決意
「良い夜になりそうだ」
天樹の言葉に、青葉は眉をひそめた。
「後八日。美しい闇の日がやってくる」
天樹の言っていることは分かる。影世界を飛び出してからずっと待ちわびてきた、ようやく運命の日が迎えられる。しかし、どこか不安がつきまとうのは何故なのか……?
「天樹様、ついに悲願達成の日が来ますわね」
紅葉が艶っぽい声で天樹に擦り寄る。聡が居なくなってからしばらく塞いでいた彼女は、吹っ切るように天樹に尽くしていた。どこか無理をしているようにも見え、青葉は更に表情を強張らせる。
「朔の日に、全ての光が失われる。闇の中……ようやく我等の世界が訪れるだろう」
天樹の言葉に頷きながらも、青葉の表情は浮かない。そのまま部屋を退出し、青葉は隠れ家を出た。冬の空には美しい星が瞬いている。一瞬その空に影が走り、青葉の側についた。
「お帰り、ナズナ。あの影法師はどこに行ったのか分かったか?」
「カゲ、ホウシ、ヤシキ、イッタ」
ナズナと呼ばれた黒い鳥は、たどたどしくそう言った。優しく撫でてやると、首を擦り寄せてくる。
「カゲ、ホウシ、フタミノ、ヤシキ。タカオノ、シキ」
「やっぱりな。天行寺の坊ちゃんか……」
隠れ家の中にいた、見覚えのない使鬼。誰も気づいていなかったが、青葉はこっそりナズナに後を追わせていた。
(なら、この隠れ家はバレてるってことだな……。もしも裏警察に密告されていたら)
そう考えたが、考えても仕方ないと首を振る。天樹に報告するべきだろうが、青葉はそのまま空を見上げた。
(天樹を……光誠を、俺は護れるんだろうか?)
思い出すのは、あの炎遣い。あの言葉が耳に残っている。
『青葉のおっさん……あんたは、どうして?』
「俺は、どうして……」
夜空に浮かぶのは、遥か昔の幼い笑顔。ぼんやりと、青葉は天樹に出会った頃の事を思い出していた。
妖遣いでも小さな血筋に生まれ、特に不安もなく暮らしてきた。まだ、自分が大野原章太だった頃だ。双海家の当主に能力の使い方を教わっていた時に、柳谷光誠に出会った。
「ねぇ、妖見せて?」
屈託のない笑顔に、章太はジャオウを見せる。大きな土の蛇に、光誠と名乗った彼は更に笑顔になった。
「凄いね! かっこいい!」
素直な賛辞に、章太はくすぐったくて仕方ない。ジャオウはそれほど強くない妖で、兄は更に強い使鬼を遣っていた。別にそれを気にしていたわけではなかったが、褒められたことがこんなに嬉しいのなら少しは劣等感を抱いていたのかもしれない。
これを機会に二人は仲良くなった。幼く見えた光誠は実は章太と同い年で、それも二人に親近感を覚えさせた。親元から離されていたことも、兄弟のような感情を生んだかもしれない。師である満江は厳しかったが、それ以上の愛情を注いで二人を鍛えた。
「先生、どうしたの?」
その師が、とても辛そうな顔をする時期があった。喜ばせようと鍛錬を積んだり花を摘んできたりしてみたが、満江の表情は暗く。
「……じゃあ、今日は表世界の話をしようか」
ある日聞かされた話は、二人の……特に光誠の運命を大きく動かした。
満江を裏切った妹。妹をそそのかして表世界に連れ去った想い人。復讐してやる、と思い返し泣きながら話す満江を、どうしても笑顔にしたかった。
「僕は、満江先生の力になる」
そう決意した光誠を、護れる存在になりたかった。生まれて初めての親友の隣に、しっかり立てる男になりたいと。
「どこでどうなって、こうなっちまったんだか……」
青葉は溜め息を吐き、ナズナを肩に乗せたまま隠れ家に戻る。後戻りなど出来ない所まで来てしまった。数年前から薄々感じていた後悔が、青葉の心に陰りを落とす。
「先生、俺たちは間違っているのか?」
答えなど出ないことは分かりきっていても、呟かずにはいられなかった。あの日、師が光誠に狐面の呪いをかけたことで自分達を止めようとしていたことは分かっていたのに。
「……いや、俺は天樹の為に戦うんだ」
言い聞かせるように、青葉は拳を握り締める。薄曇りの月が、そんな青葉をそっと見降ろしていた。
