十九幕・鳥羽伏見の戦い〈後編〉
伏見奉行所の業火に照らされる伏見の森の伏見新選組の足は止まっていた。
足だけでなく頭も止まる京史朗達は火災の明かりに照らされ、森の奥からの薩長軍に一斉攻撃を浴びるはめになった。その混乱の最中、月影が現れ京史朗に告げる。
「奉行所には摩訶衛門とその仲間がいるわ。奴等は火を放ってどこかえ消えた」
「……あの野郎」
この戦場にまで現れる奴とは思っていなかった為に、京史朗は歯軋りした。
「私は奴等を追うわ。貴方は戦に集中しなさい」
「頼んだぜ月影」
恐ろしき摩訶衛門の死油部隊によって、鳥羽伏見の戦の初日の終わりに奉行所は焼けた。
※
薩長軍が京に向かうには鳥羽街道と伏見街道の他にも、大きなものとして竹田街道と西国街道がある。 幕府軍はこの両街道には軍を向かわせなかった。
幕府軍首脳部は開戦前から自分達の大軍が押し寄せれば薩長連合軍は戦わずに逃げ出すだろうと言う甘い考えがあった。
その数に押し出す戦いの案しか持たなかった為に、実際の戦闘では薩長連合軍に対して幕府軍は鳥羽街道と伏見街道のみしか進軍路を定めなかった。結果、鳥羽街道と伏見街道に殺到した幕府軍は当初の考えにあった数の有利を生かす事が出来なかったのである。
幕府側の緩い攻めと薩長の大砲の威力によって緒戦から薩長軍側が優勢となった。
一月四日――。
翌日になると薩長軍に土佐藩が参加した。
鳥羽方面では、昨日の戦いでわずか五千の薩長連合軍に敗れた一万五千の幕府軍は、再起を計る為再び京都に目がけ行軍を開始した。再び鳥羽・伏見両方面で幕府軍と薩長連合軍は激突したのである。
伏見方面での戦いでは、前日の戦いで拠点である伏見奉行所を失った京史朗達幕府軍は撃破され、伏見を捨て淀方面に撤退した。
この日の午後、薩摩藩の大久保利通や長州藩の広沢真臣等の政治工作により薩長連合軍に錦の御旗が翻り、これにより薩長連合軍は公式に新政府軍と認められ〈官軍〉となった。同時に幕府軍は〈賊軍〉となってしまう。
そしてこの戦の大義を示す薩長土連合軍に朝廷から錦旗が与えられると、〈賊軍〉となった幕府軍は戦意を奪われ、各地で敗退したのである。
※
一月五日――。
この日の戦いで官軍は、まず鳥羽方面軍は富ノ森・納所等の旧幕府軍陣地を奪取して、最終的に淀城攻撃を目指し進軍を開始した。また伏見方面軍は宇治川に沿って進軍しつつ周辺の幕府軍を駆逐し淀城に迫った。この官軍の作戦行動は、最終的に淀城で鳥羽方面軍と伏見方面軍が合流し、両軍合同の淀城総攻撃を行うものであった。
鳥羽方面の戦い――。
先日の戦いの終盤で幕府軍に奪回された富ノ森陣地に攻めかかった。
しかしこの陣地を守る幕府歩兵隊と会津・桑名藩兵も猛戦し一進一退の攻防が行われる。
だが、時代の流れには逆らえず幕府軍も力尽き富ノ森陣地を放棄し、後方にある納所陣地に後退した。 やがて富ノ森陣地を奪取した官軍が今度は納所陣地に攻めかかるが、この納所陣地では摩訶衛門の死油部隊により、何も出来ずに納所陣地を捨て淀城まで撤退した。
一方、伏見方面軍は淀城付近にある湿地帯の千両松付近にて、結集していた。
伏見新選組・会津藩兵・伝習隊・遊撃隊等が布陣して反撃の狼煙を上げようとしている。
まだ鉄砲の弾丸が当たっていない京史朗は疲労の顔も見せずに言う。
「この千両松付近は足場が悪い。五人一組で各個の判断で動いて薩長をしとめろ!」
「この奉行の言う通りだ。こっからは組を分断して攻撃する。新選組は俺に続け」
そう言った土方は一気に駆けて、湿地帯をダンダラ羽織の群れが飛鳥のように進む。
京史朗の思った通り、ぬかるんだ湿地帯のために思うように行動の取れない官軍はこの攻撃に手間取り、伏見新選組の白兵の凄まじさもあり撤退を余儀なくされた。
しかし、長州藩第一中隊軍監の福田侠平の指揮する第一中隊が突撃した事により官軍が全面攻勢に移り出し、やがて幕府軍を撃破し出した。この部隊はミニエー銃という新式の銃を採用した部隊で、射程距離と命中率の格段に違う相手の武器にはどうにもならなかった。この敗戦で伏見新選組などは壊滅的な被害を受けてしまう。
この敗戦の後、幕府軍は淀小橋を超えて官軍が追撃出来ないように淀小橋を焼き落として淀城に撤退した。その最中、開戦時は二百の精鋭を誇った伏見新選組だったが、今では総数が二十数人までにまで減ってしまっていた。その死傷の理由一番は鉄砲である。
