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奉行・鬼瓦京史朗  作者: 鬼京雅
奉行・鬼瓦京史朗~京都編~
31/42

二十幕・雀の涙を喰らう魔物

 幕府軍は負けた――。

 敗走した幕府軍はそれでもまだ大阪城に篭城して戦おうとの意思を持っていた。

 京史朗や土方などの新選組。会津藩兵もそれを進言した。

 しかし賊軍である幕府軍が大阪城に到着した時、既に総大将・徳川慶喜の姿は無かった。

 これにより主君を失った幕府軍の将兵達は大阪城を捨てざるを得ず、大阪から去る事になる。

 土方達新選組とも別れ、伏見奉行所の面々は大阪城の近くにある茶屋の奥で休息していた。

 敗戦のせいもあるが、慣れない鉄砲主体の戦いに現実と空想の区別がつかない者も出ていた。

 それほどにこの戦は今までの世を一新する戦だったのである。


「……次は江戸か。仕方ねぇか。せめて早く伝えてやろう」


 次の幕府軍の動きが決まり、大阪城から駆けて伏見奉行所のいる茶屋へ戻る。

 茶屋の戸を開けるが、人の気配が無い。


「おい、野郎共。寝るなら俺の話を聞いてからにしやがれ」


 奥の部屋に入って行くと、そこは血の海だった。

 生き残りの伏見奉行所の面々の首が整然と畳に並べられている。


「……一体これは」


 声を失う京史朗は、首の顔を見ていくと一人の生き残りがいない事に気づく。


「金之助がいねぇ……金之助――」


 あの男なら生きているというのが鳥羽伏見の戦いで感じられた。

 官軍のミニエー銃に劣るゲーベル銃での三段撃ちなどの作戦を考案し、ここに生きてられるのも金之助のおかげでもあった。隣の障子を開け放つと、金之助の姿があった。


「おい、金之助――」


 何とか保っていた足の力が抜け、膝立ちになる。


「……」


 伏見奉行所金庫番と密偵を勤めた金之助は全身を刀で突き刺され、壁に無理やり立てられていた。

 こうまでするには、犯人の個人的執念を感じる。

 こんな事をする人間は、魔物でしかないだろう。

 その男の顔を想像し、血に染まる畳を叩く。


「これはあの野郎しかいねぇな……どうやら決着の時のようだ」


 畳の上にある皿の金之助の食い損ねた団子を食って楊枝をくわえた。

 死を覚悟して京史朗は鬼籍に入る仲間の供養を後にし外に出ると、見知った細い眉の顔の男がいる。


夜談よだん……」


 そこには木戸夜談がいた。

 何故、新選組の夜談がここにいるのか――?