昨日から、避けられてる気がする。
首を傾げながら、静波は朝食を食べていた。
「どうしたの?」
荒波の囁きに、静波はこっそり答える。
「なんか、ヨシちゃんに避けられてる気がするんだよな」
「静波、食事中は静かにしなさい」
母親に叱られ首をすくめる。いつも叱られるのは静波ばかりだ。
「ごちそうさま」
さっさと終わらせて二人は部屋に戻る。荒波の部屋の前を通ると、腕を引っ張られた。
「静波、来て」
そのまま荒波の部屋に入る。だだっ広い部屋にはあまり物がなく、静波はキョロキョロと辺りを見回した。昔からこうだったはずだが、どうにも落ち着かない。
「ヨシちゃんに避けられてる理由、心当たりあるの?」
荒波に訊かれ、静波は首を振った。心当たりがあるのならまだ良かったが、今回はさっぱりだ。
「気のせいなんじゃない? 僕が呼んできてあげるよ」
「あー、いいよ。今から行ってみるし」
静波が部屋を出ようとすると、荒波はそれを止めた。首を傾げる静波に尋ねる。
「タケさんに聞いた。戦うなんて、何考えてるの?」
「そのことか」
本題はそっちかと問えば、荒波は軽く頷く。しかし視線は真剣で、静波は溜め息を吐いた。
「戦うさ。俺にしか出来ないことだってあるからな。『神凪ぎ』を使えば、無駄な戦いが減るかもしれないし……多分」
広瀬の話を信じれば、操られていた裏警察の戦士が戦いを放棄するかもしれない。戦いは大きければ大きいほど、犠牲者は多くなる。また漣の時のような悲劇が生まれるかもしれないと思えば、静波は無意識のうちに奥歯を噛み締めた。
「『神凪ぎ』なんて、自由に使えもしないくせに。かっこ付けたって、足を引っ張るのは静波なんだよ? それでも戦うつもり?」
荒波の言うことはもっともだと思う。それでも、静波は決意していた。
「……まあ、言い出したら聞かないのが静波だよね」
溜息まじりにそう呟き、荒波は座椅子に座った。そのまま何か考え込む。こうなった荒波は周囲の音を遮断することを知っているから、静波はそっと部屋を出た。
「言い出したら聞かないのはどっちだよ」
こっそり呟き、静波は離れに向かう。女子に割り当てられた部屋の前に行くと、のんびりとあくびをしながら出てきた彩奈とぶつかりそうになった。
「あ、ごめん」
「あー、静波さん」
部屋着なのかモコモコとした服に着られたような彩奈は、ニコリと微笑む。
「ヨシさんを探してるんですか?」
「え、ああ、まぁ……」
あまり良く知らない女子に目的を言い当てられると、気まずくて言葉が出てこない。しどろもどろになる静波に、彩奈は更に笑みを深めた。
「ヨシさんは部屋にはいませんよ? 何かあったんですか?」
完全にゴシップモードの訊き方に、静波はどう答えていいのか分からない。思わず一歩下がると、後ろにいた人にぶつかった。
「あ、ごめ……」
「静波さん」
そこにいたのは紛れもなく探していた愛で、表情は硬い。どうしたのかと訊く前に、彼女は言った。
「満江様がお呼びですよ。大事な話だそうです」
丁寧な口調はいつもの事なのだが、どこか距離感を感じる。不思議に思って近寄ろうとすると、愛はするりとその横を通り抜けた。
「彩奈さんも来て下さい」
「えっ、私も? どうして?」
困ったように彩奈がそう言うが、愛は頭を下げてくるりと背を向けた。そのまま遠ざかっていく。
「なんか、急ぎの用事かな? じゃ、先に行くね」
彩奈が行こうとし、ふと静波を振り返る。
「あ、満江様ってどこ?」
静波はしばらく動けずにいたが、彩奈の声にようやく歩き始めた。愛が去った先には満江の部屋がある。その前に立つと、同じく立っていた鷹雄と総夜が二人を見た。
「荒波は?」
鷹雄に訊かれ、首を振る。このメンバーならまどかもいてもいいはずだが、彼女の姿もない。少し待ったが誰も来ず、静波は前に座って声を掛けた。
「お祖母様、静波です」
「お入り。他の子達もね」
言葉に従い中に入る。満江は座ってはいたが、少し姿勢が崩れていた。