疲弊し、抜け殻のようになる兵を見た京史朗は呟く。
「……何が官軍だ。俺達が賊軍であってたまるか。大義があるのは徳川幕府だぜ薩長連合」
「そうだな。だが、これからは刀槍ではなく鉄砲の時代のようだ。それだけは認めねばなるまい」
土方はそう言うと、京史朗に脇差の堀川国広を渡し西洋人のようなザンギリ頭にしてくれと言った。
それに唖然とし、
「お前……どうしちまった? 新選組局長代理がそんな姿で現れれは士気が下がる」
「これ以上下がる士気などは無いさ。あるとすれば上がる士気だけだ」
土方の目には焔が宿っていた。
この男は官軍の主力兵器であるミニエー銃やアームストロング砲を使い、この戦には勝つ気でいるのである。それは次の戦からという事ではあるが、この絶望的な状況では明日への希望でもあった。そして京史朗はこの戦いの中で、この男との奇縁が生まれた事を不可思議に思い土方の髪を切った。
※
日は変わり一月六日の戦いになる――。
淀城を失った幕府軍は、作戦を大きく転換した。
これまでの京に向い進軍すると言う方針から京から進軍してくる官軍を迎え撃つ。
と方針を変え、大阪平野への官軍の進出を阻止するために、京都平野の南端にある男山と幕府軍の本営が置かれた橋本陣地に布陣した。
そして官軍は今まで戦闘に参加していた薩摩藩・長州藩・土佐藩・鳥取藩の四藩兵に加え、この日から芸州藩兵も戦列に加わった大連合軍となって攻撃を開始する事になった。
・薩摩藩兵右翼軍。
橋本と西側から男山を攻撃する部隊。
・長州藩兵左翼軍
正面より男山を攻撃する部隊。
・薩・長・芸の合同別働軍
迂回し男山を東側から攻撃する部隊の三つに分かれた。
それぞれが木津川を通過し男山から橋本間の攻撃を開始した。
この男山から橋本を突破された場合、大阪まで官軍の阻む地形は無い。
それでは易々と官軍の大阪平野への侵入を許してしまう事になるので、幕府軍もここが死地言わんばかりに京史朗達も必死の防戦を行い、官軍もこの戦線の突破に難儀した。
地面に突き刺さり、折れる誠の旗を背に京史朗は鬼神龍冥丸をかざし進撃した。
すでに戦争開始から戦っていた兵は十数人しかいないが、幕府軍との合体部隊である為に数だけは百以上揃っている。
「伏見新選組! 進めーーーっ! まだ戦は終わってねーーーぞーーーーっ!」
戦国時代に明智光秀が考案し、織田信長が取り入れた三段撃ちの間段の無い射撃で敵のミニエー銃に対抗する。京史朗は指揮しながら、土方と白兵に打って出る時期を見計らう。
「摩訶不思議、摩訶不思議。準備が整い、やっとここまで到着したよ……戦局は五分か。死油部隊冥府へ進め!」
しかし死兵を使う摩訶衛門の死油部隊による別働軍が木津川を渡り大きく迂回し、男山の東側陣地を急襲した事でこの陣地を突破する事に成功した。白髪の化物は羽織袴を真っ赤に染め上げ、死油の効果も相まって紅蓮のように悪意を撒き散らしている。
「どこだ! どこにいる愛しの鬼瓦京史朗! 僕に君の心臓を愛撫させておくれよーーーーーーーーっ!」
「少し黙りなさい変態。いや、変態なら私も負けないわよ」
自己完結する独り言を言う玲奈は鞠爆弾で幕府兵を消して行く。
この別働軍の突破により側面を脅かされた事により、それまで攻勢ですらあった幕府軍の足並みが乱れた。悪い事は重なるように淀川対岸の山崎に布陣して静観する津藩兵の砲撃を幕府軍は受けてしまう。
津藩兵は元々、慶応元年から山崎守衛の任務についており、鳥羽伏見の戦いが始まっても官軍と幕府軍のどちらにも味方せずに静観をしていた。しかし、昨日の五日に官軍に味方せよとの勅命が降り官軍側として幕府軍に攻撃を開始したのであった。
これにより橋本陣地の砲が淀川対岸の津藩兵に対抗する砲撃に回されたので、官軍主力部隊に対する攻撃は弱まってしまう。
そして、男山から橋本を守る幕府軍は東は官軍別働軍から狙撃され、西は津藩からの砲撃を受け、正面の北側からは官軍主力部隊の圧倒的放火を浴びてしまう。空のよどんだ雲は異様に早く流れ、それを京史朗は眺めながら呟く。
「……負け戦か。やけに雲の流れが速いもんだ」
そして奮戦した幕府軍も力尽きて大阪に敗走した。




