十五幕・狼の誘いを受ける伏見奉行
蛤御門の大火もようやく復興を見せ出す元治元年秋の十月になった。
京都の治安は京史朗の影の暗躍で夜談から新選組に情報を流す事により操り、迅速に事件現場や事件が起こりそうな場所の火消しに走りここの所の治安は表面上は守られている。
伏見奉行所では金之助から月影へと隠密が交代した。
金之助は隠密は生に合わなかったらしく、元の金庫番になり裏金作りに奔走した。
一方、隊士が増えつつける新選組では江戸から伊東甲子太郎という同じ攘夷を志す志士を向かい入れていた。この頃から新選組は幕府内部でも発言権を持ち、一度増長が指摘された近藤勇は政治的に使える隊士を欲しがっており、同じ江戸の出であり北辰一刀流の藤堂平助の紹介から伊東一派を迎える事になった。
そして増えすぎた隊士は二百人近くになり、新しく屯所を長州びいきの西本願寺を監視と牽制する為に移すという案も挙がるが、その土方の意見は総長の山南の強烈な意見により保留となる。
その中で新選組は再編成が行われ新たな編成が発表された。
新選組再編成。
局長・近藤勇
総長・山南敬介
参謀・伊東甲子太郎
副長・土方歳三
組長
一番隊組長・ 沖田総司
二番隊組長・ 永倉新八
三番隊組長・ 斎藤一
四番隊組長・ 松原忠司
五番隊組長・ 武田観柳斎
六番隊組長・ 井上源三郎
七番隊組長・ 谷三十郎
八番隊組長・ 藤堂平助
九番隊組長・ 鈴木三樹三郎
十番隊組長・ 原田左之助
諸士取調役兼監察方・浪士調役
山崎烝・島田魁・川島勝司・林信太郎・篠原泰之進・新井忠雄・服部武雄・尾形俊太郎・大石鍬次郎・木戸夜談
その新編成書を夜談が雀を使い伏見奉行所に届けさせた。
私室で煙管の紫煙を吹かしながらあぐらをかく京史朗は一枚の紙を眺めている。
参謀と九番組長。それに監察方に知らぬ名が並んでいた。
まだ実績の無い者達にも関わらずかなりの処遇である。
「伊東一派は優遇されてやがるな。ここで実績を上げるには死地を潜り抜け敵を屠る以外には無い。さて、どうなるかね」
へへっ……と京史朗は口元を笑わせ思った。
そして事件は起こる。
※
時勢に乗り躍動する新選組では総長の山南が脱走により、近藤・土方の今後の新選組に対する考え方を改めさせようとしたが切腹させられた。それにより、意見を遮る者がいなくなった新選組は山南が反対した西本願寺に屯所移転計画をついに実行した。
慶応元年三月――。
新選組は西本願寺の北集会所と太鼓楼を自らの屯所とした。
本願寺は長州との深い縁があり、新選組は本願寺に屯所を置く事で長州藩士を牽制したのである。
四条の鬼京屋にいる京史朗は、久しぶりに会う夜談に新選組新編成を聞いている。
「組長の項目で、それぞれは隊なのに何故組長なんだ?」
「隊ってのは最近の流行り言葉みたいですぜ。攘夷浪士が僕と言うのと一緒です」
「ほう、新しいもの好きの土方らしい名前だ。反吐が出るぜ」
「反吐を出されたら私が片付けますよ」
そこには微笑みながらこの鬼京屋の看板娘である椿がいた。
そして椿の尻を触る京史朗と対照的な夜談を見た。
「どうしました夜談さん。今日は余談が多く無いですね?」
「椿さん……実はね……」
夜談は最近、幹部隊士に言い寄られていた。五番隊組長の武田という男に。
新選組内部でも衆道が流行り、島原に出向く隊士も増加した割にはあまり増えず、島原の人間も新選組になにか粗相をしたのではないかと不安がる者もいた。
「そう……ですね。それは夜談さんがしっかりと否定するしかないです。島原に通うか、妻を持つなどして女っ気を出せばいいんですよ。夜談さんは女っ気がなさすぎます」
「……はい」
夜談は貴方の男に気があるとは言い出せず、苦笑いした。