「ばぁちゃん、大丈夫か?」
「あんたに心配させるほど、あたしゃ年じゃないよ」
そう言いながらも、満江の顔色は悪い。鷹雄が支えようとすると、彼女は手で振り払って背筋を伸ばした。
「鷹雄、あんたの使鬼が『世界』の敵の居場所を教えてくれたよ。それと、決戦の場をね」
机には地図が広げられている。赤いペンで丸が付けられている場所は二つ。
「ここは、表世界の中でも清浄な場所さ。八日後、ここで戦いが起きる」
「何で八日後なんだ?」
静波の問い掛けに、満江は溜め息を吐いた。
「あんたは、影世界にすっかり染まっちまったのかい? ここには、あんたがいつも見ていた物があるじゃないか」
首を傾げる静波の前に出された、今朝のものだと思われる新聞紙。それを見て、そう言えば毎日見ていたテレビを見ていなかったことに気づく。新聞紙の一面の片隅に、小さめの記事が載っていた。
「……日蝕?」
それは、近々日蝕があるだろうという記事で、いつもの静波には興味もないものだ。しかし、鷹雄も総夜も真剣な目で文章を読んでいた。
「日蝕の日が、何か都合がいいの?」
鷹雄に訊けば、彼は重々しく頷く。
「妖は、夜の闇を好む。更に日蝕に生み出された闇は、彼らの能力を完全に引き出すと言われているんだ。青葉は妖遣いだから、その日が一番勝率が高いだろうね」
「でも、それならこっちも有利じゃないか。鷹雄さんとまどかさんがいるんだし」
「確かにな。我々獣化能力者にも好都合だ。……しかし、だからこそ何故この日を選んだのか、俺にも理解不能だが」
静波と総夜の言葉に、鷹雄は確かにと頷く。しかし、満江は硬い表情のまま答えた。
「妖には確かに闇の中で力を発揮するよ。しかし、闇で活性化するのは妖だけじゃない。表世界の小さな『闇』だって、その時には影世界を凌ぐ闇へと変貌するんだ」
「……?」
言っている意味が分からず、静波は首を傾げる。溜め息をつく満江に代わり、鷹雄が耳打ちした。
「能力も影世界の方が使いやすいんだ。闇の中は、異能力と相性がいいらしいよ」
「つまり、光誠が『神惑い』を最大規模で使えるのはこの時だということさ。あの封印が解けてから、少し時を置きすぎたね……。あの力は、全てを支配する。表世界の制圧を目的とするのなら、この日を選んでも不思議はない」
その説明を聞いても、静波にはピンとこなかった。裏警察にも能力者は大勢いる。『世界』の敵の規模がどれくらいなのかいまいち分からないが、潰し合えば表世界の支配どころではないはずだが。
「光誠が日蝕を狙っているのは間違いない。ただ、どういう作戦で戦うか……本拠地に乗り込むにも、こっちは戦力が少ないからね。でも、みすみす日蝕を待つのも……」
思案顔の満江に、どうすればいいのか分からずに静波は黙って聞いているだけだ。鷹雄が総夜と視線を交わし、何かを言おうとした時。
「それなら、私が力になれるかな?」
「あんた……いつの間にいたんだい?」
突然割り込んできたのは、学園長だった柳谷だった。
「テレポートしてくるなら、一言連絡を入れてくれないかね?」
「満江さん、済まないね。もうすぐ戦いの時だと思えば、じっとしていられなくてつい立ち聞きしてしまった」
ゆったりとその場に座り、満江をじっと見る。満江は目を閉じ唸った。
「……確かに、柳谷のアスポートなら全員を戦いに送り込んでもらえるかもね」
「学園長、でも……」
鷹雄は困ったようにつぶやく。
「天樹は……学園長の息子さんなんですよね? 俺たちは、彼らの敵なんですよ? それでも、俺たちに協力してくれるんですか?」
「確かに、天樹……光誠は私の一人息子だ。しかし、だからこそ過ちを正すのは親である私の役目でもある。君達の力を貸してもらいたいのは私の方なのだよ」
柳谷の言葉に、鷹雄は口を閉じる。確かに移動手段として協力してもらえるのは有難い。しかし、本当にその言葉を信じていいものか……。
「いいじゃないか」
そう言ったのは満江だった。首を傾げる静波に皮肉げに笑う。
