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奉行・鬼瓦京史朗  作者: 鬼京雅
奉行・鬼瓦京史朗~京都編~
2/42

一幕・死油〈後編〉

 三日月が雲に隠れ夜の闇を深くする刻限。

 比叡山の山中の一角の山を切り崩した隠し通路の中に伏見奉行所の面々はいた。

 頭に陣笠を被り、捕り物衣装で完全に下手人を捉えに行く伏見奉行・鬼瓦京史朗は先頭を歩き、死油の生産場所である隠し砦の入口まで辿り着く。右手には普通の奉行が持つ指揮十手の代わりに指揮煙管を持っているのがこの男らしい。それに連なる役人は二十人ほどおり、どの男も唇を真一文字に引き締め、篝火は焚かず音も立てずにただ月明かりのみでこの場所までたどり着いた。ここまでの先導と相手の様子を京史朗に報告した伏見奉行所監察方の木戸夜談は内部に足を踏み入れる面々を見送る。

 砦の奥は明るく、一定間隔で篝火が焚かれていてかなり整備された洞窟内部だった。

 その奥の木箱が置かれている赤土の空洞では相馬屋敷にいた盗賊達が生産した死油の整理をし終わった所だった。お頭の男は今日一日の働きは終わりだと言い、手下達は更に奥の木の戸板の上に御座が敷かれる寝床に向かった。そして、お頭の男は残る手下の男に言う。


「よし、あらかた片付いたな。最近はこの比叡山にも雑多な奴が来るからこの砦も長く使えまい。次あたりでここにある死油は捌くぞ」


「へい。了解しやした」


 手下の男が答える。

 同時に疑問に思っていた事を呟いた。


「そういや、相馬屋敷で変な野郎がいたがあいつは本当に噂の人斬り摩訶衛門まかえもんなんだすかね?」


「そうだろ。奴は見境無く人を斬る殺人嗜好者だと聞く。第一に相馬屋敷には今日は用心棒はいないだろう? なんせ俺達がこうして働いてるんだからな」


 二人は笑い合い、奥へ行こうとすると鼻腔にふと煙を感じた。

 寝床に向かう連中には火の扱いは篝火だけにしろと下知してある為にこの煙管から出る紫煙は明らかに近くにいる人間のものである。すると、手下の男は 姿の鬼を見つけてしまった。


