帰郷
「どうしたの? その荷物」
荒波の呆れた声に、菜緒の顔が歪んだ。
「だ、だって……いっぱいになっちゃったんだもん……」
あれから一週間。期待していた新戦力は集まらず、特能ボランティア部のメンバーは表世界へ行くための準備をしていた。各々荷物を持ち、体育館に集まる。小さな身体で重そうな荷物を運んできた菜緒に、皆は口々に助言していた。
「要らない物は、置いていった方がいいよ。どうせ、寮生活みたいに個別に部屋があるわけじゃないんだし」
真緒のアドバイスに、菜緒はトランクを開ける。無理やり閉められていたそれは勢い良く開き、中には服や小物が沢山入っていた。
「そのリュックの中は?」
「これは……のど飴とか」
女の子の荷物の中身を見るのは気恥ずかしいが、興味はある。静波も覗くと、気付いた菜緒が慌ててリュックの蓋を閉めた。
「もう、ダメっ!」
「あ、ゴメン」
菜緒がリュックの中をこっそり見ている内に、真緒がトランクの中身をさっさと選別する。
「ほら、これで軽くなったよ」
「もう! にゃーちゃんは連れて行くの!」
大きな猫のぬいぐるみは、真緒の手で不要物に入れられている。菜緒は慌てて拾い上げ、埃を払う。両手でしっかりと抱き締めているのを見れば、手放す意志がないことははっきり分かった。
「タケさんは……それだけ?」
一方、剛志は身軽なものだった。大きくないリュックを担ぎ、首を傾げる。
「そんなに荷物なんかあるか? 要る物は買えばいいしよ」
確かにその通り。しかし、その言葉に奏太が低い呻きを上げる。
「影世界から出て行くんだろ? お小遣いだって打ち切りになるのにさ……」
学生と社会人経験者の違いか。奏太の荷物もなかなか多く、両手にいっぱいになっていた。
「まあ、生活必需品とかは、多分家で用意してくれると思うけど……」
「そりゃ有り難いけどさ、やっぱり遠慮とかするもんだろ?」
そう言われれば、自分だってそうかも知れない。そう思い、静波は頷いた。まどかや愛も、やはり荷物は少なくない。全体的に女性陣は荷物が多く、男性陣は少ないようだ。
「これで、いいかね?」
学園長の言葉に、鷹雄が頷く。
「お願いします」
ふわりと感じる、不快な違和感。身を委ねると、急に周りの空気が変わる。
「静波坊ちゃん、お帰りなさいませ!」
聞き覚えのある声に目を開ければ、初老の女性が立っていた。
「あ……ハナさん」
「荒波様も……よくぞご無事でお戻りくださいました」
ハナは荒波に頭を下げ、側の荷物を手早く集める。他のメンバーも次々と現れ、辺りを見回した。
「当主より、皆様のことは伺っております。長の旅路、さぞかしお疲れのことでしょう。お使いいただける部屋まで、私が御案内いたします」
「長の旅路だってさ……一瞬だったのに」
弓彦が、笑いながら静波に耳打ちする。鷹雄が窘め、皆はハナの後について行った。
「……部屋まで荷物持とうか? 荒波様」
久し振りに、この家での呼び名を口にする。影世界には僅かしかいなかったというのに、その呼び名はやたら違和感を覚えた。荒波も同じだったようで、眉間に皺を寄せて静波を見返す。
「……止めてよ。静波にだって能力はあったんだし、もう様付けは禁止!」
荒波はそう言い、荷物を持って歩き始める。自室の前に立ち、ふと静波を見た。
「……荷物置いたら、皆の所に行く?」
「いや、まだバタバタしてんじゃないか? しばらく部屋で休もうぜ」
静波の言葉に、荒波は素直に頷く。その部屋の前を通り過ぎ、静波は長い廊下を歩いていった。母屋と離れを繋ぐ廊下の側に、静波の部屋がある。久し振りの引き戸を開けると、ごちゃごちゃと物が溢れかえった室内に入った。
「うわー、何か懐かしいな」
机の上は、一応片付いている。そこに荷物を置き、ベッドに腰を下ろした。足元にあったタウン誌をパラパラと捲り、落ち着かずに辺りのペットボトルを片付ける。
「……広いなあ」
部屋には沢山の物が溢れかえり、そのどれもが静波の心に入ってこない。ふと寂しさを感じ、それはいつも一緒だった荒波の存在がここにないことだと気付いた。
「……なんだよ、今更」
ずっと一人部屋だったのに、影世界での生活がこんなに影響してくるとは。
「……寝よ」
寂しさを認めたくて、静波は眠くもない目を閉じる。そして、ここよりもっと広い自室にいる弟も同じように寂しいのだろうかと、ぼんやりと思った。
食事の時間になり、ハナに呼ばれて静波は居間に向かう。双海家は純和風な家屋だが、キッチンやテーブルなど、食卓は洋風になっている。今まで座っていた席に着けば、久し振りに見る父と母がそれぞれ所定の席に座った。
「静波、お帰りなさい」
母に言われ、静波は「んー」と呟く。父はチラリと見ただけで、特に何も言わなかった。これもいつものことなので、静波も何も言わない。
「お待たせしました」
最後に、荒波が席に着く。料理が運ばれ、静かな空気の中夕食が始まった。
「御祖母様は?」
荒波が訊くと、父がチラリと祖母の席に視線を向ける。
「ここの所、体調が思わしくなくてな……自室で食事をしている」
「え、ばぁちゃん具合悪いの?」