新選組内部で流行る男色である衆道――しかし、それは悪では無い。
この時代の風習として当たり前にある所もある。
頭を抱える夜談を尻目に、京史朗は摩訶衛門を思い出す。
「まぁ……お互い気を張って行こうじゃねぇか」
「そうです! 夜談さんも色男なんだから、女を作りましょう!」
京史朗と椿からそう言われ、夜談はとぼとぼと監察方の仕事に戻った。
そして、伏見奉行所に戻ると一通の文を受け取る。
まるで女のような細い字には西本願寺へ新選組屯所移転総完了の事と、その宴会を行う誘いの言葉が書かれており、その文の最後には土方歳三とあった。
すでに、新選組内部では伏見奉行が昔試衛館にいた事を近藤も知っており、今回の移転祝いと同時にかつての仲間を呼ぼうと思ったらしい。その呼び出しはどういう意図があるかはわからないが、これは受けざるを得ない呼び出しだった。
生の目で新たな新選組の内情を探れる好機でもあるからであった。
「狐化け・鬼と鬼と・猿芝居」
冥府への誘いの方が楽しいだろうと思う京史朗は、そう呟き文を握りつぶした。
※
新選組の接待を受ける事になった京史朗は伏見奉行所前に現れた新選組隊士達に護衛され、西本願寺へ向かう。生きて帰れるかわからない死の宴に堂々と一匹の鬼は招待された。入口の門をくぐり内部に入る。
西本願寺内部はほぼ新選組に占拠されたも同然で、寺の坊主共は神聖な場所だという念の欠片も無い隊士達の横暴な行為に辟易してあまり外に出てこない。
案内人に案内されて歩く中、この新選組が身体を清潔にする風呂や体力をつけるために鶏、豚を飼い精がつくものを食うなどの習慣に京史朗は驚く。
黄金期を迎える新選組の習慣を伏見奉行所にも取り入れ、役人にも体力をつける物を食べさせ毎日風呂に入る習慣つけさせた。
そして、宴会が開かれる広間へと足を進めた。
中には井上、永倉、原田、斎藤、沖田、土方、近藤がいた。
どれも多摩の試衛館で竹刀を交わした猛者共である。
すでに座に座る新選組一同は伏見奉行所奉行を出迎え、中央上座に座る局長の近藤勇が結党以来の幹部一同達を立ち上がらせ全員で挨拶をした。座につく京史朗は現れる芸妓に酒を注がれ、初めの一杯を飲み干した。隊士達は芸妓などと話をし、今日の主役を忘れている原田や永倉などもいる。すると、酒の飲めない近藤は饅頭を食いながら茶を飲み言う。
「いやはや、まさか黒船来航の時に多摩で助けた鬼瓦殿がこの京にて奉行をやっておられるとは。この近藤勇、不徳の致す所である。誠にかたじけない」
近藤は伏見奉行所だと知らなかった事を終始詫びてくるが、京史朗も大阪の内山殺しの件でこの近藤に不逞浪士を集めた一団を使い新選組の見回りを襲撃し、近藤と白刃を交えただけに無理矢理笑顔を作り酒を受ける。
次第に酔いが周り出す一同は、近藤の拳を口に入れる芸を皮切りにほぼ全員が各々の特技を見せた。
原田の腹芸の後に沖田が立ちあがる。
「ふふっ、原田さんの腹芸は神がかりですが、私の居合とて芸術という事を教えてあげましょう」
その中でも沖田の見せた野菜の繊維を痛めず切り、また結合させる居合の技量に一同は流石は天然理心流の五代目になる予定の男だと褒め称えた。素直に京史朗もこの場が楽しいと感じ、京史朗も煙管の煙で空中に動物の簡単な絵を書く芸を披露する。
「これが伏見奉行の描く犬よ。この土佐犬は犬の中でも最強のはずだぜ」
一同が盛り上がるのを大いに嬉しく感じたが、ただ一人の男は反応が無い。
近藤の隣にいる黒い着流しの色男は宴会の初めから終始無言で酒を飲み続けている。
この一団は土方のこういう他人を近付けない陰気な性格を知っている為に話しかけない。
(あの野郎……まさか俺を殺す算段を考えてるんじゃないだろうな?)
