『神喰い』の能力
「遅かったわね」
まどかの言葉に、部室に来た梨香は無表情に答えた。
「そうかしら? ヒョウキに会ったのは、ついさっきよ」
そのまま、ソファーに座る。隣に座っている静波に微笑み、呟く。
「ナギは、あなただったの?」
「あー、そうみたい?」
静波がヘラリと笑うと、梨香は視線をまどかに戻す。
「で? まどかはどうするつもりなの? 鷹雄と戦う? それとも、『世界』の敵の仲間になる?」
「……梨香こそ、どうするつもり?」
梨香は暗い笑いを浮かべ、弓彦が持ってきた紅茶を手に取った。
「ふふ、私の行動くらいお見通しのくせに」
「貴女の口から聞きたいわ」
まどかは引く気はなく、しばらく二人は黙ったまま。気まずい空気に、静波はただ視線を泳がせる。ふと弓彦と目が合うと、彼も気まずげな笑いを返した。
「……私は、表世界に行くわ。話し合わなくてはならないの」
少しして、梨香がそう言った。まどかに言ったというより、独り言に近い感じだ。また紅茶を口に運び、溜め息を吐く。
「誰と?」
まどかが訊けば、彼女は自嘲めいた笑いを浮かべた。
「婚約者よ。今は表世界にいるの」
「……裏警察の人なのかしら?」
「そうらしいわね。知ったのは、つい最近だけれどね」
ふふ、と声を漏らし、梨香はソファーから立ち上がった。
「話は終わっていないわよ」
「いいえ。私は終わったわ」
まどかの言葉を否定し、梨香は扉に向かう。その前に立ったのは、愛だった。
「……どうしたの?」
「あ、あの……梨香さん、どうしても……」
小さくなりそうな声をそれでも繋げ、愛は梨香の目をチラチラと見る。
「あの、助けてはもらえませんか? ……梨香さんは、ずっと特能ボランティア部の部員でしたよね? ……あの、鷹雄さんとも、幼なじみだって……」
「三好さん、今日はよく喋るのね」
愛の小さな声に、梨香は答えずに笑う。愛は言葉を詰まらせたが、それでも目を逸らさずに立っていた。
「鷹雄のことは心配よ。でも、まどかが何とかしてくれるでしょう?」
梨香はそう言い、まどかに視線を送った。
「ねぇ、まどか」
「そうね。……どういう形になるのかは、分からないけれど」
二人はまた緊張を走らせ、しかし一瞬で視線は逸らされた。まどかは梨香に背を向け、梨香は愛の横をすり抜けて扉を開く。
バタン。
「……どーすんの?」
梨香の姿が消え、弓彦がまどかに訊いた。
「梨香の協力を仰ぐのは、無理なようね。婚約者とやらが味方してくれればと思ったけれど……裏警察の人では駄目でしょうし」
「梨香さん、どうして……」
悲しげに愛が呟く。
「……梨香には、鷹雄よりも大切な事があるようね」
まどかの言葉には、どこか棘を感じる。ふと疑問を感じ、静波はまどかに尋ねた。
「まどかさん、鷹雄さんと梨香さんが幼なじみって……」
まどかの視線がキツくなり、静波は思わず言葉を止める。彼女は溜め息を吐き、答えた。
「そうよ。鷹雄と梨香、そして私は三歳の頃から幼なじみなの。……だから、まさか梨香が鷹雄を見捨てるとは、思わなかったわ」
「見捨てる?」
そんな風に言っていた覚えはない。静波が聞き返すと、まどかは嘲笑を浮かべた。
「私は、『どういう形になるのかは分からない』と言ったわ。でも、梨香は私を止めようとはしなかった。……鷹雄がどうなっても関係ない、それが梨香の答えよ」
それは考え過ぎでは、と静波は思ったが、まどかには言い辛く黙る。愛がそっと差し出した紅茶を受け取り、静波はチラチラと周りの様子を窺った。
「……ま、幼なじみと婚約者じゃ、やっぱ愛情じゃね? 将来的にはずっと一緒になる人なわけだしさ」
弓彦がまどかを宥めるように言えば、真緒が口を尖らせる。
「えー、そうかな? 婚約者って言っても、あの感じじゃずっと会ってない人なんでしょ? なのに、ずっと一緒にいた鷹雄さんより、その婚約者なわけ?」
「でもでも、婚約者さんがすっごくステキな人で、たくさん思い出がある人なのかもしれないよ~? 梨香さんが、ずっと待ってた王子様なのかも?」
「え~? 何夢見てんのさ? ほんと、菜緒ってお子様なんだから」
真緒の言葉に、菜緒が頬を膨らませる。何となく微笑ましい思いで見ていた静波だが、愛がふと呟いた。
「王子様、か……」
思わず、愛を見る。もしかして、愛には王子様のように思っている人がいるのでは……?
