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奉行・鬼瓦京史朗  作者: 鬼京雅
奉行・鬼瓦京史朗~蝦夷地編~
38/42

二十七幕・早春の訪れ

 官軍艦強奪に失敗した幕府軍は五稜郭に帰還した。

 撤退した官軍はすぐには追撃せず、戦力を建て直し最大の準備をして攻めるという作戦を西郷は立てていた。西郷自ら指揮をする蝦夷地決戦まで、幕府軍につかの間の休息が訪れる。

 戦争という極限状態から離れた幕府軍は各々の疲れを町で癒していた。

 これだけ男だらけの状態だと、確実に現れるのが衆道しゅうどうという男色らしい。

 官軍もおらず非番でも町に出ない男達を見て摩訶衛門にやられた右眼に黒い眼帯をする京史朗は思う。


「また男色か……そういえば夜談よだんの野郎も困っていたな」


 ふと、鳥羽伏見の最後の戦いであった摩訶衛門戦で死んだ夜談を思い出す。

 京史朗は男色の気が部隊の士気に影響するのを恐れていた。

 しかし、男色は古来から当たり前の土地、土地の風俗としてあり容認されている以上、京史朗は問題が起きない限り対処できない。


「京の女が恋しいぜ」


 京の女はしつこさがない利害が絡むだけの関係が多かったが、江戸の女は永遠に束縛するような女の庭に閉じ込めたくなる匂いがやりきれなかった。まだ蝦夷地の女は知らないがいい女であると伊庭などの言葉から知っていた。

 京史朗にとっては死地に自分を置いている為に、女を愛するのは女を抱くときだけで十分なのである。 そういう思いで蝦夷地でやってきたが、色々と思う事もあり考えを改めた。


「あいつにあまり迷惑はかけられんからな。官軍もすぐに来ないなら俺も遊ぶとするか。しかし、右眼が眼帯だと遠近感が掴みづらいぜ」




 蝦夷地での戦いも一息ついたので町を観察ついでに歩く事になった。

 それは遊びというものもかねているが、今の京史朗にとっては戦以外の事は考えないようにしていた。

 町には、日本人も洋服を着ている者が当たり前にいる。

 肉体的に栄養があるとされる牛鍋を食い仲間達と談笑した。

 左腕の無い伊庭などは早速、女を買いに幕府軍の為に出来たような遊郭に出向いて行く。

 身体の疼きを感じた京史朗もまぁいいか……と思い遊郭に向けて歩き出す。


「……蝦夷地は洋式の建物が多いな。五稜郭もまだすげぇと思うしな」


「そうですなぁ。すでに文明開化という官軍の政策が始まってますよ。日本は日本で無くなっていくのも遠い未来ではないようです」


 牛鍋を食い過ぎ腹を抑える伊庭は言う。


「確かに、数年前は鉄砲を携帯し刀を持ち歩かない戦なんてあり得なかったが、今は鉄砲が無きゃ戦にもならん」


「我々幕府軍もこの日本の最北端まで転戦に次ぐ転戦をしてきましたが、ここでの挽回は出来るはずです」


 仲間達の最後尾を歩く二人は洋館が左右に立つ町を歩く。

 そして京史朗は衝動的な言葉が漏れた。


「いずれ京都もあぁなるんだろうな」


 白い息を吐き出し、もう戻らないであろう京都の事を考えそうになり辞めた。

 自分はこの蝦夷地以外の事は考えず、ひたすらに官軍からこの地を守り独立政権を発展させる為の陸軍奉行という役職で出来る事しか考えていない。

 目的地に到着し、仲間達は遊郭に入って行く。

 瞬間、京史朗は月影の姿を見た。


(……?)


 すると、道の先にいるキャスケットという帽子をかぶる一人の美青年が自分を見つめていた。

 急かす伊庭を先に行ってくれと言う。

 白いコートを着る月影の横に赤いコートを着る美青年に釘付けになる。

 すると、月影はその美青年を置いて何処かへ消えた。


(……)


 息を飲む京史朗はその人物が近づく足取り、呼吸、雰囲気の全てを知っていた。

 それは蝦夷地には無い感覚。

 自分が青春を過ごした京都の地での感覚である。

 周囲を取り巻く寒い空気が消え、京史朗と目の前の美青年の空間だけが春のように暖かくなる。

 その黒髪の耳が見えないザンギリ頭のショートカットと呼ばれる髪型の美青年は帽子を取る。

 そして、京史朗の時が止まる――。

 その美青年は丸い目を潤ませ、頬を赤くさせ小さい口を動かす。


「京史朗さん。私ですよ」


「椿……」


 それは夢でも幻でも無い。右眼を失い眼帯の遠近感に慣れないのを忘れるようにくっきりとその女を見ていた。目の前に立っているのは京の四条にある茶屋・鬼京屋の看板娘の椿だった。





