二十一幕・青春の土地との決別
鳥羽伏見の戦いの敗戦後――。
勝利軍である官軍総司令・西郷隆盛が終戦後の伏見で見回りをしていた。
未だ、終結した戦いを知らないのか数人の幕府兵が官軍を求めて叫んでいるのである。
西郷は亡霊につかれた幕軍兵士を始末していた。
虚しい仕事だが、前時代の亡霊は生かしておくわけにはいかなかった。
この日本を焦土にしてでも西郷は戊辰戦争で日本を変革するつもりでいた。
この焦土戦争で日本人の心を一つにし、列強に勝てる強い国を地獄から生み出そうというのであった。 一人の羽織袴の幕府兵士を見て西郷は言う。
「銃兵隊、ミニエー銃構え――撃て!」
その幕府兵は蜂の巣になり死亡した。
そして、また現れた一人は近くにあった大砲をふかしたが、大砲が壊れていたのか玉は飛ばずその場で爆発した。周囲に土煙が上がり、西郷は眉を潜めた。
(……)
その瞳は烈火に染まり、言葉を紡ぐ。
「亡霊は駆逐せねばならんでごわす。徳川家康の亡霊などは……」
硝煙の中に浮かんだ徳川幕府開祖・徳川家康の幻にそう呟いた。
そして、勝利したこの土地全体を見据える。
「ここも幕末の二度の戦火で更地になり、新時代の建造物が生まれるでごわす」
両手を広げ、隣の匕首のような鋭い性格の中村半次郎に言う。
丸い両目を開ける西郷の瞳は、次の時代の建造物が浮かんでいた。
そこはまるで西洋の世界でしかなく、武士の住む国ではなかった。
ふーっ……と大きな鼻から息を吐き、言った。
「そして、江戸に全ての中央政権を確立するでごわす」
西郷はここでの勝利でその目を江戸に向けた。
※
明治元年一月十日に富士山丸にて大阪から幕軍は京を離れる事になった。
残された時間で京史朗は椿の避難先の大阪の北方面に足を伸ばした。
その道の途中、覆面をした黒い着流しの男のような格好の女がいる。
近づくにつれ、それが誰だかわかった。
「月影……」
「ここにみんないるわよ。早く行きなさい」
生きていた月影に急かされ、小走りで道を行く。
古い屋敷の中には椿と鬼京屋の面々がいる。
「おう、元気だったようだな」
「はい。京史朗さんも元気そうですね」
いつも先に尻を触られる為、椿は勢いよく触った。
「えいっ」
「おいおい、おてんばがすぎるぜ椿」
答える京史朗はろくに反応せず、柔らかく笑う。
椿は今の京史朗には辛いかもしれないが、会わせたい人物がいると言い屋敷の奥へ案内した。
「ここです。どうぞ」
「……」
そこには、京史朗の父親である鬼瓦元史朗がいた。
元史朗は足に包帯を巻いていた。
苦々しい顔をし、壁によりかかり京史朗を一瞥する。
「足を怪我したのか。らしくねぇな」
「三下か……。わしもお前の見舞いを受けるなど、落ちたものだ」
「合いかわずの口の悪さだな親父」
息子の勢いの無さに、元史朗はこの敗戦は相当な敗戦だという事を悟った。
そして、それは幕府の終わりを示すという事も――。
「……戦にも出てないのに怪我をするなんて、どうやら私も三下らしい」
その言葉に京史朗は驚かざるを得ない。
よく見ると元史朗の頬はこけ、身体も小さく感じる。自分の成長と親の衰退もこの世界の現状を教えてくれるようだった。
(……時代の流れか)
自分の偉大な存在である父の弱い姿を見るなんて、京史朗は想像もしていなかった。
時代の流れを否応無く感じ、それを察するようにその老人は言う。
それは伏見奉行として、幕府の人間としての言葉だった。
「京史朗。お前は伏見奉行としての節義を貫きなさい」
「当然よ」
前任と後任の伏見奉行はここで永遠の離別になった。
短い会話であったが、この二人はこれだけで互いを理解した。
※
京史朗と椿の二人は屋敷を出て寒空の外を歩く。
外の風は強く、京史朗は椿の肩を抱いた。
二人の時間が長く無い事を椿は知っている。
ありえないほどに、京史朗の消沈具合が指先から伝わり椿に現状の幕府を伝えた。
時代を流す風に逆らうように、飛んできた草を弾く椿は言う。
「幕府は潰れません。この二百年以上続いた世界を壊すなど、仏様が許しになりませんよ。次の戦いで勝てばいいのです」
両手を握りながらじっ……と瞳を見据え椿は言う。
その言葉に京史朗は答えた。
「幕威が衰えているのは重々承知だ。それは今までの流れと鳥羽伏見で日本中に知れ渡った事だ」
「なら……」
「でもな。徳川家康公の直臣である京都伏見奉行所・鬼瓦京史朗源狂星として俺は家康公に節義を貫くだけ。まだ、幕府が終わったわけじゃねぇからな」
「……行くのですね?」
「あぁ、俺は俺の節義を通して来る」
二人の今生の別れの言葉はそれきりだった。
青白い月が樹の下にいる二人の男女を照らし、男は新しい煙管の煙をくゆらせながら多少の咳をして京都で見る最後の月を見上げた。
「春満ちて・落つる夢こそ・春桜」
開戦前に椿に言った春の句を、こういう形で言うのが辛かった。
そして一月十日になり幕府軍は富士山丸にて京を離れた。
その中で鳥羽伏見の死者への弔いが海軍式に行われた。
時代に置いていかれた新選組の生き残りと肩を並べる京史朗は空を見上げ、思う。
(引き潮に・思いをはせる・恋心……)
十六日に幕軍は江戸城へ到着し、これから先の軍議を開いた。
こうして、鬼瓦京史朗の京都での青春の日々は終わった。