「副長にもう幕府の情報を得る為の間者はいらんと言われまた帰って来ました。すでに新選組も無いので切腹もまのがれやしたぜ」


 夜談は土方から放逐され、京史朗の元に戻って来た。

 いずれそれぞれの組織全体は幕府軍の一つに組み込まれる以上、個人が一番戦い易い場所で戦わせようとしたのである。その話の中で、新選組の死者の詳細も知る。


「……山崎も死んだか。奴も俺に情報を流してくれた恩人だ。いつか弔わせてもらおう」


「新選組も局長も沖田さんも江戸でも再起できるかわからない状態ですぜ。おそらくこのまま土方副長が新選組を率いるはずです」


「そうか。剣士がいなくなるか」


 沖田総司は肺病である労咳ろうがい

 近藤勇は鳥羽伏見の戦の開戦前に新選組を抜けた残党に肩を銃撃されて寝込んでいる。

 くしくも、この二人の剣豪は刀槍の戦から鉄砲や大砲主体の戦に参加する事は無かった。

 まるで、時代がこの舞台役者にもう出番は無いと言っているようである。

 その淋しさが京史朗の心を闇に落とすと――。


「――!」


 全身に悪寒が走った。

 ありえないほどの悪寒である。

 しかし、この悪寒はもう幾度か感じていてその相手の嫌な顔さえ脳裏に刻まれていた。

 口元を嗤わせる京史朗は言った。


「小便だ。すぐに戻る。この紙に椿の避難先が書いてある。先に行け」


「はい。と言いたい所ですが余談をします。小便なら待てる時間ですぜ? 何故こんな紙っ切れを渡し、そこに行けと言うのです?」


「今は余談はいらんぞ。俺の命令が聞けないのか?」


「残念ながら、私は貴方にまだ伏見奉行所の密偵に認められていない」


 そう言う夜談に京史朗は笑い、


「確かにそうだ。現時刻をもって木戸夜談の伏見奉行所密偵を命じる。心して働け」


「御衣」


 振り返ると京史朗は鬼になった。

 そのまま悪鬼が垂らして誘っている血の匂いを辿る。

 腰の鬼神龍冥丸が同じ刀匠が打ったもう一つの刀と共鳴していた。





 雄大な草むらに一陣の風が流れる。

 暁の夕日が京史朗の血の気の無い顔を照らしていた。

 この数日間の間に死んだ死者の霊魂が大空に渦巻くように雲を回転させていた。黒の羽織はまだ血と泥で汚れており、それを洗う気力も無かった。結果的に何も出来なかった現実に、京史朗は言葉も出ない。


「……」


 そして大きく息を吐き、鞘から出たがっている鬼神龍冥丸を抜いた。

 まだ、研いでいない為に人間の油が巻き付いているその刀は鈍く吼えた。

 それに答える右目に眼帯をする血神丸けつじんまるの主人は長い髪を後ろにやりつつ言う。


「ここなら誰の邪魔もないだろう。幕府や役人などの公的な全てを捨て、お前の全てを僕に見せてみろ」


 白髪の魔物――摩訶衛門が現れた。

 この白い縦縞の羽織を着る男はこの鳥羽伏見の戦で百を超える死油しゆ部隊に人間を使い、それを使い捨てにしていたのを知っている。確実に薩摩の中だけではなく時代に干渉する魔物はここで始末する必要が、責務があった。数年来の宿敵はこの自分しか倒す相手はいないのである。

 互いはもはや挨拶など語るまいと無言で見据える。

 摩訶衛門は草むらに炎を灯すと、それは一気に円を描くように広がる。

 こうなっては、もう両者に逃げ場は無い。


『……』


 満身創痍の京史朗と伏見奉行所全員を屠った摩訶衛門との京都最後の戦いが始まった。




 凄まじい剣の乱舞が周囲の炎を更に燃え上がらせるようにぶつかり続ける。

 同じ刀匠が作った名刀であり妖刀は鋭い音を上げ、両者にかすかな傷を生んでいく。

 空に渦巻く怨霊の雲は、この二人を冥府に誘うように嗤っていた。


「ずえあっ!」


「はははっ!」


 剣圧で圧し切った京史朗は、全身全霊の突きを繰り出す。


「っ! 危うい所だよ」


 刀を素手で受ける摩訶衛門はそのまま京史朗を外周の炎の方に刀ごと飛ばす。

 態勢を崩しながら、地面の草を蹴り上げ一瞬互いを見失う。


(片目が見えないのに遠近感は問題ないか。背後は火があるから来るなら正面……だけどしゃがんでいる俺は見つけられまい)


