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奉行・鬼瓦京史朗  作者: 鬼京雅
奉行・鬼瓦京史朗~蝦夷地編~
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終幕・新時代

 西郷はその後、幕末の動乱の熱にうなされ続けて迷走した。

 同時代の英雄、豪傑はその役割が終われば人生の幕まで閉じてしまう連中ばかりだったが、常に歴史の表を裏で動かしていた西郷は生きた事が死んでいる事になっていた。時折目を閉じると、額の傷が疼き煙管を粋に吹かす一人の鬼を思い出す。

 その鬼に対抗しようと急かされたのかどうかは知らないが、西郷は明治十年に人斬り半次郎事、桐野利秋と共に西南戦争を起こし西郷の幕末の炎はやっと鎮火した。

 その光景を一人の時代錯誤の奉行姿の男が見つめていたと言うが、ただの流説かもしれず正直な所はわからない。


「悪い事はよ。見つからねぇようにやる事だ。それが出来ねーんなら、堂々とやんな……それが清濁合わせて、節義を貫く生き様よ」


 という奉行・鬼瓦京史朗の言葉は日本という国の未来を予見していたかのようだった。

 後年、西南戦争を始める前に西郷は桐野利秋にぼやいた事があった。


「かつて命は使うべき時に使うとあの伏見奉行に言ったが、わしこそ命の使い方が知らんかったのかもしれん」


 維新において使うべき時に使わなかった命は西郷をこのようにした。

 安全な所でこそこそとしている野獣は、死地に命を晒し続けなかった幕末の出来事を今更しても無駄なのである。

 鬼の怒号のような放火が響き、西南戦争にて西郷隆盛の人生ばくまつも終わった。

 そして、明治という新時代は加速していき、時代の疾走はやがて迷走を突き抜け暴走へと変わり、日本という国は世界の大国に喧嘩を売り無残な敗戦を迎える事になる。

 それをあの世から鬼の眼差しで煙管を吹かす男が眺めていた。



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