「静波、なに口開けたままボケてんの?」
荒波に言われ、慌てて口を閉じる。
「梨香の婚約者なんて、どうでもいいわ。それより、もうすぐ現れる『世界』の敵よ。……流を呼んで」
不機嫌なまどかに逆らえるわけはなく、弓彦が奥の部屋から流を引っ張り出してくる。煎餅の袋を持ったままの流は、ソファーに座ってチラチラと周りを見た。
「……なんや、むっちゃ空気怖いんやけど」
「お黙りなさい」
まどかに一喝され、流は首を竦める。愛が黒板を用意すると、まどかはその前に立った。
「鷹雄が他の生徒達と接触する前に、何とかしなくてはいけないわね。向こうも、私達が妨害するだろうということは予想しているはず」
「……鷹雄が相手なら、ナナコも一緒だよなあ。ツララとか、あのイザヨとかいうのも来るのかな? まどかはどう思う?」
「ナナコは炎属性、ツララは水、イザヨは少し特殊で……闇の属性ね。私は水属性の子が多いから、使鬼同士の戦いだと少しは有利かもしれない。ただ、鷹雄の側には漣がいるはず」
妖と妖の戦いなら、まだ現実味が薄かったかもしれない。しかし、漣とは直接戦うことになるだろう。
「ヒョウキやセッカなら、漣の炎には有効だわ。漣の操炎術には、体力的に欠点がある」
「寝ちゃうまで、とにかく炎を出させればいいんだな?」
確かに、漣は戦いが長引けば欠伸を連発していた。
「そういうことね。漣を止めることが出来れば、後は鷹雄だけよ。……流、貴方は妖に対抗できる能力があるかしら?」
「へ?」
煎餅をくわえたまま、流はまどかに聞き返す。しばらく唸り、彼はポンッと手を叩いた。
「念動力! 手を使わんでも、攻撃出来るで!」
「……例えば?」
「えーと……せやなあ、確実に石をぶつけるとか? あー、気をぶつけるとか? あと、そいつを浮かしてどっかに放り投げるとか!」
気軽に言っているが、実際に自身で想像すると怖い。一回空中に浮かされたことのある静波は、こっそり身を震わせる。
「ほら、でやっ!」
弓彦の前にあったカップを、宙に浮かせる。僅かに残っていた紅茶が零れ、頭に掛かった弓彦が思わず立ち上がる。その途端、
ボムッ!
「う、わあああああっ!?」
ティーカップが炎に包まれる。炎の勢いは激しく、カップは粉々に割れてしまった。その破片も弓彦の頭上に落ち、弓彦の顔が赤くなる。
「お前、そのカップは、オレっちの大事な……!!」
「お黙りなさい、瀬戸弓彦。カップの一つや二つで喚かないの」
「う゛ぬぬぬぬ……っ!!」
弓彦を抑えつけ、まどかは流を見る。流は自分の両手をマジマジと見ていたが、不安げに弓彦の方を見た。
「ゴメンなあ。なんで、火が出たんやろ?」
「きっと、狗神のせいね」
まどかがそう言い、流の手を取った。そのまま、じっと手を見詰める。
「貴方、狗神を吸い込んだのよ。憶えている? あれが恐らく、『神喰い』の能力なのでしょうね。妖を取り込んで、自分の能力として使う、だから今炎が出た」
「『神喰い』、かあ……じゃあ、あれも……?」
流が首を傾げ、ブツブツ呟き始める。そして、突然部室を出て行った。
「あ、おい、待てよ!!」
静波が追い掛け、続いて荒波や愛が続く。部活棟を飛び出した流は、広場で大きく手を広げた。その不気味な威圧感に、静波は咄嗟に木の陰に身を隠す。
「? 静波さん?」
愛が立ち止まり、静波に首を傾げる。目を閉じていた流が開眼し、両手を上に突き出した。途端、暗雲が立ち込める。
「雨……?」
荒波が、上を見上げる。大粒の雨が空から零れ落ち、次第に勢いが激しくなった。
「……嘘?」
「先程まで、青空でしたのに……」
部室の窓から見ていた弓彦とまどかが、激しい雨を前に言葉を無くす。流を中心とした豪雨は、円形にしっかり範囲を留めている。荒波はその間際に立ち、そっと豪雨の中に手を入れた。
「冷たっ」
「……あー、大丈夫か?」
流が荒波を見る。雨が止み、雲が四散する。夕暮れ時の空には雲が無くなり、元の空に戻った。