 すでにしゃがんだまま一気に摩訶衛門を突き殺そうとする鬼が動く。

 全身を矢にしたような突きが黒い影に炸裂する。


「やっ……てねぇ?」


 完全に突き刺したはずの刃に感触は無い。

 見ていたのは炎によって生まれた陽炎の幻だった。

 炎の中を駆けて京史朗の背後に出た摩訶衛門の口元が嗤う。


「残念だったね。首をもらうよ――」


「……」


 その――刹那。

 京史朗は無意識のまま煙管を逆手に持ち刀を受けていた。意識を取り戻し、攻めに出る。


「うらぁ!」


 刀をぶつけ、力比べになる京史朗は火の粉で焼ける喉を鳴らし言った。


「月影の死体が無いが、殺してないのか?」


「奴は僕も知らんよ。どこかで野たれ死んでるんじゃないかい?」


 これで、京史朗は月影は生きていると確信した。

 あの女がそう簡単に死ぬはずが無い。

 事実は違ってもそう思いたかった。


「お前の協力者はどうした? 今まで百人近くの役人、重役を斬っておいてそいつ等の行方だけがわからねぇんだ。西郷の所で働いてやがるのか?」


「行く当ての無い者など死んでも問題あるまい。歩は歩として逝くだけよ」


「聞き方を変えよう。俺が聞いてんのは、どの場所で冥府に行ったかだ?」


「奴等は全部ここにいるよ」


 摩訶衛門は自分の腹を抱えながら長い舌を鼻の頭につけて舐め回す。

 この魔物の周りには西郷からの手引きで各藩の助けた人物から選りすぐりの危険因子が集結していた。 その流れ者などが協力し、その者達の人体実験で人間の命を代価に底力を生み出す死油は完成した。


「摩訶不思議! 摩訶不思議!」


 刀の切っ先を蛇のようにくねらせる摩訶衛門は一気に突いた。


「ぬっ!」


 それを紙一重でかわすが、突きから横薙ぎの一撃に京史朗の頬は切れる。

 伸び切った腕に対し、京史朗も突きに出た。


「つぇあっ!」


「――大回転!」


 嗤いながら摩訶衛門は伸び切った腕を身体ごと回転させ、突きを弾く。


「ぐへぁ!?」


 京史朗の左拳の突きが顔面に直撃していた。

 そして残る左目も潰してやろうと魔物の左目に手を伸ばし握る。

 すると、摩訶衛門は噛み付いて来た。


「……野郎っ!」


 股間に蹴りを入れ、噛まれた左肩を抑えながら後退した。

 背後にある炎の暑さを感じ、やけに呼吸が荒くなるのが早いのを感じた。

 近づく炎の壁を避けようと左に足を伸ばすと、踏ん張りがきかず滑ってしまう。


「――足がっ?」


「それは僕の仕掛けではないよ」


 嗤う血神丸は周囲に立ち上る炎を纏うように京史朗に一閃する。


『――』


 その――刹那。


「!」


 一匹の雀が摩訶衛門の背後から襲いかかっていた。

 ぐるりと首を背後に回す魔物の口に、生きた鳥が捕食される。


「いつぞやの時はこの雀にやられたからねぇ……不味い」


 むしゃり、むしゃり……と真っ赤に白い歯を染め上げながら摩訶衛門はにんまりと安らぎに満ちた満面の笑みで笑う。


「君の愛はいらんよ。愛とは血であり死だ。生ぬるいから君は弱いのだよ隠密崩れ君」


「黙れ下郎!」


「摩訶不思議! 摩訶不思議!」


 夜談が投げる苦無をかわされ、振るわれた刀を小太刀で受ける。

 圧倒的な剣の嵐に夜談は刻まれ、京史朗は左肩を刺されて地面に固定されてしまっている為にただ見つめる事しか出来ない。


「切り札はまだありますぜ――雀大乱舞すずめだいらんぶ


 千の雀が摩訶衛門を襲った。

 雀の群れがまるで命令を遂行し終わったかのように各々の巣へ戻って行く。

 全身の皮膚を噛みちぎられる摩訶衛門を見て京史朗は夜談の切り札に興奮した。


「やりやがったな夜……――!」


 そこには素手で心臓を抜かれている夜談がいた。

 髪や衣服を毟られる摩訶衛門は痛みと快楽を相手の心臓から吸い取るように嗤っていた。

 中空を見据え、夜談の霞む瞳は鬼瓦京史朗を見る。

 その夜談の最後の声を、京史朗は魂に刻む。


「奉行……後は任せましたぜ。最後に一つ余談を……椿さんとは夫婦めおとになりなせぇ……」


 夜談の最後の言葉は微笑みと共に消えた。

 不快な絶叫を上げた摩訶衛門は、急に冷静な獣になり呟く。


「これは美味いねぇ。これほどの美味は無い。血を精製する大元の心臓とはこんなにも美味だったと教えてくれた夜談君には感謝せねば……あの鬼瓦の心臓はもっと美味いという事を教えてくれた感謝をねぇ?」


