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奉行・鬼瓦京史朗  作者: 鬼京雅
奉行・鬼瓦京史朗~京都編~
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十六幕・寺田屋騒動

 京の町は新選組が跋扈している日常が当たり前になり、倒幕派の影は微妙に薄まりつつある。

 伏見奉行所では隠密の月影が、京の町に摩訶衛門の影があると言った事に京史朗はとうとう時が来たかと思った。腰の朱鞘の中の鬼神龍冥丸きじんりゅうめいまるが嫌な妖気を放ち、常に京史朗の精神を乗っ取ろうとするように蠢いている。

 あの白髪の怪物との個人的な決着はつけなければならない。

 同じ刀匠の刀を持ち、自分にわざわざ刀を打たせた男との決着だけは――。

 そして、池田屋事件から爆発した時流は一時的に収まっていたように見えていたが、そのせきとめられた流れが決壊する出来事が慶応二年の年に起こった。

 薩長同盟――。

 この時期に、幕府は従えつつも巨大な武力と資金がある警戒すべき雄藩である薩摩藩について失念していた。

 敵対する薩摩と長州の政治的、軍事的同盟である薩長同盟は、慶応二年一月二十一日に小松帯刀邸で締結された。

 黒船来航以降、薩摩藩と長州藩は京を中心とする政治世界では雄藩として大きな影響力を持った。

 薩摩藩が公武合体の考えから幕府の開国路線を支えつつ、水面下では幕政改革をしていた。

 それに対し長州藩は急速な攘夷論を唱え反幕的強行をしていて薩長は犬猿の仲であった。

 薩摩藩は文久三年の八月十八日の政変にて会津藩と結託し長州藩勢力を京都政界から追放し、翌元治元年七月十九日に上京出兵してきた長州藩兵は蛤御門の変を起こしたが、途中から現れた薩摩藩の援護で敗走させられた。

 これにより、両者の犬猿の仲は決定的なものとなった。

 しかし、土佐藩の脱藩浪人で長崎で亀山社中(後の海援隊)を率いていた坂本龍馬や中岡慎太郎の仲介もあって薩長両藩は今は日本国をどうにかせねばならんと、藩という小さな概念から抜け出し薩長同盟は締結された。

 これにより、長州藩を人柱にしつつ薩摩藩は幕府の祭り事を終わらせる歴史的一大事を起こす事になる。

 その薩長同盟の立役者であり、変化を嫌い個人の意思などは必要ないと考える幕府最大の敵である大男。一個人で動き藩も国も相手にせず世界に挑む昇り龍――その坂本龍馬の潜伏先が月影の探索によってもたらされた。

 これにより、幕府の警戒する人間を捕縛する為に伏見奉行所は動き、寺田屋の騒動が勃発する事になった。




 慶応二年一月二十三日深夜――。

 伏見奉行所一同は伏見にある寺田屋周囲を囲み、その入口に伏見奉行・鬼瓦京史朗がいる。

 寺田屋の屋根の上には月影と金之助が坂本達の逃走に備えていた。

 この計画は、京での薩長同盟の会談を斡旋後に薩摩人として宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行所によって捕縛かそのまま暗殺してしまおうという計画だった。幕府にとってこの男の存在は脱藩藩士である為に、土佐藩からは暗殺しようが何を言われる事も無い為にこの坂本の生死は問わない作戦だった。

 龍馬と龍馬の護衛である長州の三吉慎蔵は幕府伏見奉行の捕り方百数十人に囲まれているのを知らず、熟睡していた。それをたまたま風呂に入っていていち早く気付いた、竜馬の妻になるお龍は裸のまま裏階段を駆け上がり、熟睡する龍馬らに危機を知らせた。