京史朗は沖田に茶化される土方を一瞬見据えて浮ついた心が冷静になる。
宴会は盛り上がるが、京史朗は土方の自分に向けられない視線が妙に気になり、酒の酔いも回らずにいた。もしも伏兵が現れたら困るからである。
そして時が経ち、一同は今日の宴会の仕上げとして島原の一つの店を総揚げする事になった。
近藤達は他の部屋へ案内され、京史朗も二階の奥の松の部屋へ案内される。
その案内人は伏見奉行所の間者である木戸夜談。
夜談は青ざめた顔で京史朗を案内していた。
土方の直々の命令はこれが初めてであった。
この男が直接出す命令は何かの意図が含まれているのは明白である。
二人は視線で互いの緊張をほぐすように息を呑んだ。
そして、内部には嫌な気配がする。
『……』
伏兵が潜んでいた場合、この二人はここで鬼籍に入るだろう。
今の時流に乗る新選組の鬼は何をしでかすかわからない悪鬼であった。
そして、夜談はゆっくりと障子を開けると、黒い闇が二人の間を突き抜けた。
そこにはこの京都で一番会いたくない男がいた。
いや、この男に会いたくないのは京・大阪にいる倒幕派志士の全てある。
「! ……」
その部屋には冷酒を飲む新選組副長の土方歳三が居る。
無言のまま反応の無い土方に京史朗はきりだした。
「さて、お前さんにはそんな趣味があったのかい?」
「お楽しみは後にある。まぁ、座りたまえ」
新選組副長という威厳が具現化された意志が部屋の空気を重くしている。
その二重瞼の厚い男は猪口に冷えた酒を注ぐとようやく話し出した。
「貴様の犬がこの新選組内部にいるようだが、どういう考えで動かしている?」
貴様という言葉に、かつて多摩の道場にいた短い日々を思い出した
だが、この男が現在の地位や役職抜きで会話をしてきているのかはわからない。
そう感じながら京史朗は素直に答えた。
「個人的な趣味さ」
「ほう? 個人的な趣味?」
酒を飲み土方は聞く。
伏兵が現れた時の事を考え全く酒など飲めない京史朗は余裕を浮かべた表情を作り言った。
「まだ、その犬の名を聞いてねぇな。一体、どんな跳ねっ返りなんだい?」
「ここへ案内する色白の源義経の再臨のような顔の隊士がいただろう。あれの事さ」
口元を笑わせる土方は続ける。
「あれは島原にも出向かないし、女もいない。男色が流行ったのも奴が来てからだが、奴は隊士と関係をもった事は無い。となると相手は貴様か鬼瓦?」
猪口を持つ土方は鋭い瞳で見た。
さっきから猪口のふちを舐めるだけで土方は飲んでいない事に気づく。
冷酒を一つ一気に飲み干す京史朗は啖呵をきるように言う。
「それが俺の部下として、お前さんはどう始末するつもりだ?」
「法度の通りさ」
「法度の通りなら夜談の首は――」
「飛ぶね」
ぬるくなる酒を飲み干し土方は言う。
両者の殺気が空間を包む。
このまま行けば夜談は殺されるだろう。
しかし、夜談は死ぬ事さえも任務の一つとして与えてある。
ここで自分の与えた任務を変えてしまえば、今後新選組に対しての対応は甘くなるばかりであろう。
それでは、この激動の時勢には対応出来ない。
京史朗は心を変えずに目の前の鬼を見据えた。
感覚を周囲にやるとこの四方の障子の奥には刺客が潜んでいるかのような熱を感じた。
(……野郎、ここで俺を斬るつもりか? 近藤達がいないのは、これを見越して……)
大小は入口ですでに預けている為に武器は愛用の赤い煙管しかない
この一本でここを切り抜けなくてはいけない為に、京史朗は煙幕変わりに煙管を吸う。
その挙動を土方は瞬きもせず観察している。
その瞳が左に動くと、障子の熱が動いた。
「――!」
すると、横の障子の奥から声が聞こえた。
その声の主は本物の女郎だった。
そして、その背後には京史朗もよく知る新選組隊士がいた。
監察方であり、伏見奉行所の密偵である木戸夜談であった。
「……」
その隊士に向けて土方は声をかけた。
「帰りもしっかり同行して差し上げろ。伏見奉行は幕府の機関であり、この悪鬼が跋扈する町の守護者でもあるのだからな。その守護者が暗殺などされたら目も当てられんよ」
夜談の肩を叩き、土方は一人島原を後にした。
藍色の羽織を揺らして歩く殺気を具現化させたような男の後ろ姿を見据え、京史朗は今までの疲れが勢いよく出て喉がつまる。
「んんっ……どうやら鬼には全てがお見通しのようだ。夜談、死を受け入れとけよ」
「すでに私は一度死んだ身。貴方の使いたいように使えばいいのです」
微笑む夜談に京史朗は肩を叩いた。
この一件は土方の牽制と恫喝という事に気づいた。
情報というものの大事さをわかる土方はこの町のあらゆる情報を誰よりも早く正確に欲していて、それが夜談が生かされている理由だろう。
持ちつ持たれつ――。
というような生易しい関係では無いが、夜談も新選組隊士としてだけではなく伏見奉行所の監視を抑える役目が無くなれば始末されるであろう。
そして、いつ四方から新選組隊士から襲撃されるかもしれない恐怖から解放された京史朗は女郎を抱いた。
いつか必ず剣を交える事になる男の顔が脳裏に浮かび、京史朗は女の奥の奥で果てた。