御伽噺
「さて、話の続きといこうか」
満江の声に、静波は背筋を伸ばす。この部屋には満江と静波、そして荒波と恭一がいた。
「鷹雄さんは?」
荒波の問い掛けに、静波がこっそり答える。
「流の相手してるらしいぞ」
ふーん、と呟き、荒波は満江の顔を見る。彼女はジッと目の前の本を見つめ、そして恭一に訊いた。
「どこまで読んだ?」
「九頭龍の話を。お伽話程度には」
恭一の答えに、満江は頷く。
「これには、恐らく事実は書かれていない。ただ、九頭龍が過去に何をしたのかは、これで分かるだろうね」
まだ読んでいない本を目の前にして、静波は手を伸ばす。しかし、やはり読めない字が並んでいて、こっそり溜息をついた。
「あんた達にも、読み方を教えておけば良かったね。まあいい、粗筋を説明しておこうか」
満江は本を手に取り、ページを開いた。あの九つの頭の龍が描かれたページだ。
「遠い昔、まだこの世界が表と影に分かれる前の話だ……」
満江の静かな声が、部屋に響いていった。
昔は、世界に人間と共に妖が住んでいた。両者は付かず離れずの距離を守り、良好な関係にあった。
しかし、何時しかその両者のバランスは、誰もが気付かないうちに軋んでくる。
人間は次第に闇を恐れる事を忘れ、妖の住処を奪っていく。妖達が危機感を覚えた時、その存在は現れた。
妖神・九頭龍
妖達の神として、その龍神は出現した。その存在に妖達は喜んだが、すぐに恐怖を感じる事になる。
九頭龍は、人間を滅ぼそうとした。しかし、妖もまた、人間達と共に存在するイキモノだ。人間を滅ぼす事は、自分達の破滅を意味する。
また、人間を必要としない妖も、やはり九頭龍を怖れた。九頭龍のやり方は、大地や自然をも破壊するものだった。
このままでは、人間も妖も共倒れになる。そう感じた妖は、人間達に力を貸す代わりに九頭龍を倒して欲しいと願う。人間も、その意志に応じた。妖遣いは、その時に誕生した。他の異能力遣いも、妖に能力の使い方を教わった。それが、今の影世界の住人達だ。
戦いは、長時間にわたった。九頭龍は一つ一つの首に破壊的な力を持ち、人間も妖も圧倒した。妖は、妖神に逆らう事は出来ない。ただ、妖遣いに遣われた者は『真名』の支配を逃れ、九頭龍と戦うことが出来た。
大勢の犠牲者が出た。大地は血に塗れ、志半ばで斃れた者の屍を越え、また新たな者が戦いを挑む。九年と九ヶ月経った頃、遂に人間達に新たな能力が芽生えた。
一人の新しい能力者・言の葉遣いが、九頭龍の真名を支配する。それにより、漸く人間達に反撃のチャンスが訪れた。攻撃を緩めることなく、九頭龍を追い詰めていく。それでも倒す事は難しく、能力者達は九頭龍の首を一頭ずつ引き裂き、それらを封印した。極一部の九頭龍を崇拝する妖に封印を暴かれないように、封印は人間の血に行われた。しかし、妖も人間を全面的に信頼はしていない。四つの元素は影世界の妖に封印した。そして、この世界は二つに分けられた。
人間が住む表世界。
妖が住む影世界。
こうして、お互いの不干渉を前提とし、九頭龍は永遠の眠りに就くことになった。
しかし……
「あれ?」
静波は首を傾げた。
「じゃ、なんで影世界に人間が住んでるんだ?」
「そりゃ、能力者が恐れられたからさ」
満江はそう言い、皮肉気に笑う。
「妖から能力を目覚めさせてもらった人間は、その才能が脅威になるなんて思っても無かったけどね……。でも、平和になった世の中でその能力を悪用する者も、確かに存在した。だから、能力者はどんどん排除されて、仕方なく影世界に逃げ込んだ。その後、影世界の秩序を保つ為に五名家が能力者を統括して、影世界に人間の居場所を作ったんだよ」
なるほど、と静波は納得する。確かに、世の中には異質な物を排除する空気というものはある。それが原因でイジメがあったり、事件が起きたり、最終的には戦争などということが起きたりするのだ。
「まぁ、そういう事で……結局封印は影世界に集まってしまったんだよ。しかし、九頭龍の力を持って産まれた子どもを排除する事で、封印は保たれた。それに、五つの『神殺しの力』は一世代に集まる事は無かったはずだ。
だけど……」
満江は言葉を切り、離れの方に目を向けた。
「まさか、五つの『神殺しの力』が揃う事になるとはね……」
「でも、四元素の力は妖が封印しているんですよね? なら、九頭龍が目覚める事は……」
荒波がそう言ったが、満江の表情は硬いままだった。
「四元素は、妖ならほとんどが身に秘めている。強弱の差はあるけれど、比較的に封印としては弱いものさ。それに……こうなってから、ようやく気づいた事がある」
「気づいた……事?」
静波の顔をしっかりと見つめ、満江は言った。
「天行寺流に近付いてはならない。恐らく、『神喰い』が九頭龍を目覚めさせる鍵になる力だよ」
妖を取り込んで強くなる、天行寺に封印された『神喰い』の能力。確か、流は火と水の力を使っていた。もしも、それが『封印を解く』という行為に繋がっていたら。更に、確かジャオウも取り込んだはずだ。火、水、土。流は既に、三つの元素の封印を解いたのか?