 と、同時に――。


「寺田屋へ突入する!」


 京史朗の掛け声で寺田屋の入口の扉は大木を持つ役人達の数度の激突により破壊され、伏見奉行所の面々は静まる寺田屋に侵入を開始した。

 地鳴りを上げるように男達は一階と二階を調べる。

 一目散に京史朗は二階に上がり、そこに今回の主役は存在した。

 京史朗の視線の先の室内には拳銃を持った男と槍を構えた男がいる。

 ちじれ毛の大男は袴をたくし上げ、一物を持ち小便をしていた。


『……』


 何故、この男はこんな状況で他人に見せるように小便をしているのかが気になり京史朗以下、伏見奉行所は男の小便を見たまま動きが止まる。

 その間、濡れ鼠になるお龍は役人に抑えられた。

 そして、一歩前に出て指揮煙管を突き出す鬼は言う。


「よぉ、海の怪人坂本龍馬。俺は伏見奉行所奉行・鬼瓦京史朗」


 ちじれ毛の大男である黒い羽織に白袴の坂本は拳銃を突き出しながら言う。


「確かに拙者、土佐脱藩浪士亀山社中・坂本龍馬。隣の槍男が長州の三吉慎蔵ぜよ」


「へぇ、そうかい……」


 すぐさま斬りこみたいが、相手が拳銃を持っている為うかつに近寄れない。

 それに気付く龍馬は奇襲の勢いを殺いだ為にこれでここは突破できると内心思った。


「流石にこの拳銃というものをしっちょるか奉行。この弾を心の蔵に受けたら誰でもいちころであの世ぜよ」


「あの世に行く前に、俺も小便をするかねぇ」


 そう呟き京史朗は袴をたくし上げ、長い一物を握り勢いよく放尿した。

 空間に生々しい音と湯気が立ち、龍馬と三吉は苦笑した。

 龍馬の勢いに呑まれていた伏見の役人達は落ち着きを取り戻す。

 息を吐く京史朗は静寂に満ちる全てを壊すように言う。


「……すっきりしたぜ。行くぜ野郎共!」


『おおーーーっ!』


 寺田屋の二階は大混乱に巻き込まれた。

 伏見奉行所に踏み込まれた龍馬達は、拳銃や槍を用いて防戦して奉行所の役人数名を殺傷した。

 だが、龍馬自らも手の親指を負傷する。

 形勢が不利だと判断した龍馬は爆弾を持っていると法螺を吹き、黒い布の塊を出す。

 その隙に三吉は背後の戸を外し出し、役人達は前へ出ようとするが、京史朗が手で塞いだ。


「いや、そのままでいい」


 京史朗は屋根に配置してある月影と金之助が龍馬達を始末すると考え、待った。

 そして、三吉が何とか戸を外して外に逃げる道を確保すると、その中から白髪頭の白い羽織袴の魔物が現れた。その悪意に満ちた眼光、嗤う口元、全身から妖気を巻き上げるかのような怨念渦巻く何かが溢れ出ていた。この白髪の男はかつて、伏見奉行所も辛酸を舐めさせられた男――。


「摩訶……衛門」


「久しぶりだね。愛しき鬼瓦京史朗」


 切れたように広がる口を嗤わせる摩訶衛門に京史朗達は戦慄した。

 この男がここにいるという事は屋根の二人は始末された事になる。

 一同のどよめきなど知らず、手に持つ鞠を見据える摩訶衛門は呟く。


「玲奈にもらった爆弾は使い勝手がいいね。僕もこれから使おうとしようかな」


「爆弾だ! 下がれっ!」


 京史朗は過去に戦った桔梗院玲奈と同じ爆弾を思い出し、叫んだ。

 寺田屋の二階の畳は吹き飛ばされ、粉塵が散る。

 摩訶衛門の突如の介入により、龍馬は三吉と共に二階から飛び降りた。

 続いて、飛び降りる準備に入る白髪の男を二人の男女が見据えていた。

 屋根に待機していた月影と金之助の二人はやられたふりをしていた。

 そして月影の瞳が魔物の背を捉え――。


「隙有り」


 月影の苦無が背中に突き刺さる。


「おっしゃ! 俺の銭投げもくらいな!」


 金之助の小判投げが摩訶衛門に投げられるが、回避され瓦に当たる。

 屋根から飛び降りるはずの白髪男は体制を崩しすべり落ちた。

 金之助が投げた小判が踏み込む軸足で踏んでしまい、すべり落ちたのである。




 京史朗は坂本追撃組と摩訶衛門抹殺組に役人を分けた。

 月影と金之助も坂本追撃組部隊にいる。

 摩訶衛門抹殺組に残る京史朗は鬼神龍冥丸を抜いて構えた。

 この刀匠の作った刀と刀のぶつかり合いであり、折れた刀の方が敗者になるという実例があるとかつて言われた事があった代物である。


(……考えても無駄だ。斬った方が勝つ。真剣のやりとりはそれだけよ)


 自分に言い聞かせ、右手に持つ妖刀を強く握る。

 そして、左腕を下げたまま口元を歪めて笑っている白髪頭の魔物を伏見奉行所の面々は見据えた。

 その最前線にいる京史朗は言う。


「左腕をかばったのか。折れてちゃ、自慢の死油でもどうにもならねーようだな」


「そうだね。でも愛しい君の顔を長く眺められて幸せさ……それに、血神丸と死油の効果をもたらす新刀の完成ももうすぐだ。幕末の闇を君に愛の花として熱き血の流れる心臓に届けてあげるよ」


