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弱さ











 弓彦は、棺の側に立っていた。


 「マジかよ、漣……」


 明日は学園内で、簡単な葬儀がある。身内が表世界にいる漣は、朝倉家とはすでに縁を切られていると聞いている。せめて縁のあった学園で、と学園長が計らい、伝統的な操炎術者の葬儀を簡素にして行うと、漣が亡くなった日に校内放送があった。


 「お前、炎の槍で死んだってのにさ……操炎術者の葬儀って、火葬なんだってよ」


 身体の傷は見ていない。そのせいか、弓彦には漣が寝ているだけのように見えた。


 「なあ、何でこんな事になったんだよ……聴かせてくれよ」


 恐る恐る、弓彦は漣の髪に触れる。意を決し、頭にしっかり触った。


 「……!!」


 流れ込む、漣の身体に残された記憶。護らなくては、という強い思い。見知らぬ中年男の哀願。必死な梨香の顔が過ぎり、『俺、生きてる……?』という漣の呟き。胸を刺された鷹雄の見開いた目と、一瞬の罪悪感。時間列はバラバラだが、漣の残留思念が一気に弓彦に流れ込む。


 「……!!」


 手を離し、目を開く。弓彦の左目から、一筋涙が零れる。


 「……後悔するくらいなら、勝手に死ぬんじゃねえよ」


 最期の意識だったのか、ごく僅かな後悔を感じ、弓彦はもう動かない漣をなじる。


 「……内緒にしといてやるよ。しょうがないからさ」


 棺にもたれかかり、座り込む。膝で顔を隠し、弓彦は涙が止まるまでその場を動かなかった。






 別れはあっという間で、棺の中には特能ボランティア部のメンバーや三年生が集めてきた花が入れられた。漣の表情は穏やかで、まだ昨日の出来事に現実感がない。


 「さあ、最期の別れだよ」


 学園長の言葉に、すすり泣きの声が止めどなく続く。棺の蓋が閉められ、鷹雄が松明を手に取った。


 「……またな」


 呟き、松明の炎を棺に移す。特製だという棺は一気に燃え上がり、参列者は安全な位置まで下がった。漣を包んだ炎は空に舞い上がる。


 「……骨も残らないって聞いたけど」


 「何でも、操炎術者は炎の精霊の守護を受けてるって言い伝えられてるらしくてさ、その守護を精霊に返す為に猛火での火葬がしきたりなんだって」


 ぽつりぽつりと聞こえてくる話を聞きながら、静波はぼんやりと炎を見つめる。


 「……漣さん」


 目を真っ赤にした菜緒を、同じく泣きはらした後の顔の真緒が支える。愛がハンカチで目を押さえながら、静波の隣に来た。


 「静波さん……大丈夫ですか?」


 「ヨシちゃんこそ」


 さり気なく手を握れば、愛は少し驚いたように固まっていたが、キュッと握り返してきた。


 「私は……やっぱり悲しいです。まさか、漣さんが……いなくなるなんて……」


 赤い目で見上げられ、静波は更に手に力を入れる。


 「そうだよな……まだ、何が何だかって……悪い夢の中にいるみたいだ」


 ぽつりと零すと、愛は大きな目を瞬かせ、少しだけ表情を緩めた。


 「……ごめんなさい」


 「え?」


 「あの、静波さんは……もしかしたら、悲しくないのかもって……。でも、誤解でした。本当にごめんなさい」


 愛の言葉に、静波はキョトンとしてその謝罪を聞いていた。そして、ふと気付く。


 (ああ、俺……泣いてないや)


 皆が悲しんで涙を浮かべている中、静波は目は潤んだものの、泣いてはいなかった。だが、悲しくないわけではない。ただ、


 (現実感が、無さ過ぎる……ただ、映画か何かを見てるみたいだ)


 もう、あの眠そうな顔を見ることはない。二度と、永遠に。それでも。


 「……また、すぐに会える気がするんだよ」


 その言葉に、愛が顔を曇らせる。


 「……静波さんまで、いなくならないで下さい。もう、こんなに悲しい思いは……」


 「あ、ごめん! そういう意味じゃなくて……」


 聞きようによってはいなくなりそうな意味にとられると気付き、静波は慌てて弁明する。


 「絶対、いなくならないから。ヨシちゃんに、悲しい思いはさせない」


 「……本当ですか?」


 「……うん」


 答えた静波の胸に、愛が顔を埋めた。小さく震えるその肩を抱き締め、静波はそっと辺りを見る。


 「……あ」


 偶然視界に入った、まどかの姿。強い眼差しで真っ直ぐ前を見つめるまどかの隣には、やや放心したような表情の鷹雄がいる。


 (まどかさんも、泣いてない)


 真っ直ぐ炎を見つめるまどかと、少し俯いた鷹雄。声を掛けづらい雰囲気に、剛志も荒波も弓彦も、二人を遠巻きに見ている。


 (……このままで、俺達は戦えるのか……?)