「どうせ、虎穴に入らずんば虎子を得ずだよ。こっちは人数も少ない上に戦闘力が低い。直接戦えるのが、使鬼と獣人だけじゃねえ……」
「タケさんとかもいるけど」
ぽつりと静波は言ったが、満江は聞いてはいないようだ。ふと鷹雄に顔を向けて呟く。
「いっそ、九頭龍も連れて行くか」
「先生!」
顔を強張らせて鷹雄が声を荒げる。思わず身を竦めた静波だったが、ふと視界に入った柳谷の握り拳が震えていたことに気付いた。
「?」
しかしそれも一瞬で、見間違いかと静波は目を瞬かせる。
「……そうだね。九頭龍が目醒めでもすれば、表も影も地獄になるだろうね。だけど、正直言ってこの戦いは勝ち目が無さすぎる。多少の危険は承知でそうするのも手だとは思うけどね」
満江はそう言い、ゆっくりと目を閉じる。落ちた沈黙の中、柳谷が呟いた。
「八日後を待つのかい? 先に裏警察と戦うという手もあると思うのだが」
「裏警察も、恐らく八日後の戦いに備えていると思います。こちらが乗り込もうにも、場所も分からないし……」
困ったような鷹雄に、ふと静波は親友の顔を思い出した。
(椎名なら、知っているかもしれない)
確か、父親からあの祭会場で何かが起こるということを聞いていたはずだ。後で聞いてみようと思ったが、携帯番号を覚えていないことに気付く。
(親父が解約しなきゃ……!)
悔しげな顔になる静波を不思議そうに見て、黙っていた彩奈が手を挙げた。
「私も、先に裏警察と戦いたい。お兄ちゃんを助けたいの」
総夜がその頭を撫でる。獣化能力者のみんなの目的は、確かに裏警察だったはずだ。
「……俺、ちょっと行ってくる!」
静波は部屋を飛び出した。庭を抜け、私道に面した駐車場に向かう。そこには、やや時代を感じる車を丁寧に洗っていた運転手がいた。
「菜園場さん、車出して!」
「ありゃ、坊ちゃん。どこへ行かれるんで?」
「学校!」
菜園場はそれ以上は訊かずにサッと泡を洗い流した。手を拭き、運転席にスルリと乗り込む。静波も後部座席に乗ったのを確認すると、やや乱暴に発進させた。
(この時間なら、椎名は授業中のはずだ……。早く、裏警察に利用されてる人達を解放しなくちゃ!)
その中には一度だけ見たことのある沖田悠樹だけじゃない、恐らく鎮や他のクラスメイトもいるはずなのだ。見知った顔と戦う辛さは、鷹雄と漣と戦った時に十分味わわされた。
(俺の……この『神凪ぎ』で!)
揺れる車内で、静波はグッと拳を握りしめた。
これは夢なのだと、心の何処かで理解している。
目の前には、小さな男の子がいる。まるで鏡を見ているかのように、自分と同じ顔をした分身が。
「ねぇ、またあの唄で遊ぼうよ」
自分がそうせがんだ。これは、夢なのだろうか?
「いいよ」
男の子は小さな手を合わせた。少しだけ、辺りを見回す。これは二人だけの遊びで、誰かがいるところでは決して見せてくれなかった。
「ひぃとつ、ひのかみもえさかり」
「ふぅたつ、ふくふくかぜのかみ」
「みぃっつ、みなものながれがみ」
「よぉっつ、しこふむつちのかみ」
男の子が唄い、手を組んでいく。自分も真似するが、なかなか上手くいかない。
「いぃつつ、いつでもみているめ」
「むぅっつ、むこうかしずかなば」
「ななぁつ、なんでもいのままに」
「やぁっつ、やまいもすぐなおす」
単調なメロディに乗せられた数え唄。意味も分からずに聴いていたのは、現実の過去だっただろうか?
「ここのつ、このよをくらうへび」
男の子がふと笑う。その顔は、生まれたときから一緒だった自分でも見たことが無い表情で。
「とおでめざめる……」
その後に、何かが続いた。それは、確かに聞いたはずなのに……
ブロロロロ……
聞き慣れたエンジン音に、荒波は目を覚ました。いつのまにか、うたた寝していたようだ。体を伸ばし、ふとさっきまで見ていた夢を思い出す。
「……あれは、静波?」
答える声はなく、荒波はただあの唄を思い出そうと深い思考に入っていった。