 死人の心臓から抽出した血とアヘンを混ぜ合わせ加工した身体能力向上の麻薬・死油を飲んだ摩訶衛門を見た京史朗は部下を下がらせる。こうなった相手と戦うには強者でなければ対抗できないのもあるが、闇夜でもあるし一対一でないと戦いの邪魔になるのもあった。

 全員が同時に戦い、摩訶衛門に屠られる死人の死が全員に伝染して士気が下がり、このまま壊滅する危険性があるからである。


『うおおおおおおおおっ!』


 京史朗と摩訶衛門の刃が幾度と無く闇に火花を生む。

 闇を燃やす猛烈な刃をかわし、しゃがむ京史朗は足首を狙い相手に奇襲をかける。

 瞬時に飛び上がり、そのまま摩訶衛門は一文字に刀を体重を乗せたまま振り下ろした。


「くっ――のああああっ!」


 振り下ろされた刀を右に転がってかわし、虎の牙のような獰猛な突きに出た。


「ぬはははっ!」


 嗤う摩訶衛門は燕返しのように刀をすくい上げる。


「――つえあっ!」


 それを左足の裏で受け、左胸を突き刺す。

 京史朗の刀の帽子だけが刺さり、それ以上食い込まない。

 懐にある死油の瓶が割れながらも勢いを殺し、防いでいたのであった。

 左足の裏が切れる京史朗と、心臓までもう少しで刃が届き死が近い摩訶衛門の二人は出血を感じながらも動く事が出来ない。


「あと、もうちょっとだったんだがな。硬い瓶と鍛えた身体の肉に阻まれたぜ」


「人間の肉など毒にも薬にもならない……狂気になるだけだ」


 この摩訶衛門しかわからない事を言う事に戦慄すら通り越して感じる事が出来ない。


「もうすぐ幕府が終わる関ヶ原以来の大戦が起こる。かつての敗者である西国諸藩はお前の嫌いな西洋文化を取り入れた銃火器で攻めてくるだろう。伏見奉行所もここで終焉だよ……」


「そうかよ。それがどうした?」


 左足を踏み込み、傷口を開かせながらも刀を制した――が、


「君の人生の終焉が近いという事だと我が愛人よ!」


 瞳が開き輝く魔物の叫びと共に京史朗の陣笠は真っ二つに斬られ、血が舞う――。

 頬から顎を斬られた京史朗は、地面にくいこむ血神丸が土に固定された一瞬を逃さず、全身全霊の一撃を繰り出した。


「消えろーーーーーーーっ!」


 鬼神のような京史朗の一撃で摩訶衛門は同じく顔面を斬られた。


「ぬぐおあっ!」


 右目を含む顔の右側を斬られた魔物は顔面を抑えて昏倒する。

 何故か追撃に出ない京史朗は部下達を下がらせ、自分も下がる。


「……どうした? 僕が怖いの……――!」


 懐から転がり落ちる鞠爆弾に摩訶衛門は驚き、京史朗は笑う。

 漆黒の闇の空に、小さな焔が灯った。

 今までの緊張の糸が切れるように、周囲に散る火薬の匂いで役人達は自分が生きている事にほっとした。


『……』


 爆心地に照らされる伏見奉行所の提灯の群れは、その魔物の死骸を見つける事が出来ない。

 すぐさま坂本と摩訶衛門の追撃を下知する。


「生きていたとしても奴はかなりの深手だ! 取り囲んで始末しろ!」


『おう!』


 かつて、伏見奉行所はこの摩訶衛門により大損害を受けた事を思い出し、倍返しだといわんばかりに京史朗も町を駆ける。

 しかし、この争いは結果的に龍馬に時間を与え逃してしまう結果を招いていた。




 脱出した龍馬は役人に追われながらも懸命に駆けて材木屋に隠れた。

 三吉慎蔵は伏見の薩摩藩邸に駆け込み現状を訴え、西郷隆盛に救援を求めた。


「半次郎どん。坂本の龍馬を助けに行ってくれ」


 西郷の命令で薩摩藩邸は川船を出し、救出された龍馬は九死に一生を得た。

 薩摩藩邸は龍馬に対する伏見奉行所からの引き渡し要求を拒否し続けた。

 龍馬はその後、大阪から船で鹿児島に脱出した。

 しばらくの間は西郷隆盛の斡旋により薩摩領内に湯治などをしながら潜伏する事になる。

 この地において龍馬は日本初の新婚旅行とされているものを楽しんだ。


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