 薄ら寒い予感に、静波は愛を抱き締める力を強める。ゆっくりと聞こえてくる戦いの足音に、静波はただ身を任せるしかなかった。




















 「……何や、あの煙……?」


 自室からぼんやりと外を見上げ、流は首を傾げた。


 「……腹減ったぁ」


 薄い布団の上に転がり、流は呟く。ジャオウを『神喰い』してからというものの、そこからの昨日の記憶が朧気になっている。ただ、とにかく腹が減った。


 「なんか、喰いたい……」


 空腹感は、何故か『神喰い』をする度強くなっている気がする。


 「……何か、なかったっけ?」


 起き上がり、ロッカーの中を漁る。出てきた食べ残しのパンを一気に食べ、更に何かないか辺りをひっくり返す。


 「……これ、何か病気なんかなぁ?」


 呟き、昨日癒してくれた女性を思い出す。あの暖かい光は心地良く、とても懐かしいものだった。


 「あの姉ちゃん……どこに行ったんやろ?」


 探して、診てもらおう。そうすれば、この餓えから解放されるかもしれない。


 流はそう思いながら、また布団の上に倒れ込んだ。




















 葬儀も終わり、鷹雄は部室にいた。


 「飲んで」


 まどかが、紅茶を差し出す。鷹雄はティーカップを受け取り、静かに口を付けた。


 「……苦い」


 「……そう」


 まどかは、表情を変えずに紅茶を飲む。鷹雄はもう一口飲み、ちらりとまどかを盗み見た。


 「……クッキーでも、探してこようか」


 「いいわ。私が探すから」


 鷹雄の答えも聞かずに、まどかは立ち上がる。さっさと奥の扉に消える姿を見送り、鷹雄は一息吐いた。


 (まどかも、少しは休んでくれればいいのに)


 使鬼を遣って人を殺めたのは、初めてのはずだ。しかも相手は、何年も仲間として一緒にいた漣だ。傷付いていないはずはない。まどかは非情に見えるが、本当は心優しいことは鷹雄はよく知っている。


 (……俺のせいだ)


 漣が死んだのも、まどかが傷付いたのも、リーダーだった自分の責任だ。どんなに責められても、鷹雄に弁解の余地はない。それでも、きっと仲間達は自分を責めることはないだろう。


 (……絶対、『世界』の敵を倒してみせる)


