二幕・岡っ引き〈後編〉
京史朗が金之助に紹介された賭博場というのは伏見界隈にある平屋の裏手にある人の三十人ほどは入りそうな薄汚れた畳の室内だった。
「ここが新しい賭博場よ。ここは幕府公認の所だから安心して元締めをやりな」
その言葉に鋭い一重瞼の瞳をほう? と言ったような顔で上げる京史朗は、
「幕府公認なら伏見奉行所の許しも当然あるんだな?」
「おうよ。俺は伏見奉行所公認の岡っ引きだぜ?」
胸を叩き堂々と言う金之助に京史朗は微笑んだ。
そして、半月あまりで夜に京史朗が元締めをする賭博場は人気を得て高額の儲けが出るようになった。負けた客も翌日に勝てば元あった金より稼げる為に人間の流出もなく、たまに見回りに来る金之助の懐にも多額の金が入り、かなりの人間が潤った。
京史朗は朝は奉行所で奉行として過ごし、夜になると開かれる幕府公認の賭博場で頬被りで顔がわからないようにしながら元締めをしている。その賭博場の売り上げを左右するツボ振りの一人に夜談を指名し、他のツボ振り達も実戦で京史朗の必勝の教えを叩き込んで成長した。
更に半月もすると京や大阪の博徒や他藩から流れ込んだ不逞浪士も集まり、毎日が多数の男でごった返していた。多額の金のやり取りが出る以上、それ相応の喧嘩沙汰も無論起きる。
「うらぁ! さっきから全然勝てんぞ! おのれはサイの目に小細工しとるんやないやろうな!?」
一人の浪人の負けを認められない叫びで賭博場は騒然とし、元締めである京史朗に因縁をつけだし収集が効かなくなる。
この賭博場のサイコロには丁と半のどちらかが出やすいよう細工されており盆茣蓙の上に仕込まれた微かな窪みを利用しツボ振りがさいころが入るツボを動かし感覚で制御する。これはツボ振りをする夜談による天才的な感覚を持ってせねばならぬ技ではなく、一月も相手と顔を合わせて実地訓練すれば出来る手法であった。
「来いや三下共が!」
啖呵を切る京史朗は周囲の浪人に叫ぶ。
祭り事が好きな博徒は浪人に加勢し、京史朗を袋叩きにするように拳や足を繰り出す。
そんな騒ぎが起きても京史朗は博徒相手に何もする事が無く、金之助と交友を続け賭博場の元締めとして荒くれ者達と毎夜、毎夜の殴り合いになりながらも日々を過ごした。そして、裏の元締めである金之助はこの一月の京史朗の働きぶりを見て感心した。
今までの中でも一番働きが早く、三ヶ月以上かかって集めた金が僅か一月で集まった。
この男が初めて会った蕎麦屋で言った百戦錬磨は本当だなと感心する。
同時に、身体に巻かれる包帯に注目した。
「……いい具合に怪我をして来たな。ここまでやっちまえばそろそろ幕府の役人の耳にも入る頃だ。ここいらでお終いにするかな」
腹を殴られる京史朗を見据えながらサイコロを手の平で遊ばせる金之助は呟いた。
※
「こっちでござんす」
金之助は十手を片手に伏見奉行所の面々を先導して行く。
それを見送る伏見の平屋に住む住人達は幕府公認の賭博場で事件か? と声を合わせて話し出す。
金之助は賭博場の入口で止まり、中へ奉行所の面々を入れた。
すると、陣笠を目深にかぶる伏見奉行所奉行が指揮煙管を持ち堂々と叫ぶ。
「伏見奉行所奉行、鬼瓦京史朗である! 御用改めである! 神妙にせいっ!」
この賭博場の総元締めである頬頭をする京史朗は伏見奉行所奉行に捉えられる。
この一月あまりの毎夜、毎夜の祭りで喧嘩騒ぎを繰り広げていた為に怪我が多いらしく包帯が身体の至る所に巻かれる罪人である京史朗はうつむき加減で歩いて行く。
それを金之助は影から眺めていた騒ぎが続く賭博場もすぐに静けさを取り戻した。
(これで晴れて岡っ引き稼業も終わりかな。これ以上やったら足がつく。伏見奉行所の一員になれればもう俺も安泰な生活が出来るぜ)
そう思っていると、伏見奉行に直接感謝された。
そして配下の伏見奉行所の面々にも感謝される金之助は駕籠で伏見奉行所まで向かい罪人の京史朗を裁く為のお白洲で待たされた。
白い砂利敷である公事場と呼ばれる屋敷と対面する屋外のこの場所で、この裁判が公正さと神聖さを象徴する純白の足場が金之助の目には痛く感じた。
(一介の岡っ引きにここまでを見せるという事は間違い無くこの活躍を奉行は認めたって事だ。あの京史朗には悪いが、安定を得る為の踏み台になってもらうぜ……)
すると、奉行などの役人が座る公事場に伏見奉行である鬼瓦京史朗が現れた。
