十三幕・池田屋事件〈前編〉
元治元年・六月五日早朝。
新選組監察方・山崎蒸と木戸夜談は古道具商の枡屋喜右衛門こと本名・古高俊太郎の存在を掴み、翌日の早朝に枡屋に御用改めとして新選組は踏み込んだ。
「会津中将松平容保様お預かり支配。新選組局長近藤勇である! 御用改めである!」
その近藤の野太い叫び声で四条小橋にある枡屋改めが始まる。
山崎と夜談は肥後藩大物志士の宮部鼎蔵が枡屋に入っただけではなく、泊まった事からその関係を怪しみ、枡屋の主人は変名を使っているという事を掴んだ。
枡屋は表では情報活動と武器調達にあたり、裏では京に押し寄せる長州間者の元締として存在していた。隊士達に枡屋内部を調べさせていた沖田は白い顔をかきながら枡屋の入口まで戻って来た。
「近藤さん。枡屋内部には山崎さんや夜談さんの言う大量の武器弾薬はありませんね」
その沖田の言葉で、近藤の側で獣に捕まった兎のように何も出来ず正座をしている古高は顔色を変えず茫然としていた。その事に憤慨した沖田は地道に説得をする近藤に近づき言う。
「時間の無駄です。腕の一本でも飛ばしましょう」
抜く手も見せぬ沖田の刀が一閃する。
古高の肩に刃が食い込み血が溢れた。
しかし、それだけで済んだ。
近藤の刀が際どい所で古高の腕が飛ぶのを防いでいたのである。
「総司、ここで焦ってはならん。ここで焦れば新選組が天下の大舞台に昇る瞬間を大いに逃がす事になる」
二言を許さぬ近藤の鬼瓦の表情に沖田は感服し刀を納める。
先程までの穏やかに諭す近藤の姿は無く、もし感に触る一言を言えば自分だけではなく枡屋そのものがかつての芹沢鴨が大砲を持ち出した事態のようになり、潰されるだろうと感じた。
そして、新選組局長は会津中将お預かりの身として言う。
「古高。ここで吐かねばお前の家族や使用人にまで危害を加える者が出るぞ?」
この新選組局長の決断力と横暴さは大したものだと思いつつ、所詮は会津の犬でしかないと心の中で嘲笑う。
「壬生狼め……貴様等には必ず天誅が訪れる。今だけの栄光にしがみついているがいい」
憎々しげな言葉を吐き、古高は武器弾薬の隠し場所を話し出す。
そして枡屋は徹底的に地下を調べられ武器弾薬を押収された。
それにより諸藩浪士とのやりとりを記した書簡や決起を企てる連判書の血判書などが発見された。
この元治元年の六月五日早朝の出来事が日本の騒乱の全てを一つの歯車にするという事をこの場の誰もが理解していなかった。
時は流れる――。
※
新選組屯所である前川邸の蔵で古高俊太郎は副長・土方歳三から直々に厳しい取調べを受けた。
二階から逆さ吊りにされ、足の甲から五寸釘を突き刺すように打たれ、突き抜けた足の裏の釘に百目蝋燭を無理矢理立てられていた。すでに全身は赤く蚯蚓腫れになっており、見るも無残な達磨でしかない。水をぶっかけ竹刀を打つ土方により気を失っていた古高は痛覚に全身を苛まれ絶叫した。しかし目の前の鬼の好奇を誘うだけである。
「五月蝿いぞ古高。全てを吐かない限り命だけを残してお前の身体は削られて行く」
「うぐぐっ……ぎああああっ! やっ、やめてぐでええええっ!」
足の甲に刺さる百目蝋燭に火が灯り、その熱いとろとろが古高の脛から膝に伝わって行く。
その間にも土方は古高を竹刀で一切の加減無く叩き続け、蝋燭のとろとろは左右に揺れて絶叫は続く。 指は曲がり骨は砕け、ここから生還してもまともな生活を送れる身体ではない。
いや、この稀代の激情である鬼の副長につかまれば地獄の閻魔の責め苦の方が極楽であろう。
それほどにこの美男は新選組の強化に躍起であり、天下に躍り出る好機を逃すつもりはなかった。
自分の完成間近の作品の絵柄の色彩である血が、土方の頬を染める。
「……面倒だな。そろそろ指を落とし、足も飛ばすかな。なぁに、死にはしねぇさ」
「……!」
「お前の血が俺の作品を完成させる」
薄闇に浮かぶ鬼の怜悧なる顔に古高の心は折れた。
そして、古高はついに自分の知る全てを語り出した。
白刃を抜いた土方に古高は必死にこれは正しい情報だと語り続ける。
その内容は八月十八日の政変後に京を追われた長州人らが強風の夜を選び、京都御所に火を放ち佐幕派公卿の中川宮を幽閉し京都守護職の松平容保などの佐幕派大名を血祭りに上げ、天皇を長州へ連れ去ろうという途方もない計画だった。
古高の話によるとすでにこの計画を決行する者達が方々に潜伏しており、今日か明日にも志士達の集会があることもわかった為に迅速にその集会場所を特定する仕事に取り掛かった。
その後、古高俊太郎は六角獄舎に収容されたが、禁門の変の際に発生した火災による混乱から囚人達が逃亡することを恐れた役人により古高は殺害された。
※
新選組内部では京都大火阻止に向けて動き出していた。
すでに土方は監察方を方々に走らせ、どこで京都大火を計画している浪士一同がいるか調べさせる。
夜談は山崎の下で監察方として駆けていた。
この件を伏見奉行所の京史朗に知らせたいが、今の夜談には知らせられる状況に無い。
四条の旅籠に入る山崎と夜談は客を装い、大人数が集まる部屋などに聞き耳を立てる。
この旅籠にはいないと判断し、山崎は外に出る。
そして一軒の茶屋に入り、他の監察方と情報交換をする山崎に気付かれぬよう、すでに大まかな詳細を書いた半紙に自分の飼う雀を呼び寄せ、身体に半紙を巻いて思い人を念じて飛ばした。
一匹の雀が伏見奉行所に向けて飛んで行く。
その雀にくくりつけられた半紙を見た京史朗は驚く。
いの一番に戦場に駆けつける為に、金庫番から隠密なった金之助に今日は戻らんかもしれんと言い残し京史朗は私室で身支度をする。普通ならば奉行所の人間を待機させ、いつ起きるかも知れない事態に備えるはずのこの男はそれをせず一人で出かける準備をしている。
夕日が沈む空を眺める京史朗は、奉行所の庭に咲く紫の朝顔を見て言う。
「暁の・沈まぬ今宵は・朝顔かな」
剃り跡の青い月代さかやきをかく京史朗はいまいちだな……と思い、今の心を支配する言葉を口にする。そして京の町を必死に駆ける新選組の親玉達の行動を振り返る。
江戸から来た浪士組の一部が残留し、それらが壬生浪士組と名乗り京・大阪で暴れ、やがて会津藩のお預かりになり新選組となった。
庭に出て朝顔に触れる京史朗の口が動く。
「……唯一無二。俺の計画を実行する絶好の機会がやってきやがったな。新選組が鉄になったかどうかは俺が決める。幕府に役に立つかどうかも俺が決める。ここが正念場だぞ新選組」
烏合の衆から鉄の組織になる新選組を思う。
かつて黒船来航の時の帰り道で助けられた幕府にとって利があるのか無いのか検討がつかない男達を思い、今まで計画していた決意の鬼の言葉が漏れた――。
「新選組を潰す」