二十四幕・蝦夷共和国
松前城を落とし、浮かれる幕府軍はこれからの予定と決め事を決めていた。
幕府軍の幹部を決定する選挙が行われたのである。
榎本武揚を総裁とする五稜郭を本陣とする〈蝦夷共和国〉が成立した。
鬼瓦京史朗は陸軍奉行になり、土方歳三は陸軍奉行並となり、箱館市中取締や陸海軍裁判局頭取も兼ねた。そしてその夜――。
西洋の格好をした連中は西洋のワインという酒をグラスという瓶に注ぎ、パーティという催しをしていた。箱館政府が樹立され、榎本らが祝杯を交わし戦勝の言葉を話している。
「……」
京史朗はワインが気に入らないのか一口飲んだだけで後は飲んでいない。
会場の壁によりかかる土方の隣に来る京史朗は、浮かれる幹部連中を見て言う。
「浮かない顔だな。こんな戦場じゃない所は新選組の親玉は気に入らんか?」
「今は騒ぎ浮かれる時ではない」
土方は戦勝に浮かれる事無く、次の戦を見据えていた。
京史朗は新たに就いた役職である陸軍奉行の話をする。
二人は陸軍奉行という同職の扱いだった。
土方は並とついているだけで、役回りは同じである。
「陸軍奉行並? ふざけた役職だな……土方」
「貴様と同じ役職など御免こうむるから並びとした。榎本総帥の計らいだ」
「榎本ねぇ。実際、大将の榎本ってのも有象無象だろ? 鳥羽伏見を味わってもいねぇ、京の街中を歩いた事も無いような奴らじゃ官軍には勝てねぇよ」
「奴等は近藤さんが目指していた政治家という奴等だ。戦場では糞の役にも立たん腰抜けだろう。しかし、俺はただ自分の誠を貫くだけだ」
そして、土方はフランスから輸入された黒いフロックコートを着て長い長靴の音を鳴らし、死を纏う背中を揺らし歩いて行った。会場にとどまる京史朗は西洋の食べ物を食べたが、いまいち舌が受け付けなかった。
※
京都・西本願寺太鼓楼。
かつて新選組が屯所としていた場所は官軍の支配下におかれていた。
それはとある男女の為にある場所でもあった。
「摩訶不思議、摩訶不思議。人間の再生能力を死油は促進しているよ。僕の火傷ももう完治する」
そこに全身を包帯に巻かれた髪の短い白髪の男がいた。
男は全身を火傷していたらしく布団で横になっていたが起き上がる。
すると、一人の前髪が揃った黒髪の病的に色が白い女が障子を開けて入って来る。
「ふーん。火傷よりも左に空いた穴の完治が異常だわ。よくその瀕死から復活したものね」
この死油により全身火傷から回復した摩訶衛門の心臓は実は右にあった。
それ故、京史朗が左胸を突き刺しても無駄だったのである。
それを思い出したこの男は言う。
「日頃の行いのおかげかな」
「貴方がそれを言う?」
前髪を整える玲奈は飽きれながら言った。
起き上がる摩訶衛門は包帯を外し皮膚を見た。
全身火傷の為に完璧には治癒しないが、表面が多少歪んでいる程度の傷まで完治している。
身体は服で見えないが、顔は見える場所の為に化粧をすると摩訶衛門は言う。
「髪はもう短い方がいいかな。どうやらこの方が軽快な感じがするよ」
目にも止まらぬ拳の乱打を空中に繰り出し、拳圧で障子が揺れた。
その風で前髪が乱れ、広い額が露わらになる玲奈は、
「そこまで動ければ問題無いわね。次の大阪発の軍艦で江戸まで行き、一気に蝦夷地まで行くわよ。すでに戊辰戦争は蝦夷地で決着がつく所まで来てるわ」
「摩訶不思議、摩訶不思議。ちょうどそこに間に合ったのも奇遇だね。まるで彼が僕を待っているようじゃないか」
ふふふ……と嗤い、摩訶衛門は自分をこういう目に合わせた宿敵、鬼瓦京史朗を思う。
そして、官軍の親玉について聞く。
「西郷はどうしてる?」
「どうやら、次の総攻撃には大将として出陣するらしいわ。あの男は次の総攻撃で蝦夷地の幕府軍を壊滅させるらしい。蝦夷地を焦土にしてもね」
「素晴らしい。流石は西郷だ。熱い血潮のように行こうではないか」
そして、玲奈から渡された新しい装備に着替える。
黒のズボンに赤いシャツを着る。
上着は黒皮のコートに足はブーツを履く。
紅い眼帯を右にし、腰には新刀・血神狂星丸が妖気を発していた。
まるで西洋人のようになった摩訶衛門は死油の効果により進化して復活を遂げた。
その二人は最終決戦の地である蝦夷地を目指した。
※
「それじゃあ頼むぜ」
京史朗は剃刀を土方に渡し、椅子に座ると背後に立たせた。
土方の手元にはお湯で熱くなる手拭が持たれていた。
いつもは月影に月代を剃らせていたが、今日は調子が悪いらしく休んでいる。
伊庭などに頼もうと思ったが、繊細な手つきをした男ではない為にこの土方に頼む事にした。
土方は案外細かい事に向いている性格で、隠しているが俳句などもたしなんでいるらしくそれを言った途端表情が変わり月代を剃る事を了承した。
どうやらこの男にも人を殺す事以外の興味もあるようで京史朗は安心した。
京都時代は部下から恐れられる存在だったが、北へ転戦する中でいつの間にか笑うようにもなり西洋式の戦を体現する指揮官として確実に変化を見せていた。
「髪は伸ばした方が楽だぞ。毎日剃る時間の無駄だ」
「いいから剃れ。こっちの隠密も調子が悪い日もあるんだ」
瞳を細める土方は月代を剃り出す。
やはりこの男は手先が器用だと確信した京史朗は不意に言う。
「勝てると思うか? この戦を?」
「蝦夷地の冬は寒い。我々以上に敵が攻めてくるのは厳しいだろう。故に敵が半年の猶予を我々に与えれば勝てる戦になる。だが、そうもいかんだろうな」
「何故だ?」
「官軍は今の勢いで、外国に新しい徳川幕府に変わる政権として認められる整備を進めなければならない。それには早く戦を終わらせなければならんだろう」
「……確かにそうだ。奴等は一月もあれば総攻撃をかけてくるだろーな。次に官軍が来たのを追い返せば、勝機はまだこっちにあるな」
言うと、京史朗は綺麗に剃られた月代を見た。
「いいじゃねぇか。あんがとよ」
「それくらい造作も無い」
「見事な手つきだ。流石は新選組の鬼の副長」
「ついでに貴様の一物も剃ってやるか」
「……」
こいつもこんな事を言うとはな……と思う京史朗は更に言われた。
「あのやけに強い黄色い忍女は何だ? 妻か?」
「……いや、妻じゃねぇ。伏見奉行時代の密偵だ。それだけさ」
「曖昧にしてると、寝とるぞ」
「……おい!」
振り返ると、土方は手を上げ去って行く。
その姿はまるで外国人であった。
似ているようで全く似ていない男に、京史朗は剃られたばかりの月代を撫で口元を笑わせた。
「……」
そして、窓の外の寒空を見上げる。
「春の声・散った桜に・夢の跡」
もう、会う事は無いであろう京都の椿を思った。




