渚
満江は、ゆっくりと窓を閉めた。二人の前に座り、静かに笑う。
「あの……双子って……」
ようやく、荒波が声を出した。静波も、じっと満江を見つめる。
「私と渚は、双子の姉妹だった。……五歳の頃、私に言の葉の能力があることが分かり、『神凪ぎ』の可能性がある渚は、殺されることになった」
訥々と語る満江の顔には、静かな笑みしか窺えない。
「仕方ない事……でも、私の両親はどうしても渚を諦められなかった。渚は、影世界にある本家の一室に隠されて、隔離状態で育てられた」
ふと、静波は自分の部屋を思い出す。母屋と離れの間のあの部屋は、確かに目に付きにくい場所だった。
「そう、あんたのあの部屋は、その部屋と同じ意図で作られているね」
満江は静波に言い、また話を続けた。
「本当なら、渚は一生あの屋敷から出ることは無かった。……でも、あの子を連れ出した男がいた」
「……誰が?」
荒波の呟きに、満江は初めて何かを懐かしむような表情を見せた。
「……私の家庭教師として、特例で表世界から来ていた男。私の……初恋の相手。彼は、渚の存在を知り、二人で消えてしまった……」
満江の口に、苦笑いが浮かぶ。
「……私は、妹を恨んだ……。確かに、婚約者がいる私には、彼は憧れるだけの相手だった。それでも……その想いを踏みにじられた気分だった……同じ顔をした、妹に」
満江の手が、緩やかに震える。それは、怒りなのか後悔なのか。
「渚が消えてから、両親は捜すことはしなかった。表世界から影世界に来るには、限られた方法しかないからね……例え『神凪ぎ』を持っていたって、表世界では大した異能力じゃない。元々、異能力のない世界なんだから」
確かに、異能力のない表世界で、異能力の無効化という力が目立つことはないだろう。恐らく、渚という女性は、表世界で幸せになれたはずだ。
「……でも、ある日突然……あの子は帰ってきた」
満江は秋の空を見上げ、その遠さに目を瞬かせる。
そう、あれはとても暑い日だった……。
「お姉様」
そう呼ぶ人物は、ただ一人しか知らない。満江は、驚いて声の方に目をやった。
「……渚……」
恐らく、彼女は渚なのだろう。十二を過ぎた頃から会っていなかったが、満江はそれをすんなりと受け入れた。
彼女の顔は、自分にそっくりだったから。
「……どうして……あんたは、洋二さんと……」
家庭教師をしていた男の名を出せば、渚は視線を地に落とす。
「……あのね、お金を……融通してもらいたいの」
「……え?」
妹の突然の言葉に、満江はただ声を漏らす。しかし、渚は縋りつくような視線を向けた。
「お願い、お姉様……。洋二さんを助けるためにも、どうしてもお金が必要なの……」
満江は、ただ渚を見つめる。妹は、とにかく訴える視線を満江に注ぐ。
「洋二さん……このままじゃ手遅れになってしまうわ……。お姉様、お父様に会わせてください」
「何を今更……あんたはこの家を捨てたんじゃないか。表世界の事は、そっちで解決すればいい。お父様もお母様も、あんたを護ろうと必死だったんだ。なのにあんたは……その愛情を裏切ったんだよ‼︎」
満江の言葉を、渚はじっと聞いていた。その静かな視線に、満江の方が追い詰められたような気分になる。
「とにかく……さっさと帰りな。そして、二度と現れないでちょうだい」
ようやくそれだけ言うと、満江は背を向けた。これ以上、その顔を見たくない。しかし、渚は立ち去ろうとはしなかった。
「お姉様、貴女は洋二さんがどうなっても関係ないと言うの? あの人は、お姉様にとって……」
そこまで聞いて、満江は自分の頭に血が昇るのをハッキリ感じた。妹は、自分の気持ちを知っていたのだ。その上で、彼と手をとって逃げる道を選んだ……。
「あんたは……私を裏切ったんだ。もう、顔も見たくない!」
向き直り、満江は渚を睨み付ける。そして、言の葉に力を込める。