 現在、官軍が支配する京都も江戸も戦いも無く安定し、幕府軍が使用する補給物資を搬入する軍艦に紛れ込み椿は蝦夷地へ辿り着いたらしい。月影が蝦夷地から文を出していたらしく、この五稜郭までの道のりもわかったらしい。

 姿は変わり、京都での椿の面影は無い。

 髪は耳にかぶるくらい短くなり、装いも男の洋服を着ていた。

 見るものが見れば男装の麗人であるが、普通に見ればただの美青年でしかない。

 豊かな胸はコートに隠されわからないのが椿を男として見せていた。

 たった一つの事を伝える為に、男に成りすましてまで蝦夷地に来たのである。

 椿は、妊娠をしていた――。

 その事で京史朗の心は確実な変化を迎えていた。


「京史朗さん。右眼を失ったのですね?」


「あぁ……この前の戦いでな。それよりこの激戦区になる蝦夷地にまで来るとはどうした?」


「ここにまで来てしまったのはもちろん訳があります。戦いに身を投じて余裕が無い貴方を混乱させてしまっても、私は伝えたかった……この、子供の事だけは……」


 京史朗は空の彼方にある薄い月を見上げながら、椿の言葉が耳に反響した。

 二人の間に、冷たい風が流れる。

 黙ったまま言葉が出ない京史朗に椿は顔を曇らせ言う。


「私は……来るべきではなかったでしょうか」


「……そうでもあるし。そうでもない」


 瞬間、椿の瞳を見た京史朗の全てが崩壊した――。

 思うまま、人目も気にせず京史朗は椿を抱きしめる。


「もういい……今は全てを忘れてお前を抱きしめたい」


 京史朗は京都での捨て去った青春の日々を思い出し、愛しき女を抱いた。




 京史朗に箱館のホテルという宿を紹介され、二人はそこで休んだ。

 そこは月影の利用している場所でもあり、京史朗が眠った後、椿は月影の部屋へ向かっていた。

 部屋に入れる月影は何故私の部屋に? と思いつつ椿に椅子に座らせる。

 椅子に慣れない椿は背筋を伸ばし、緊張していた。


『……』


 蝦夷地での安定した時間があった為に月影は椿に文を出していた事で親交を深めていたが、実際に対面すると厳しいものがあった。常に闇で人の生き死にと対峙した者と、常に日向で愛想を振りまいていた女の決定的な違いがあった。


「……月影さん。今までありがとうごさいました。おかげで私は京史朗さんとまた会えました」


「えぇ、良かったわね」


「本当に感謝の言葉しか思いあたりません」


「えぇ、良かったわね」


「……」


 この冷たい月のような女の心の壁に椿は辟易する。

 そして、椿は太ももを握りしめ言った。


「京史朗さんは、妾のような女性はいるのでしょうか?」


 その言葉に月影はすぐに答えた。


「いや、あの男は女を絶ってるわ。何度か不眠で寝れないらしいあの男に襲いかかったが、抱く事はなかった」


「……そうですか」


「あの調子だと味方さえ斬りかねないから無理矢理、添い寝をして寝た後に狂気をださせているけどね。下半身が溜まると、精神的にもよくない。本人は狂気を蓄えているようだけど、それはいつまでも続かないでしょうから私は彼を抱いたわ」


 月影と京史朗の関係に身体の関係以外は何も深いものは無いと感じながらも、月影の接し方は上司と部下の範疇を超えたものがあった。それを椿は堂々と聞く。


「月影さんは、京史朗さんが好きなのですね?」


「……これは仕事として行っているだけよ。私は伏見奉行の隠密という役目を果たすだけ」


「好きなのですね?」


 熱い眼差しが月影を襲う。

 それは今まで日向を歩いてきた者だけが出す光で、月影は見つめる事が出来ない。


(……この女。やるわね)


 どうあっても答えなければならない問いらしい。

 自分で呼び出したようなものに今更気づき、月影は白状した。


「えぇ好きよ。京にいた頃からね」


 その答えに椿は納得した。

 同時に、二人のわだかまりも心の壁も消え去った。


「貴方がいない間は、全ての手伝いをさせてもらっていたけど、貴方がいる以上私は隠密に集中できる」


 立ち上がり、頭を下げようとする椿を抑えた。

 ここで頭を下げられるような事は月影はしていない。

 仕事ではなく、善意でやった以上は感謝をされる言われは無かった。

 二人の女は互いの手を取り、微笑んだ。

 そして翌日――。


「猫舌は克服したんだから、鬼京屋の熱い茶をもう一度頼むぜ」


「はい、かしこまりました旦那様」


「おう」


 二人の男女は京都にいる頃を思い出しながら夫婦のような当たり前の朝を迎えていた。戦闘続きと、右眼を失った京史朗にも笑みが戻るようになった。束の間の休息は続く。


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