「……何か、分かったの?」
荒波が訊くと、流は頷いた。豪雨の中心にいたはずの彼だが、全く濡れていない。
「部室で話すわ」
流の後に続き、荒波も部室に戻る。
「静波さん、私達も行きましょう」
「あ、そうだな」
想像以上に腰が引け、静波はそれを隠して愛の後を追う。部室に戻ると、流が話し始めた。
「あんな、おかんが死んだ時……でっかい龍が出てきたんや。その龍が、おかんを跳ね飛ばして……オレに向こうてきてな。オレ、無我夢中で龍を捕まえようとしたんやけど、その途端に龍は消えてもうたんや。……事故の処理に来た警察にも、龍が来た言うたんやけど、子どもの見た夢って言われておしまい」
寂しそうに話す流に、まどかが一瞬目を見開く。
「龍は大半が水属性やって、鷹雄が言うとったからな。やったこと無かったけど、上手く出来たわ」
無理矢理笑顔を作り、流がガッツポーズを見せる。部室に入ってきた剛志が同じポーズで返し、水浸しの広場を見た。
「うわ、こりゃすげえな」
「しばらく、広場には出ない方がいいかもね」
言われなくても、ぬかるみだらけの広場になど出たくない……と言いたいところだが、寮に帰るには広場を通るしかない。
「つまり、流には炎と水の能力が使えるということね。……鷹雄や青葉の使鬼も、手当たり次第『神喰い』すれば……」
呟くまどかに、流が顔を青くする。
「や、止めてぇや。ワン太郎の時やって、相当疲れたんやで?」
「あ、そうだったね」
荒波が頷く。確かに、あの時流は動くことすら辛そうだった。
「……そう。まあ、ナナコを取り込んだりすれば、鷹雄にずっと恨まれそうね。青葉のジャオウなら、『世界』の敵の戦力の低下に繋がるからいいのだけれど」
「じゃ、流にはジャオウが出てきた時に、『神喰い』で喰ってもらえばいいんじゃねえか? そうすれば、静波も安心だろ?」
剛志がそう言い、静波にウィンクする。有り難い提案に、静波は思わず手を合わせた。
「ん、分かった。ただ、多分『神喰い』したらしばらくは動けへんから……後はよろしく」
「そういや、戦いに出るのは誰なんだ?」
弓彦の疑問に、まどかが答えた。
「まず、私とヒョウキ。双海荒波と静波。あとは……牟岐剛志。弓彦はどうする?」
「オレっちは、もう絶対前線には出ない!」
「じゃあ、弓彦は三好さんを護りなさい。真緒と菜緒は、裏警察の足止め……出来るかしら?」
「バカにしないでよね。って言いたいけどさ」
「裏警察の人達、なかなか能力が効かないんだよね~。あ、でもでも、参加する学校の皆なら、多分呪歌で少しは抑えられるんじゃないかな~?」
真緒と菜緒が、互いに顔を見合わせる。
「それでいいわ。……それにしても、戦力が足りないわね」
まどかは黒板に、『世界』の敵の名を書いていく。天樹、青葉、紅葉、そして鷹雄と漣。
「最悪の場合、このメンバーに鷹雄と青葉の使鬼、学園からの協力者が加わる……ふふ、勝てる気がしないわね」
まどかの言葉に、荒波と静波は驚く。彼女の口から、そんなに後ろ向きな言葉が出るとは。
「なあ、まどか。やっぱり、協力者を集めようぜ」
弓彦がそう言った。
「実家に帰るダチ、何人か当たってみるからさあ」
「……断られたのではなくて?」
「うっ、痛いところを……いや、まだ訊いてないやつも何人かいるから、どう?」
まどかは頷き、弓彦が部室から出て行く。
「……1ヶ月、言葉通りとるなら、三日後ということになるわね。でも、いつ来ても対処できるようにしておいてちょうだい」
対処、と静波は考えたが、まだ『神凪ぎ』は使える段階ではない。あと三日で……と考えると、まるで受験前のようだと思い出す。
「どうすればいいの?」
荒波の質問に、まどかはあっさり答える。
「体調を万全にしておくこと。鷹雄が相手だから、まさか寝込みを襲いはしないでしょうから、早寝早起きを心掛けてちょうだい。食事もしっかりとって、とにかく平常心を保つこと。各自に風渡りの笛を渡しておくわ。もしも鷹雄や漣を見掛けたら、すぐに吹いて合図をして」
