二十三幕・松前城攻略
幕府軍による松前城の攻略が始まる――。
明治元年秋に蝦夷地にて、独立政権樹立を目指す幕軍の榎本武揚を首領とする軍勢は渡島半島の各地を制圧して政権の基盤を作っていた。
十一月五日には伏見新選隊の鬼瓦京史朗・土方歳三の和洋部隊が700人前後を率いて松前城を攻撃した。
松前城周囲では人が三人近く立てるほどの深い堀があり、冷たい水が流れていた。
この作戦は函館湾からの幕府軍軍艦の艦砲射撃をし続けながら突入部隊を援護し、城の構えを崩しつつ攻略しようというものであった。
突入部隊の眼前に当たる正門からの通路は曲がりくねっていて、松前兵からすれば鉄砲の的になりやすい効果的な構えであった。そして、数日間は降っていなかった攻める側にとって最悪な空からの白い天使――雪が降り始めていた。
松前城の城壁は高く、その周囲には深い堀があり正門以外には突破出来ない作りになっていた。
松前藩士は正門にアームストロング砲を二門置き、まるで風神と雷神が守護しているような絶対防衛線だった。
城へ突入する足場である正門の橋は外されてしまっていた。
松前藩士はミニエー銃で武装し、完全に籠城をするつもりらしい。
こうまでの籠城戦をされては戦力と補給路の確保も完全に確立していない幕府軍は早期に決着をつけなければ南より来たる官軍に完全に駆逐されるであろう。
そして、昼過ぎになり幕府軍・鬼瓦京史朗の号令で松前城攻略戦の砲火が上がった。
幕府軍は限りなく接近し、ゲーベル銃隊とミニエー銃隊を組み合わせ間段無く射撃し、四斤山砲を撃つ。対する松前藩側はアームストロング砲を左右交互に放ち、威力と飛距離で幕府軍の進行を防いでいた
前進しても射撃体制に入れば敵の銃隊に狙撃され、援護射撃の切り札である四斤山砲も敵のアームストロング砲に比べればもう時代遅れの遺物でしかなかった。前進しては射撃し、また下がるというのを繰り返した京史朗はどうにか敵の城の内部に入れないかと考えた。今は土方隊が敵の正門を崩そうと奮戦している。前に出ようとする伊庭八郎に京史朗は言う。
「……おい、八の字。あの城に斬り込む案は無ぇか?」
「兎にも角にも、あの風神雷神の大砲二つを壊さないと話になりませんね。その後に正門までの橋をこさえて斬り込む……」
「まぁ、それは厳しいな」
雪が舞う戦場に顔をしかめる二人は轟音を響かせ続けるアームストロング砲に辟易した。
「この城はこの正門以外に入口も無ぇしどんな作りしてやがるんだ」
「正門以外に無い?」
「あぁ、斥候に聞いたら城の周囲の門は存在しないそうだぜ?」
この松前城の外周は雪に覆われ、城の壁は雪によって隠れている。
紺の鉢巻を締めなおす伊庭八郎は血色のいい顔を笑わせ言った。
「古来より城の外周のどこかには必ず小さな門があります。もしかすると、地面に残る雪がその門を消し去っているのかもしれない」
伊庭の言う通り、敵が破壊した橋の残骸は雪に隠れていたが、その姿は新雪の重みで崩れるなどして姿を現していた。これにより城の白さに隠れていた雪の隠れ蓑は消え去った。京史朗は部下三人を選抜し、松前城の周囲をもう一度詳しく調べさせた。そして内部へ侵入出来そうな怪しい場所を知る。
「……なるほどな。正門しか攻撃してねぇのに西側だけ壊れた橋があるのはおかしいな。雪で隠してたんだろうが、一箇所がわかれば十分よ」
まだ攻撃をしていない西側の城壁に向かう足場の木橋が何故壊れているのか気になった。
そして、その木橋の残骸は城の外壁にたてかけられるように立っていた。
「――八の字! 俺に続け!」
「はい!」
壊れたミニエー銃を捨て抜刀した紺色の旋風が京史朗に続く。
三十人ほどの部隊になる一団は戦闘地から抜けて行く。
それに土方はこいつらは何をしているんだ? と眉を潜めた。
雪に顔を白めながら駆けながら京史朗は叫ぶ。
「土方! ここは任せた!」
「――あぁ」
二人はその短く内容が無い言葉で互いは次の作戦を理解した。
この作戦は少数で城の西側にある搦手門を突破し、内部に侵入してから一気に正門の敵を混乱させ駆逐しようとしたのである。
搦手門は城門の一つで、大手門に対して開かれる搦手口の門である。有事の際には、ここから城外や外郭へ逃げられるようになっていた。建物自体は、小型で狭く目立たない仕様であることも少なくなく、厳重である大手門に比べて少人数で警備できるように設計してあった。そこに京史朗は目をつけたのである。
「長い時間浸かるわけじゃねぇから気合で乗り切れ。金玉が縮むが、無くなるわけじゃ無ぇかんな!」
そう言うと、京史朗は堀の川に飛び降り、浸かる。