思わず静波がそう言うと、非難めいた視線が突き刺さる。言葉遣いは随分注意されてきたが、直らないものは仕方ない。開き直って腕を組む静波に、母が答えた。
「ええ……そう、学園に呼び出された翌日からよ。アポートが響いているのかもしれないけれど……もう随分になるわね」
「ばぁちゃ……御祖母様の所に、見舞いに行ってもいい?」
静波の発言に、父も母も思わしくない顔をする。
「僕も行くよ。いいでしょ?」
荒波も言うと、ようやく二人は頷いた。
「あまり長居するなよ」
父に頷き、二人は食事をさっさと終わらせる。元々食べるのが早い静波はともかく、荒波が早くに食べ終わったのに、母が僅かに顔を歪めて驚いた。
「じゃ、ごちそうさまっ」
「御馳走様でした」
手を合わせ、二人で食器を流しに持って行く。ハナが慌てて「置いておいてくださいませ!」と言ったが、最早食器の片付けは日常になっている。食器をハナに渡し、二人は祖母の部屋に向かった。
「ばぁちゃん、大丈夫かな?」
「……どうだろ。もう御年だから……安静にしていてくれたらいいんだけど」
荒波はそう言うが、大人しくしている満江など、全く想像できない。屋敷の中央にある当主の間の前に立ち、二人は静かに座った。姿勢を正し、荒波が声を掛ける。
「御祖母様、荒波と静波です。宜しいでしょうか?」
しばらく待つと、満江の付き人が出てきて二人に頭を下げる。揃って頭を下げると、付き人はそのまま言葉を発した。
「荒波様、静波様、どうぞ中へ」
付き人に言われ、二人は中に入る。床に伏しているのかと思っていた満江は、部屋着ではあったが立ったまま二人を招き入れた。
「帰ったのかい? まさか、退学処分になったわけじゃないだろうね」
「いえ、光輪学園が閉校になったんですよ。電話でお話ししましたよね?」
荒波の言葉に、満江は意地悪げな笑みを浮かべる。「そうだったね」と呟き、障子を開けた。中庭では紅葉が終わりかけた楓が、ハラハラと葉を落としている。
「……で、仲間も連れてきたんだろう? この表世界で戦う覚悟、出来ているんだろうね?」
「……はい」
荒波の返事に、満江は視線を向けた。美しい所作で座布団に座り、厳しい表情になる。
「あんたたちがここにいれば、いずれ裏警察に目を付けられるだろうね。まあ、そんな事は大事ではない。問題は、『世界』の敵と裏警察の戦いだよ」
「『世界』の敵は……やはり、表世界で騒ぎを起こすつもりなのですか?」
荒波が訊くと、満江は頷く。
「当たり前だろう? なにせ、奴らの目的は表世界と影世界の逆転だよ。その最大の敵は裏警察だし、戦いの為の人員は学園でそれなりに調達したはずだ。ただ、裏警察も同じように動いたからね……戦力は五分五分……いや、まだ裏警察の方が有利なくらいかねぇ」
「そんな……」
思わず呟く静波に、満江は小さく笑う。
「裏警察には、歴史があるからね……ただ、こんなに勢力が大きくなったのは、トップが今の男になってからだよ」
白木谷の顔を思い出し、静波は静かに身を震わせる。
「御祖母様は、知っているのですか? その男を」
荒波の質問に、満江は視線を上にあげる。
「名前だけはね。確か……白木谷、白木谷洋介」
目を閉じた満江に、どこか違和感を感じる。首を傾げる静波に、荒波も同じように感じたようで、目配せした。
「……ばぁちゃん?」
目を閉じたまま何かを考えている祖母に、静波は恐る恐る声を掛ける。
「……ああ、すまないね。昔聞いた名に、似ているものでねぇ……」
満江はそう言うと、また不敵な笑みに戻る。
「さて……ところで、あんたたちはどうやってこの戦いに介入するつもりだい?」
「それは……」
作戦を立てるのは、鷹雄の役割だ。二人で顔を見合わせると、満江は呆れたように溜め息をつく。
「あんたたちは、この双海家の代表なんだよ? そんな主体性の無さで、本気で戦えるとおもっているのかい?」
「……そう言われても」
学園では先輩である二年生、三年生の意見に口を出す必要は無かった。それが楽な事だったのだと、今になって痛感する。
「ふふふ……とにかく、あんたたちも少しは考えるんだね。でなければ、無駄足を踏むか、無駄死にするか……何にせよ、双海家に未来はないよ」
脅すようなその言葉に、二人はまたどちらともなく目を合わせる。満江は肩を竦め、窓に向かって立ち上がった。その背を見て、二人は満江にこれ以上話す気がないことを察知する。
「では、御祖母様……これで失礼しま」
「待てっ」
荒波が部屋を出ようとするのを、静波が止める。どうしたのかとその顔を見ると、静波は満江の方に一歩近付いた。
「ばぁちゃん……そろそろいいだろ?」
「……なにが?」
満江はそう言い、ゆっくりと静波を見た。二人の視線が絡み合う。逸らすことなく、静波は言った。
「『渚』って、誰なんだよ?」
静かな室内に、やたら大きく響く。予測はしていたのか、満江の表情は変わらない。ただ、視線は静波から離れ、楓の木に向けられた。
「……渚は……」
言いよどむ祖母の言葉をじっと待てば、彼女は二人に背を向けたまま呟く。
「……私の、妹さ。全てを分け合った、双子のね……」
その言葉は静かに室内に流れ、二人の声をも奪って静寂をもたらす。冷たい風が、三人の間を吹き抜けて消えていった。




