「分かったでしょ? 私達が、『セイレーンの双子』だって言われてる理由が」
歌で魅了する怪物の名前が、セイレーン。荒波がそっと耳打ちする。
「えっと、鈴さん。あなたの能力は、多分呪歌の中でも攻撃的なものだと思うの。精神波とか、そういう感じ?の。だから、アイドルは諦めた方がいいかもしれない」
菜緒に告げられ、鈴は俯いた。
「まあ、戦場ではアイドルになれるかもね。ただし、歌を武器に戦うことになるけど」
アイドルになれるかも、という言葉に、鈴はパッと顔を上げる。しかし、真緒の厳しい視線が、彼女を貫いた。
「大好きな『歌』で、誰かを傷付ける覚悟があるなら、止めはしないよ」
「あ……」
鈴は視線を逸らし、また俯く。
「……講義は終わり。菜緒、帰るよ」
「えっ、あの」
さっさと帰ろうとする真緒を、優斗が引き止めようとする。しかし、真緒はチラリと鈴を見て言った。
「さっきの歌、僕は好きだったよ」
出て行く真緒に付いて、菜緒も部室を出る。静波も出ようとしてチラリと部室を見ると、鈴が頭を深く下げていた。
「お疲れさん。終わった?」
ソファーでのんびりしている弓彦に、真緒が頷いた。
「あとは、あの一年生が決めるでしょ。そこまでは、僕らへの依頼じゃないよ」
「鈴さん、どうするかな~」
真緒と菜緒の前に、愛がアップルジュースを置く。ストローを噛みながら、真緒はぼんやりと天井を眺めていた。
「……あれ? タケさんは?」
部室を眺めて、荒波が訊く。確かに、あの大柄な姿が見えない。
「ああ、タケっちなら、まどかと一緒に演劇部に行ったぜ。鷹雄はどうか知んないけど、まどかはもう演劇したくないみたいだったからなあ……タケっちは、ボディーガードだろ」
「依頼を断るのに、そんな大事になるのか?」
怪力のボディーガードなんか付けなくても、まどかの威圧感ならすんなり断れそうだが。
「いや~、演劇部の部長、ほんと空気読めないから。マジ、図々しいにも程があるって感じで」
「へぇ……あのまどかさんの威圧感を感じないんだ。凄い人だね」
荒波も驚いたように呟く。
「もうちょっとで帰ってくると思うんだけどな……うまく断れたなら」
弓彦はそう言い、扉の方を見る。つられて見れば、バタンと開けられる。
「弓彦ぉ~。あたし、捨てられるかも~!!」
入ってきたのは、ナナコだった。悲しげな目には、涙があふれそうな程溜まっている。
「おいおい、ナナコ。新しい使鬼のことだろ? 大丈夫だって、鷹雄はそんな奴じゃないから」
抱きついてきたナナコを宥めながら、弓彦は困った声を出す。涙と鼻水を思い切り弓彦の制服にこすりつけ、ナナコは彼を見上げた。
「……ほんと?」
「本当だって。今までだって、ナナコは鷹雄と一緒にいただろ? ……さては、狗神と誰かが交代したんだな?」
弓彦の言葉に、ナナコは小さく頷く。
「……イザヨが、交代した。本人は、子守りから解放されて喜んでたけど」
「イザヨ……? 見たことないな、その使鬼」
付き合いが長そうな弓彦が、見たことない使鬼。少し興味が出てきたが、ナナコにとっては切実な問題のようで、さらに涙を浮かべる。
「イザヨが自由になったなら、あたしなんかもう用済みだよ~! うわ~んっ!!」
「いやいやいや、大丈夫だって!」
宥める弓彦だが、ナナコは泣き止まない。
「……僕、帰るね」
それを見ていると、真緒がそう言って席を立った。菜緒はアップルジュースのストローを噛みながら、その背中を見送る。
「いいのか? 一緒に帰らなくて」
いつも一緒にいるところを見ているので、静波がそう声を掛ける。しかし、菜緒は動かずに、静波に視線を移した。
「真緒ちゃん、いろいろ考えたいんだと思うの。一人の方が、静かだから」
確かに一番近い『双子』という存在でも、一緒にいたくないときだってある。
「……鈴さんを見て、思い出したんだと思う」
静波から視線を外し、菜緒は目を閉じた。何かを思い出そうとするように、深く。
「私達が、歌う理由」
それ以上菜緒は語らず、静波はその悲しげな表情を見ていられず、思わず部室の外に出て行った。
「あ」
出た先には、まどかがいた。剛志もその後ろにいる。
「おー、静波。見学は終わったかー?」
「あ、うん」
頷くと、剛志はガハハと笑う。静波の前に立ったまどかは、何故か浮かない顔だ。
「あの……どうしたんですか?」
遠慮がちに訊くと、まどかは溜め息を吐く。
「あの馬鹿、話が通じないのよ。しかも……」
言葉を切り、剛志を睨み付ける。
「この馬鹿も、まんまと乗せられて……」
「いやぁ……まどか様と共演のチャンスなんて、なかなかないんで……」
「???」
話が飲み込めない静波に、まどかが苛立ちながら説明する。
「『鷹雄の友達役』という餌に釣られて、私を売ったのよ」
「違っ! 売ったなんて、そんなわけないじゃないですかあぁぁぁ!」
なるほど、どうやら剛志はボディーガードにはならなかったようだ。
「……とりあえず、演劇部の問題はいいわ。それより、カラオケ部はどうだったの?」