 それが、せめてもの自分が出来る、漣への弔いだ。そう自分に言い聞かせ、鷹雄はまた苦い紅茶を飲んだ。






 「おかしいわね」


 いつも弓彦が置いてあったはずの、クッキーがない。まどかは僅かに苛つきながら、給湯室の戸棚をあちこち開けた。


 「……あ、これ」


 可愛い少女が描かれた包装紙の箱を見つける。大きく『萌えクッキー』と書かれているからには、中身はクッキーだろう。


 「どうして、クッキーがこんなに派手なのかしら……」


 呟きながら、戸棚からクッキーの箱を取り出す。その時、まどかは僅かにバランスを崩し、箱を落としてしまった。


 「…………」


 少し角がへこみ、パッケージがシワになる。それを見て、まどかは何故か泣きたくなってきた。


 「……駄目……私は、高殿宮の跡取り娘よ……泣くなんて、絶対に……」


 無理やり涙を押し殺し、まどかはクッキーを拾おうとしゃがみ込む。そのまま膝の力が抜け、彼女は座り込んだ。


 「駄目よ……しっかりしなさい、高殿宮まどか。立ち止まる事なんて、私が許さない……」


 震える声で言い聞かせながら、まどかは首を振って立ち上がった。






 しばらくして、まどかが奥の扉から現れた。


 「まだ紅茶は残っているかしら?」


 「ああ、少しだけ。ありがとう」


 クッキーの箱を受け取り、鷹雄は包装紙を丁寧に開く。以前漣が派手に破った時、弓彦がやたら怒っていたからだ。


 「まどかも食べようよ」


 可愛い袋に個包装されたクッキーを、まどかにも勧める。しかし、彼女は断って紅茶を鷹雄のカップに注いだ。


 「……鷹雄は、『世界』の敵の本拠地は覚えている?」


 訊かれ、鷹雄は目を閉じる。


 「どういう風な所か、なら分かるけどね。正確な位置は分からない。行ったのもここに向かったのも、天樹の空間転移だったから」


 「そうよね……」


 空間転移能力は、味方にさえも本拠地を知られないというメリットがある。乗り込めない、と気落ちするまどかだったが、鷹雄は僅かに笑った。


 「大丈夫だよ。向こうには、俺の使鬼がいる」


 「使鬼?」


 「ああ。偵察にはピッタリの子だよ」


 まどかには思い当たる顔があり、「そう」と頷く。


 「ところで、流は? 確か、昨日はあの場にいたよな?」


 鷹雄の質問に、まどかは首を傾げた。


 「ジャオウを『神喰い』してから、梨香に癒してもらったのだけれど……その後は、どこに行ったのかしら? 体力を回復したから、あの場から避難したのだと思っていたけれど」


 「じゃあ、別棟か……」


 立ち上がる鷹雄を、まどかは見上げる。


 「行くの?」


 「ああ。……『神喰い』をしたのなら、かなり疲労しているはずだからね。様子を見てくるよ」


 「なら、これを持って行けばいいわ」


 まどかが差し出したクッキーの箱を、有り難く受け取る。流は甘い物が大好きだから、きっと喜ぶだろう。


 「……ねえ」


 部屋を出ようとする鷹雄に、まどかは声を掛ける。


 「?」


 「『神殺しの力』って、一体何なのかしら?」


 「何って……」


 言われた言葉をゆっくりと、頭の中で反芻する。


 「……人智を越えた、神の力。決して人が触れるべきではない、神話時代の遺物。どの物語にも、そう書かれているね」


 「……ならどうして、その『人智を越えた神の遺物』が、人間達に受け継がれているのかしらね?」


 まどかは寂しそうに笑い、言葉を続けた。


 「まるで、神に試されているようだわ」


 「神の試練、か」


 天樹、広瀬、静波、流……後一人は誰だか分からないが、神は試練を乗り越える人間の代表をこの五人だと定めたのだろうか?


 「……試練は、俺達にも平等に訪れるさ」


 この世界に生きているのは、彼等だけではない。そう思いながら、鷹雄は部室を出て行く。


 「……試練は、平等に訪れる」


 まどかは鷹雄の言葉を繰り返し、首を振る。


 「この世界は、平等なんかではないわ」


 呟き、まどかはソファーに座った。




















 「聡」


 冷たい声に呼ばれ、広瀬は振り返る。


 「何だい? 天樹」


 「『神癒し』について、心当たりはあるか? 特能ボランティア部の、癒し手の女だ」


 「癒し手……梨香のこと?」


 広瀬はそう言いながら、天樹の表情を探る。


 「梨香……その女、我と同じ『力』を感じるか?」


 「さあ? 梨香はほとんど特能ボランティア部には来なかったし、癒しの術を使っているのもあんまり見たことないんだよね。……っていうか、天樹の『力』だって、静波や流の『力』だって、僕にはまるで違うように視えるんだし」


 あはは、と笑う広瀬に、天樹は不思議そうな視線を向ける。


 「違うように? どういう風に?」


 「んー、例えば、天樹のは黒い手のようなオーラが絡み付く感じ。静波のは、透明なオーラが場を押し潰すイメージ。流のは……何か、獰猛な龍が補食する感じ、かな? はっきり言って、共通点なんかないよ」


 天樹は、話を聞いて何やら考え込む。広瀬は梨香の顔を思い出し、彼女が『神癒し』だったのかと何となく納得した。


 (そう言えば、僕も梨香も静波も、流の事が苦手だったな)


 妙な共通点を見つけ、低く笑う。


 「どうした?」


 「いや、別に」


 広瀬は笑いながら、ふと気になったことを尋ねた。


 「そうだ、鷹雄と漣は? 生徒達はスカウト出来たのかい?」


 「……邪魔が入ってな。作戦は失敗だった。あの二人は、別の任務につかせている」


 天樹はそう言い、広瀬を見る。


 「次は、裏警察との戦いになるだろう。聡、生徒の仇討ちはその時だ」


 囁くような天樹の声。僅かに滲みよってくる黒い手が、広瀬の心に絡み付こうとする。


 「分かってるよ」


 『神惑い』の気配に、広瀬は不信感を覚える。


 (天樹は、何か隠している……僕に気付かれたくない、何かを)