そして配下の奉行所の面々も現れる。
しかし、茣蓙が敷かれる場所には罪人である京史朗はいない。
周囲を取り巻く役人達は突棒、刺股が手に持たれ金之助は威圧感を感じた。
そして、唖然とした顔で金之助はその奉行の顔を見据えていた。
「……おっ、お前は!?」
「どうした金之助? 俺の顔に惚れちまったかい?」
ふっ……と笑う京史朗は奉行屋敷の中央に座り罪人を裁く白洲を始める。
「どうした? 今日のお白洲はお前さんだよ金之助」
「お前……京史朗はこの伏見奉行所の奉行だとでも言うのか!? それだとしても、身体の傷は骨にまで達していたはずだ! 何でそんなに平然としている!?」
「捕り物をした奉行は影武者の観察方よ。伏見で賭博をやる以上、奉行の顔くらい拝んでおきやがれってんだ」
「……くそがあぁ!」
走り出そうとする金之助は役人に身体を抑えられ茣蓙の上に座らされる。
憎々しげに自分を見据える金之助に京史朗は、
「怪我は着物の下に鎖帷子をしてたから問題無いぜ。あんなん毎日やってたら女との情事で立たなくなるからな」
「計ったな鬼奉行っ!」
「おいおい、今まで他人を罠にかけておいて自分がやられないなんざ考えが甘いぜ? 相手を罠にはめる以上、はめられる覚悟が無いならこんな事はせん事だ。金に目が眩んで自分が観音様にでもなったつもりか金之助」
大きな対価を手にした以上、同時に大きな対価を失う可能性があるのは当たり前である。人の手に収まらない大きなものを手にするには、それと同等の大きなものを失う。
それは人の成長には時間がかかるという等価交換の原則と同じなのである。
「腰の十手が泣いてるぜ」
やれやれと言った顔で罪人である金之助を見据えた。
「それにしても御公儀を三竦みにしてやるたぁ考えたもんだ。一つ潰して手柄を上げ、また新たに立ち上げ競わせる。岡っ引きにしとくにゃもったいねぇ強欲さだ」
幕府、奉行所、岡っ引きという三竦みのような構図で元締めや博打打ちに安心をさせる。
現状の政局で決して一筋縄ではいかない役人達の世相を考え、岡っ引きの自分がよければ奉行所も幕府も公認というのは簡単に相手に通る理屈だった。それは明らかに幕威が落ちてきている証拠である。故にこの幕府と徳川の世を信とする奉行のお沙汰は火を見るよりも明らかだろう。黄色い羽織の背中に書かれた金の字を思い、金之助は過去を回想した。
(……金にまみれた人生だったが、金に苦労した子供の頃に家族を亡くした過去が俺をここまで生きさせた。泥水にまみれ、地面を這いずって岡っ引きにまでなった。すでにもう先の長くない幕府を利用してここまでのし上がった事に何の後悔もないさ。家族四人の墓は建てられたからな)
そう思う金之助は自身のこれまでの日々に後悔は無いという瞳で病気で死んだ父に母、博徒にこき使われ殺された兄と姉を思い出し鉛色の空を見上げる。
そして、京史朗の口からお沙汰が下る瞬間が来た。
「京都界隈見回り岡っ引きである金之助のお沙汰を下す。……その前に、貴殿の今までの人生の行いに過ちがあるかどうかを知りたい」
驚く金之助は目の前の奉行が自分の人生すら辱めたいのかと思い言う。
「俺の人生に悔いは無い。騙す方も悪ければ、騙される方も悪い。これからの時代は自分自身で考えて生きる個の時代が訪れるからだ」
絶対的な信念を口にした金之助は最後に鬼奉行に言葉で噛み付いた。
噛み付かれた側の鬼奉行は口元を笑わせ、
「どうだ? 伏見奉行所の裏金指南役として働くか?」
鋭い鬼の瞳が金に目がくらむ男を見下していた。
その瞳をじっ……と底知れぬ闇の目で見つめ返す金之助は微笑み、
「一年の御勤めをしてからまた参りやす」
「そりゃ、結構。では神妙にお縄につけ」
返答次第では京都の悪を裁く仕置人としてこの場で首を飛ばそうと考えていたが、この男の自分をいずれ殺しに来るであろう、うすら寒い殺意に惹かれ役人として捕らえた。
西国諸藩の金で潤い人心が幕府ではなく関ヶ原の敗者である長州、薩摩系統の藩に移っているのを懸念して京史朗は金之助を裏の金庫番として伏見奉行所で使い倒そうとした。
異人が黒船で上陸し幕府に徳川の威光として掲げて来た鎖国を解けという不埒な情勢下で暗躍を始める連中を御するにはこういう類の毒が必要であった。
毒は毒をもって制す――。
人の事は言えんな……と自重する京史朗は赤い煙管の煙を燻らして六角獄舎に連行される金之助を見送った。