何度か見たことのある笛を、首に掛ける。
「もう帰ってもええか?」
同じく笛を首に掛け、流が訊く。まどかが「ええ」と答えると、彼は静波の方を向いた。
「なあ、静波。ちょっと寄っていかへん?」
「え?」
「お昼のお礼もしたいし、ええやろ? な?」
ニコニコと浮かべる笑顔には、無邪気さしかない。ただ、薄ら寒い威圧感はやっぱり感じるのだが。
「あ、でも」
「いいじゃねえか。なあ、俺も行っていいよな?」
断ろうとした静波だが、後ろから剛志が答える。流が嬉しそうに頷くと、静波も断るきっかけを失ってしまった。
「荒波、どうする?」
振り返って訊けば、荒波は欠伸をしながら答える。
「行ってくれば? 僕は寮に戻るよ。眠いし、静波の特訓に付き合って、もう疲れたから」
「そりゃ、悪かったな」
窓からは月が見えている。もうすぐ夜だ。流の所に寄っても、すぐに帰れるだろう。
「ほな、行こ!」
流が部室から出て、剛志も続く。静波も続いて部室を出た。
裏道を抜け、着いたのは部活棟別棟だった。
「お前、こんな所に住んでるのか?」
剛志が驚いたように問い掛ける。流は頷き、暗い廊下を進んでいく。
「ほら、入って」
一度来たことのある、質素な部屋。隅にはアルミの皿があり、ワン太郎が居た頃の名残が見える。
「ここ、いいか?」
言いながら、剛志は木の椅子に座った。静波も座りながら、ソファーとの差に眉間にシワを寄せる。
「どっかにあったんやけどなあ……あ、これこれ」
流は箱を持ってきた。机に置き、静波の前に押し出す。
「こないだの、お昼のパンのお礼。好きなの取ってってや」
箱を開けると、何やらガラクタがたくさん入っていた。缶バッジがいくつかあり、昔見たことのあるようなキャラクターが描かれている。便箋と封筒は、流からは想像できないようなファンシーな柄のものだ。切手は、よく見ると表世界とは違う金額が書かれている。ビニール製の指人形は動物の形で、随分な年月で傷んでいた。
「お、これいいじゃねえか」
剛志が、缶バッジの一つを手に取る。ヒーローの絵柄が書かれているようだ。首を傾げる静波に、剛志がそっと耳打ちする。
「こういうのを大事に保管しとくと、数十年後に高額鑑定してもらえるんだぞ? あのソフビとかも、キレイなら高いかもしれないけどなあ」
言われ、缶バッジを渡される。欲しい物は見つからず、しかし好意を無碍にもできず、静波は缶バッジを流に見せた。
「じゃ、これ貰っていくわ」
「あ、獣闘神・ファイトガイガー! 静波も好きやった?」
言われても、今いち『そんなのもいたかなー?』というくらいしかないが。
「それだけでええんか?」
もっと勧めようとする流の申し出を断り、静波は身震いした。隣を見れば、剛志も僅かに震えている。
「なあ、寒くね?」
「……寒い」
この部活棟別棟は、見た目通り隙間風がやたら寒い。平気そうな流を横目で見ながら、静波はそろそろ寮に戻ろうと考える。
「寒いなあ……流、ちゃんと毛布着て寝てるか? 暖かくしないと、風邪引くぞ?」
剛志は心配そうに流に声を掛ける。流はニコニコしながら、側にあった箱から薄い毛布を取り出した。
「今まではワン太郎と寝とったからなあ……それまでは、ウサっちがおったし。今年の冬は、やっぱり、布団買わんとな~」
確かに、薄い毛布では冬を越すには辛いだろう。
「布団か~。さすがに売店では売ってねえなあ……」
「ん~、せやなあ。あ、鷹雄が置いてったのでもええんやけど」
言われて見れば、確かに鷹雄は突然卒業したのだから、布団などは残っているはずだ。
「明日、弓彦先輩に言っとくぜ」
そう言い、剛志は部屋を出る。
「じゃ、また明日な」
そう言って後に続こうとした静波は、ふと流の方を振り返る。そして、また寒々しい威圧感に襲われた。
(……今の、眼……)
微笑んで見送る流の目が、一瞬紅く光り、静波は視線に追われるように別棟を出て行った。