 じろり……と嗤う摩訶衛門は夜談の死骸を乗り越え倒れる京史朗に向かって来る。


「がはっ!」


 首を掴まれ、京史朗の心臓から全身に送られる血流は滞り始める。

 そのまま窒素させる前に摩訶衛門はこの鬼の生き血を喰らいたくて仕方が無い。


「君の心臓も喰わしてもらおうか鬼瓦」


 刀を突き刺そうとする摩訶衛門の動きが止まる。

 京史朗は口の中にあった楊枝を思いっきり吐き出し、額に刺したのである。

 そして、肩に刺さる夜談の苦無で摩訶衛門の首を刺す。

 だが、その魔物の動きは止まない。


(激戦続きで身体が動かな……死ぬ――)


 左胸に切っ先が刺さる所で血神丸は止まる。


「ぐっ……神経性の毒か? あの雀か。あの喰った雀に毒があったか。これは正に一杯喰わされたね。雀男のおかげで寿命が延びたな鬼瓦ぁ」


 夜談が放っていた雀には毒が含まれていた。

 麻薬に詳しいこの魔物には自分の身体に巡る成分がすぐにわかった。


(……あんがとよ夜談。お前の仇は必ず討つ)


 夜談の罠により、鬼が現世に息吹を吹き返す。

 白髪の魔物は狂喜して身体の痺れと格闘している。


「中々の……痺れだね。これは君への思いの深さなのかな鬼瓦?」


「あ? 日頃の不摂生でもたまったんじゃねーか? お前、若白髪だしな――」


 互いの刃は交差し、一つの刀が折れて地面に刺さる。

 摩訶衛門は笑い、京史朗は血を吐いた。

 地面に刺さる刀に反射する折れた刀の持ち主は、血神丸を持つ摩訶衛門だった。


「……折れた? 血神丸が折れたのか? 摩訶不思議、摩訶不思議」


「てー事はよ? この刀匠の言う事が正しけりゃ、お前が死ぬって事だな?」


「そうだねぇ。でも維新回転がこれからなのに、まだ死ぬのは嫌だね。そうだ、また玲奈に血神丸を超える刀を打ってもらおう。名は……血神狂星丸きじんきょうせいまる。君のいみなを取ったよ鬼瓦。何せ僕は君を愛してるからねぇ」


「そうか――」


 閃光のような突きに摩訶衛門は心臓を刺される。


「ぐふっ! この痛み……これが玲奈の妖刀の血の味か。摩訶不思議、摩訶不思議」


「ちゃんとあの世へ逝けよ三下」


「ハハハハハハハッ! それは君も行くべき場所だよ!新しいものを受け入れられない君は、新時代など見れない……それはもうわかったはずだよ!ハハハハハッ!」


 左目が赤く輝き叫ぶ摩訶衛門の言葉は不快であり、心臓に刺さる鬼神龍冥丸を引き抜き、京史朗は魔物を炎の中へ蹴り込んだ。

 血の魔物は渦巻く炎の闇に消え、ようやく鳥羽伏見の戦いが京史朗の中で幕を終えた。




 そして、京史朗は壊滅した伏見奉行所の最後の仲間である夜談の亡骸の前にいた。

 目の焦点は合っておらず、沈み行く夕日にすら気づいていない。

 弱々しい唇が動き、言う。


「命令を無視しやがって……椿の元へ行けと言ったはずだぜ……阿呆が」


 そこで、鬼の感情が爆発した。

 瞳から溢れる涙を流す京史朗は、今までの数日間の死者と今日生まれた死者を思い起こし、この変化する時代の全てに呑まれてしまっていた。その錯乱状態のまま夜談の死体を抱きしめた。どんなに強く抱いても、もうこの男の余談は聞こえない。


「夜談。お前の余談が……聞こえねぇよ……」


 京史朗は安らかに眠る夜談の胸に愛用の煙管を置いた。

 その夜談の胸に大量の雫がたまっていき、夕日は燃え上がる炎と共に幕府の終焉を迎えるように沈んだ――。


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