「でも、どうして流がそんなことを? あいつは、何も知らなそうにしてたのに」
「さてね。流の中に九頭龍の意思があるのならば、そいつがさせているのかもしれない。とにかく、九頭龍を目覚めさせないためには」
満江はそこまで言うと、突然口を閉ざした。不思議に思っていると、部屋の外に気配がする。
「盗み聞きとは趣味が悪いよ。聞きたいのなら、中に入っておいで」
少しして、引き戸が開く。そこに立っていたのは、まどかだった。
「すみません。でも……どうしても聞きたくて」
まどかは座ると、満江をじっと見つめた。
「どうすれば、九頭龍を止められますか? そして、それは『世界』の敵にも関係ある話ですか?」
「……『世界』の敵というのが、光誠が作った組織なら、関係ない話じゃないね。光誠の『神惑い』は、九頭龍の力の一部なんだから」
「では」
黙って聞いていた恭一が、ぽつりと呟いた。
「九頭龍を止めるには、能力を揃えさせなければいい。『世界』の敵を倒し、柳谷光誠を殺すか……静波を」
「バカなこと、言わないでよね!」
声を荒げたのは、荒波だった。恭一に詰め寄り、下からギロリと睨み付ける。
「静波を、殺すって言うの? ふざけたこと言ってんな!」
「我は、ただ出来る可能性を告げただけだ。もしも、流が我々よりも先に『世界』の敵に出会いでもすれば、天樹が『神喰い』されるかもしれない。そうなれば、我々は静波を殺すか、神を敵とし戦うしか打つ手が無くなる」
「なら、『世界』の敵を倒せばいいんでしょ? 可能性だろうがなんだろうが、あり得ないことを言わないで」
話している内に落ち着いてきたのか、荒波は大きく息を吐く。まどかはそれを見た後、静かに呟いた。
「九頭龍本体を倒すという手もあるわ。……目覚める前に」
静波は思わず窓の外に目をやった。ここからチラリと見える離れに、鷹雄と流がいるはずだ。
「止めておきな」
しかし、満江の答えはシンプルなものだった。顔を強張らせたままのまどかに、真っ直ぐ向き合う。
「九頭龍の自己防衛能力を、甘く見ないことだよ。あんたたちの話じゃ、流は既に水と火の力を手に入れている。炎の嵐が荒れ狂えば、こんな屋敷あっという間に無くなっちまうよ」
軽い調子で言っているが、本当にそうなれば屋敷どころの話ではないはずだ。まどかは眉を顰めたが、それ以上は何も言わなかった。気まずい沈黙が、部屋を支配する。静波はただ、他人事のように誰かの発言を待っていた。……いや、待つしか出来なかった。
「静波、顔色が」
心配した荒波が静波を覗き込む、その時。
「満江様、少し宜しいでしょうか?」
控えめな声に、満江は席を立った。彼女の退室に、静波はそっと息を吐く。
「とにかく、敵は九頭龍よ。目覚める前に、何とかしなくては」
「いや、敵は『世界』の敵だ。流よりも、天樹を倒した方がいい。そうすれば、自動的に九頭龍の復活も防ぐ事が出来る」
まどかはあくまで流を相手にする事を想定し、恭一は『世界』の敵との戦いまで待つ事を提案する。苛立ったように爪を噛むまどかに、ふと荒波が呟いた。
「まどかさん、何を焦ってるの?」
ピクリと肩が動いたが、それだけだった。まどかはいつもの涼しげな顔で、荒波を見つめた。
「私はただ、今出来ることを提案しただけよ。……でも、今のままではまだ答えは出ないようね」
沈黙が、部屋の中を漂う。チラチラと注目を集める入り口が、スラリと開いた。
「鷹雄?」
まどかが呟く。そこに立っていたのは、確かに鷹雄だった。
「満江様は? それに、流はどうしたの?」
まどかの質問に、鷹雄は浮かない顔のまま答える。
「宵闇が、帰ってきたんだ」
その答えにならない答えに、まどかは何かを思案し始める。首を傾げている他のメンバーに、鷹雄は告げた。
「『世界』の敵が、動き始めた。裏警察を潰すつもりだ」
この表世界で、ついに大規模な戦いが起こされる。それを想像しただけで、静波は苦しくなって歯を食いしばった。