まどかの問い掛けに、静波は真緒と菜緒、そして鈴のことを話した。剛志は黙ってそれを聞いている。
「……そう。真緒が、そんなことを……」
まどかは呟く。そして、部室に入っていった。
「……」
「……」
扉の前には、剛志と静波。二人で扉を見つめる。
「タケさん……欲望に忠実だな」
静波が言うと、剛志はニヤリと笑った。
「そりゃあそうだろ。去年は映像でしか見れなかったまどか様の作品に、出演できるチャンスだぞ? 相手役じゃなくても、撮影中は側にいられるんだぞ? もしかしたら、NGシーンだって見られるかも……だぞ!?」
そう言われると、確かになかなかないチャンスだろう。憧れの女性と一緒にいられ、しかも滅多に見られないところが見られるかもしれないのだから。
「……それより」
気になったことを、剛志に訊く。
「あの、映像って何?」
「ん? ああ、学園祭の出し物。演劇部は、毎年自主制作の映画を作るんだ。去年のは、まどか様が主演の『鶴の恩返し・リベンジ~さよなら、愛と勇気の裏警察』っていうラブコメディだったぞ」
いろいろツッコミ所はあるが。
「あのときのまどか様は、鶴の美人警察官で、本当に美しかったんだよな~」
「……っていうか、映像ってどこで見たんだ?」
この学園で映像が見られるものなど、カラオケ部のモニターしか覚えがない。
「ん? ああ、そうか」
静波の疑問に気付き、剛志が答えた。
「日曜日だけ、寮のテレビが解放されるんだ。あと、体育館に大型モニターがある。後は、カラオケ部のモニターだな。学園祭の間は解放されるから、そこで見られるんだ」
「へぇ~、そうだったのか」
日曜日にはテレビが見れると知り、静波は思わず頬を緩めた。しかし、剛志は肩を竦める。
「ただし、影世界の番組しかしないぞ。裏警察ヒーローとか、影世界昔話とか……」
「あ、そうなんだ……」
見たい番組はしないと分かり、静波はガッカリする。
「ニュースとかはしないし、やってるのは何か変な子供向け番組か、影世界の説教臭い番組だけだ。まあ、裏警察ヒーローは、一見の価値ありかもな」
「……歌聞くだけで、頭痛くなりそうだけどな」
鈴の呪歌を思い出す。あれはかなりの痛みだった。
「あれ見た子供は、裏警察に憧れて進路を決めるみたいだぜ」
「へぇ……」
裏警察に憧れるといえば、佐川鎮を思い出す。
「俺なんかは、裏警察なんて胡散臭い組織は苦手だけどな……鎮は、姉ちゃんが裏警察の幹部なんだと。佐川家は影世界でのエリートで、裏警察の幹部を何人も出してるって自慢してたぜ」
トップに立つと豪語していただけの血筋というわけだ。
「ま、卒業後のことなんか、今はどうでもいいよな」
剛志はそう言い、そういえば、と呟く。
「静波、どこかに行ってんじゃないのか? さっき、部室から出て来てたろ」
「あ、別に……」
「じゃ、部室に入ろうぜ。ラブちゃんの紅茶飲みたいし~」
剛志に背中を叩かれ、静波は部室に戻った。
「あれ? お帰り」
ソファーに座ったままの荒波が、静波に声を掛ける。
「よお、荒波。カラオケ部はどうだった?」
剛志が訊くと、荒波は冷静な口調で答える。
「まあ、歌う場所だってことは分かったよ。あと、かなりうるさいことも」
努めて素っ気ない口調で答えているが、静波には分かる。荒波はカラオケに興味があるようだ。
「いや~、カラオケはいいぞ! ストレス発散には最適だし、思い切り歌うことなんか、なかなかないからな! 学園祭じゃカラオケ部の部室も解放されるし、みんなで歌いに行くか!」
剛志はそう言いながら、荒波の肩をバンバン叩く。
「みんなって……ああ、そうか」
真緒と菜緒も一緒かと聞きかけて、言葉を止める。剛志は、彼らが呪歌を使うことを知らないかもしれない。
「学園祭かあ……結局、まどかさんは押し切られたの? すっごく怒ってたみたいだけど」
部屋にはまどかの姿はなく、どうやらその奥の小部屋に入ったらしい。
「タケさんに裏切られたんだってさ」
「あ、おい静波! 人聞き悪いぞ!」
顔を真っ赤にして慌てる剛志を無視して、簡単に荒波に説明する。荒波はふーんと呟き、剛志に冷たい視線を送った。
「最低。まどかさん、傷付いただろうなぁ。信頼してボディーガードしてもらったのに、さっさと売られて」
「うおぉい、荒波!」
散々言われ、剛志が顔を青くする。剛志の前に紅茶を出した愛が、クスリと笑った。
「でも、剛志さんの気持ちも分かります。昨年の作品、素敵でしたから」
あの、鶴がどうとかいう、まどかが主演の映画だろう。そう言われると、見たくなる。
「ま、学園祭まではまだ時間があるからなあ」
そう言ったのは、弓彦だった。ソファーにもたれかかり、ナナコの背を撫でている。
「……準備期間中に、また厄介事が起きるかもしれないしな」
厄介事。
昨夜の戦いを思い出し、静波は身震いする。
(神様、どうか厄介事なく卒業できますように……!!)
信じてもいない神様に一方的に頼みながら、静波はただただ平穏な日々を願った。
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