「『双海渚、今すぐ私の前から消えな!』」
何の力も持たない渚は、言の葉に支配されるはずだ。そう思っていた満江は、目を疑った。
「嫌……いやああああ‼︎」
渚の叫びで、何かが壊れる音が聞こえた気がした。呆然と見つめる満江の目の前で、渚は確かに立っている。その両足は、移動を始める気配もない。
「嘘……どうして……⁉︎」
自分の言の葉が、効かないはずがない。今までだって、言の葉の支配が及ばない相手などいなかった。両親だって、親戚の誰だって、満江の言の葉を不世出の才能だと褒め称えてきた。なのに、お荷物でしかない妹に……効かないはずが……。
「どうして、どうして言の葉を使ったの……? お姉様、どうして……」
渚の言葉が、静かに流れる。しかし、満江には目の前に立っている妹が、何か別の生き物のように見えて仕方なかった。何故。どうして渚は立ち去らない? もう一度言の葉を使おうとし、満江は唇を噛む。もし通じなかったら? 今度こそ、自分の力を信じられなくなる。そんなことは、満江のプライドが許さなかった。
「……あんたなんか……あんたなんか‼︎」
後になってから、満江は自分自身の行動が信じられなかった。ただ、その時は、こうするしかなかった気がした。
「……お姉様……」
か細く呟かれた言葉。そして、血の海に倒れる……自分と同じ顔。
「渚……?」
呼び掛けても応える声はなく。
「……渚……なぎさぁ……」
自分の頬が濡れているのも気付かずに、満江はただただ妹の名を呼び続けた。
「狭い世界しか知らなかった私には、言の葉は誇れる力であり、大きな武器であり……自分自身を守る盾だった。だから、言の葉が効かない渚は、恐ろしい敵に見えたんだよ」
満江の話に、静波も荒波も黙っていた。口を挟める雰囲気ではない。満江は自嘲めいた笑みを浮かべ、ゆっくりと自分の両手を見つめた。
「あんな事をしておいて、私にはあの時のハッキリした記憶は無いんだ。ただ、事態を知った両親が妹の遺体を密葬した事は、後から婆やから聞いた。……それで、全ては終わったんだ。そう思おうとしたんだよ」
満江は溜め息を吐き、頭をゆるゆると振る。
「でもね。私はずっと妹を許せなかった。私の気持ちを知りながら、あの人を奪った妹を。言の葉を無効化し、詰ってきた妹を。だから、表世界をも恨んだ。表世界さえなければ、妹はいなくなることはなかった。表世界からあの人さえ来なければ、妹が私を裏切る事はなかった……」
では何故、祖母は表世界に移り住んだのか? 話が分からなくなり静波は荒波を見たが、彼も困ったような顔で見返してきた。
「……渚の話は、これで終わりだよ。さあ、満足したかい?」
満江はそう言うと、二人に背を向ける。何も話さないという意思の表れに見え、荒波は眉を顰める。しかし、静波は違った。
「ばぁちゃん……渚さんの事、本当に好きだったんだな」
静波の言葉に、満江はゆっくりと息を吐く。
「……そうだね。初めから、そう認めていれば良かったんだ。そうすれば、私は渚に無駄な嫉妬をせずに済んだのかもしれない。……愛情を裏切られたなんて、苦しまずに済んだのかもしれないね……」
穏やかな笑みには、自嘲の色を滲ませて。
「愛情に、裏切りも何もないのにね……」
祖母の弱った姿に、静波も荒波も口を噤む。そっと部屋を出る二人を見送ることなく、満江はただ自分の両手を見つめていた。
「ねえ、静波」
自室に戻ろうとした静波を、荒波は呼び止めた。振り返れば、神妙な顔付きの弟が立ち尽くしている。
「どした?」
首を傾げて訊ねれば、荒波は何度か口を開きかけてはまた閉じる。少し苛つきながら待っていたが、聞こえてきたのは「何でもない」という言葉だった。
「はあ?」
「僕、部屋に戻るよ」
そう言い、荒波はさっさと歩き去る。見送りながら、静波は首を傾げて呟いた。
「何なんだ、あいつ……?」