 それは、恐らく鷹雄と漣に関する何かだろう。そう感じ、広瀬はふと考えた。


 (確認しなくちゃ……学園に、行ってみるか)


 屋敷には、天樹の協力者がいる。声を掛ければ、学園まで車で送ってくれるだろう。後は、結界の綻びさえ見付ければいい。


 (天樹が空間転移出来たんだから、どこかには穴が開いているはずだしね)


 そう考えると、すぐにでも学園に行きたくなる。鷹雄と漣、そして二人と対峙したはずの特能ボランティア部のメンバーの無事が気になる。


 (僕は、やっぱり教師が天職だったのかな……?)


 離れていても、生徒の無事が気になる。ふとそう思いながら、広瀬は天樹に軽く頭を下げる。さっさと部屋から出て行く広瀬を、天樹は無表情で見送った。









 紅葉は、天樹の後ろ姿を見付けて駆け寄った。


 「天樹様、ご機嫌いかがですか?」


 微笑む紅葉に、天樹は表情を崩さずに答える。


 「紅葉、聡をよく見ておけ」


 「聡が、どうかしましたか?」


 突然出てきた弟の名に、紅葉は首を傾げる。彼は裏警察との戦いに備え、何やら作戦を練っていたはずだが。


 「何か、企んでいるように感じた。もしかしたら、学園に行く気かもしれん」


 「……聡」


 学園に行けば、鷹雄が特能ボランティア部に戻ったことを知るだろう。そして……漣の死を。それだけではない。裏警察との戦いでは、紅葉は裏警察側に付こうとした学生達を殲滅した。それが知られれば……。


 「分かりましたわ。聡を行かせはしません」


 「……ああ」


 天樹に一礼し、紅葉はまずは弟と生活している自室に戻る。誰もいないことを確認し、次は広間に行った。何人か、協力者達がお茶を飲んでいる。広瀬の行き先を訊けば、天行寺朱鷺也とここを出たと答えが返ってきた。


 「天行寺朱鷺也……」


 鷹雄と対面した後、父親の朱鷺也はどこか放心していた。彼もまた、今の鷹雄の状態を知らせたくない者の一人である。


 (嫌な予感がする……本当に、学園に行ったのじゃないかしら……)


 朱鷺也に宛がった部屋に行き、ノックする。何度叩いても反応がなく、紅葉は乱暴に引き戸を開く。何の抵抗もなく戸は開き、人の気配のない部屋が紅葉を招き入れた。


 「聡……どこに行ったの……」


 嫌な予感はどんどん大きくなるが、行き先をはっきりとさせたくない紅葉は、とにかく屋敷内の心当たりに向かう。


 (知られたくない……聡に嫌われたくない!)


 一度は家族を捨てた。しかし、末の弟は紅葉にとって……いや、広瀬楓にとって、一番の宝だった。己を救ってくれた天樹を、命を懸けて愛した。しかし、その愛とは別の愛が、広瀬聡との間にある。


 (お願い……学園には行かないで! ずっと、私の側にいて!)