松前城の西側搦手門は現在材木で隠されており、それを人力で排除できるようなものじゃないが大砲で破壊し、そこから京史朗達は突破しようとしていた。
しかし、内部には敵の兵が待ち受けていてすぐに反撃に出てくるだろう。
通る道も無い搦手門では堀から上がり、一人一人で攻めるしかない。
雪が降り凍りつく寸前の冷たい水に浸かる突撃隊の体長である京史朗は顔を青ざめさせながら言う。
「こっちが大砲を撃ち、川から上がる人間の時間が長引けば内部の兵が仕掛けて来るだろう。だから大砲を撃つ時間を感覚でつかんでほぼ同時に登るしかねぇ。攻める気がなければ死ぬぜ。全員覚悟しろ。ここで勝てば、蝦夷地の女が待ってやがるぜ」
『……おう!』
その言葉で突撃隊の全ては納得した。
すでに数人の女に手をつけている伊庭八郎の集中力が切れ、女は勝ってからだと煙管でつつく。
京史朗達は、四斤山砲で門を破壊した後の一呼吸おく間も無く仕掛けなければならない。
時間が合わなければ京史朗達は味方の砲弾に撃たれる事になる。
味方の四斤山砲の弾が装填され、発射準備に入る。
(……五……四……)
全身が水の冷たさで固まる京史朗の呼吸が深くなり、大砲の発射に合わせた。
(……三……二……)
堀の上を見上げる突入部隊は壁に手をかけて白い息を吐き、この作戦で城を攻略して女を抱いてやると決死の思いになる。全員の心が一つになり、京史朗は白く咆哮した。
「――行けええーーーーーーーっ!」
弾き出される弾丸のように一気に京史朗達は壁を登る。
いち早く堀を登りきった京史朗は、未だ発射しない自軍の大砲に唖然とした顔で振り返る。
(――この寒さで火薬がしけてやがるのか! ――!)
流石の京史朗もここで死を覚悟した。
雪が周囲を覆いつくし、その心は遠くへ消える。
目の前には伏見奉行所があった――。
そこの庭には金之助が小判箱を土の中に隠そうとしてるのを夜談に止められていた。
口が開いたままの京史朗は今までの事は悪夢だったと思い、二人に近づく。
緋色の着流しの京史朗に気づく二人は、微笑んだ。
ふと夜談に手を伸ばされ、手を取った。
「奉行、まだここに来るのは早いですぜ」
言うなり、身体をありえない力で押された。
「! 夜談、何しやがる? 俺はお前達と――」
瞬間――京史朗を背後から包む鮮やかな光の暖かさを感じる。
「あの方達は死者です。そして貴方は生きている。徳川の大義の為に――」
そこには太陽の匂いを吸った暖かさを生み出す向日葵の笑顔をした椿がいた――。
そして、真横の椿も視線の先の夜談も金之助も春の桜の乱舞に消える。
「……!」
目の前には伏見奉行所も、桜の暖かさも、かつての仲間もいない。
残酷なまでに白い雪の寒さが、京史朗を冥府より目覚めさせた。
目の前に、紺色の武士が抱きつくように飛び掛ってくる――。
「伏せろ鬼瓦さん!」
幕府軍の四斤山砲が発射され、その射線上にいる京史朗に伊庭は身体ごと突っ込んで逃そうとする。
同時に、地獄の咆哮のような地鳴りが周囲の雪を震わした。
『……』
爆発の余波で堀の川に落ちた兵は白い煙が上がる搦手門を見据えていた。
壊した橋で塞がれていた搦手門の材木は破壊され、内部が見えた。
「どうなり……やがった?」
倒れたまま呻く京史朗は顔を血に染めながらも生きていた。
真上には伊庭が覆いかぶさっており、これもまた生きている。
岩の残骸が二人にのしかかり、一本の木が伊庭に突き刺さっていた。
「肩に木が刺さっているが、動かせないわけじゃ無い。ふぅ、和装で良かった……布が多いからあまり全身に傷は無いです」
「あんがとよ八の字。これでまだ戦えるぜ」
互いの顔を目の前にしながら二人は微笑んだ。
「早く起きなさい。土方が苦戦している」
すると月影が搦手門の前に現れた敵を苦無で倒す。
起き上がる京史朗は堀を登る仲間を確認し、月影の美しい顔を見た。
「お前の援護があれば鬼に金棒だ」
そして、京史朗は突撃隊を鼓舞する。
「突撃隊進めーーーーっ!」
京史朗は悪鬼のように躍動した。
これにより正門にいる兵も混乱が生じ、松前城は陥落した。
そのまま京史朗達は残兵を江差まで追撃した。
この時刻、幕府軍総帥・榎本武揚は海から援護するため、軍艦・開陽丸で江差沖へ向かったが、運悪く暴風雨に遭い座礁した。江差に上陸し、開陽丸の沈没していく姿を見守っていた京史朗と土方はそばにあった松の木を叩いて嘆き合ったと言われ、今でもその嘆きの松が残っている。
勢いのまま江差を無事占領した伏見新選隊は、一度松前城へ戻った。
十二月十五日に榎本が各国領事を招待して催した蝦夷地平定祝賀会に合わせて伏見新選隊は五稜郭へ凱旋した。