 後に、弟を探して屋敷内を彷徨ったこの時間を、紅葉は深く後悔することになる。




















 学園長は、漣の葬儀を終えてネクタイを緩めた。


 「青葉が来ていたということは、近くに光誠もいたのか……?」


 もう、二十年近く会っていない。まだ幼さの残る顔しか憶えていない。引き出しの写真を取り出し、ゆっくりと眺める。


 「お前は、何を考えているんだ……?」


 死んだ妻に似ているその顔は、二十年で随分変わっただろうか? 近くにいたかもしれないという思いだけで、会いたいという気持ちが膨らんでくる。


 「光誠……」


 写真をジッと見つめていると、ドアがノックされた。そっと写真立てを引き出しに戻す。


 「どうぞ」


 「失礼するよ」


 入ってきたのは、治国谷だった。厳しい顔をした彼は、学園長の前に立った。雰囲気から、悪い報せだと分かる。


 「……裏山の車道に、裏警察の輸送車があった」


 「……? 裏警察ならば、昨日表世界に帰ったはずだが?」


 「輸送車は二台、どちらも大破していた。……中には、生徒達の遺体が残されていた。周りも、切り裂かれた死体だらけだ!」


 いつも穏やかな治国谷が、声を荒げる。学園長に詰め寄り、震える手で胸倉を掴んだ。


 「分かっているのか、憲吾! 大勢の生徒が、死んだんだぞ! 『世界』の敵が、殺したんだ!!」


 「……」


 切り裂かれたということは、恐らく手を下したのは紅葉……広瀬楓だ。しかし、それを命じたのは光誠に違いない。


 「お前が息子を庇いたい気持ちは、理解できる。だからこそ、今まで何も言わなかったが……未熟な子供達が大勢犠牲になったんだ、もう黙ってはいられない」


 治国谷は学園長を睨み付け、手を離す。


 「……明人、どうするつもりだ?」


 恐る恐る幼なじみを呼べば、彼は怒りに燃えた目で言い放つ。


 「『世界』の敵の首領が光誠だと、影世界に公表する! そうすれば、新宮(しんぐう)が動き出すさ!」


 新宮家は、影世界の中でも闇に包まれた一族で、主に暗殺の能力に長けていると言われている。一度狙われれば、確実に命はないと。今まで彼らが動かなかったのは、正式な依頼が無かったからだ。しかし、治国谷ははっきり言った。『柳谷光誠の暗殺を依頼する』と。


 「止めてくれ……頼む、明人!」


 「もう、学園は終わりだ。憲吾、お前はもう聖職者などではない……ただの、愚かな父親だ。そのエゴが、どれだけの命を奪ったと思っているんだ!」


 分かっている。治国谷の言うことは、本当の事なのだろう。それでも……愚かだと罵られても、学園長-柳谷は、息子を殺されたくはなかった。例え、どんな大罪を犯したとしても。


 「明人……私は、本当に愚かな父親だ」


 柳谷に、治国谷は背を向ける。部屋を出ようとしたその背中に、柳谷はそっと触れた。


 「光誠は、私が守る」


 「っ!?」


 途端に、治国谷の姿は消え去る。どこに転移したか、それは柳谷すら分からない。行き先を定めずに力を放つとどうなるか……それは、柳谷家で厳禁されていた、空間転移能力の使い方だった。


 「明人、済まない……」


 学園の存続に、生徒達の教育に、ずっと支えてくれた幼なじみを、自分の手で消してしまった。それでも、光誠を諦めたくはなかった。


 「もっと早く、素直になるべきだった……私がこの学園を作ったのは、光誠に会う為だったんだ」


 朱鷺也が『世界』の敵の仲間を増やす為の学園創設を企んだとき、『影世界の人々の意識改革』と銘打って協力した。自分ではそう思っていたが、本当は心のどこかで息子に会う口実を作っていたのかもしれない。


 「……行かなくては」


 他の人に見つかる前に、柳谷は治国谷が発見した輸送車付近にテレポートする。遺体に手を合わせ、沈痛な面持ちで手を動かした。途端に、輸送車はこの場から消え去る。輸送車を二台、放置された遺体を次々とアスポートする。柳谷の敷地内は広大で、これくらいなら余裕で安置できるはずだ。後は、家の者に処置を頼めばいい。


 「ふう……」


 さすがに力を使いすぎた。柳谷はその場に座り込み、残された血の跡をぼんやりと眺める。


 (もう、後戻りは出来ない)


 まずは、学園の閉鎖。そして、残った学生達を家に帰す。そうすれば、後は自由だ。理由を付けて特能ボランティア部と一緒にいれば、その内光誠に会えるだろう。


 (しかし……)


 ただ、この案には失敗する要素もある。サイコメトラーの瀬戸弓彦の存在だ。この考えや、今までの柳谷の行動が、彼には筒抜けになる恐れがある。


 (ふふ……今更、何を躊躇う必要がある? 邪魔者は、消せばいい……)


 治国谷の言葉で、柳谷の躊躇いは壊れてしまった。息子を殺されるかもしれない。その恐怖は、ずっと側にいた幼なじみを消してしまうという、最悪の行動を引き起こした。彼の中には、息子に会いたいという思いが溢れている。ずっと封印してきた思いは、『会えるかもしれない』という希望に後押しされ、柳谷の中にあった倫理や道徳を消し去っていた。


 「待っていてくれ、光誠……」


 決して、殺させはしない。柳谷は、ヨロヨロと立ち上がり、学園へと戻っていった。











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