「お、お頭!」


「ん? ――!」


 すると、そこには二十人ほどの奉行所の役人が立ち尽くしていた。


「だ、誰だお前らは!?」


 悠々と煙管の煙を吐き出す男はその灰を落とし肩を叩きながら、鼻で相手を笑うような顔で言う。


「伏見奉行所奉行。鬼瓦京史朗おにがわらきょうしろう


 その言葉に二人の盗賊は戦慄する。

 そして、大声でお頭の男は叫んだ。


「野郎共、幕府の役人だ! こいつ等を血祭りに上げてとんずらするぞ!」


 激しいさざ波のような足音を立てて奥で休んでいた盗賊達は姿を現す。

 狭い空洞の中で、芋の子を洗うような伏見奉行所の捕物が火蓋を切って落とされた。




 怒号と悲鳴のみが空間を支配し、昔絵巻で語り継がれる大戦の縮図であるはずの戦場は男達の血が沸騰するように互いに輝いている。

 伏見奉行所の面々は盗賊を一網打尽にしようと躍起になり、その中で目を光らせる京史朗は奥へ逃げるお頭を追う。

 観念したのかお頭の盗賊は死油の小瓶を握り締め振り返る。


「本当は相馬屋敷の用心棒はお前達で、尚且つお前達は死油を精製する毒薬組って事だな。だから屋敷で俺に用心棒かと質問して、自分で否定した」


「この短時間でよく調べた。流石は鬼奉行」


「余談が多い奴がいて情報には事欠かんぜ。伏見奉行所はな」


 その言葉に嘘は無いと確信した盗賊の頭は抜いた刀を地面に突き刺し、


「ここで捕まるのは勘弁だ。寿命は縮むが死油の力を見せてやるよ」


 お頭は死油を飲み干し、目が赤くなり身体能力が増したように襲いかかる。

 京史朗は峰打ちで頭と胴を叩くが、相手には通じない。

 左腕を軽く切られ袈裟斬りに刀を振り抜くが、確実に血が噴き出す身体の痛みを感じる事も無いのか更に攻め立てて来る


「痛覚が無いのか――?」


 これはもう、捕物は無理と判断し斬る事にした。

 そうなれば、一つに意識を集中できる京史朗に盗賊如きの剣の腕では勝てるはずもなかったはずだが、死油の筋肉強化と痛覚麻痺は予想以上に手ごわい。


「ぬっ! ぬうううっ!」


 圧倒的な速さと強さを秘める斬撃に京史朗の刀が物打ちから折れてしまう。

 素早く脇差を抜いて鍔元で刃を受けた。

 じりじり……と力で押されていき、腹に蹴りをくらって脇差を落として背後に飛んでしまう。

 完全に隙だらけの京史朗の顔面に盗賊の頭の刃が迫る――。


「ずやああっ!」


 という殺意のみが篭る声に怯みもしない京史朗は体勢を立て直したにも関わらず頭から身体ごと突っ込んだ。

 左腕を犠牲にし、相手の刀を唾元で受ける。

 肉が切れ血が吹き出るが、骨にまでは届いてはいなかった。

 自由な右腕は地面に落ちた脇差を手に取っていた。


「刀の鍔元じゃ鬼神でもねぇ限り腕は斬れないぜ――」


 音も立てずに死油を飲んで強化されたお頭は首が飛び完全に絶命した。

 そして、残る残党が死油の砦内部に証拠隠滅と言わんばかりに火を放ち、全てが土砂で埋まる砦から伏見奉行所の面々は一部の下手人を捕らえ比叡山から帰還した。

 翌朝に相馬屋敷の主、相馬平太郎を奉行所まで連行し京における死油の事件はひと段落した。

 不気味な毒薬を生み出した相馬平太郎の相馬豪商は取り潰された。

 平穏を取り戻す京の町はいつもの喧騒で流れて行く。

 その最中、一つの大問題が発生した。

 京都の犯罪者を収監する六角獄舎から、なんと初老である相馬平太郎が脱走したのである。





「ここじゃ、ここじゃ。伏見奉行所とてこの場所は嗅ぎ回れまいて」


 相馬屋敷の隣の平屋の地下に死油が保管されている保管場があった。

 もしもの時のために比叡山の隠し砦と共に、灯台下暗しともいえるこの場所にも百近くの小瓶を保管していたのである。薄笑いを浮かべ顔に皺を浮かべる相馬はこれでもう一度再起しようともくろんでいた。


「よし、後は頬被りをして夜の闇に紛れて京から去るか」


 時が立つのをこの場所で待ち、夜の闇と共に京から脱走しようという相馬は保管場の隅で寝ようとした。すると、薄闇の中に一人の男の足音がした。


「?」


 目を開ける相馬は見覚えがある緋色の着流しの男を見据え息が詰まる。


「脱走すると踏んでたぜ、相馬平太郎」


「!?」


 急に目塞き笠をかぶった浪人に呼び止められ、相馬は足を止める。


「何故、脱走がわかった? 役人に捕縛されて脱走するまでを読むなど出来ないはず……」


「簡単な事よ。俺は死油を使った奴と先日戦ったばかりだからな」


 死油の筋肉増強、痛覚麻痺の力なら十分に逃げ出せると踏んでいたのである。

 夜談が調べた限りだと死油の成分とは、阿片と江戸で流行っている滋養強壮散薬を調合して死人の心臓から吸い出した血で混ぜ合わせ強化されたものであるらしい。

 脱走を追跡しなかったのはあえて泳がせて、死油の使用者が更なる死油の隠し場所に帰還するのを待って一網打尽にするからであった。

 煙管の煙を吹かす京史朗は、


「死人の血で強くなるか……そんなのただの幻だぜ。思い込みが人間の身体を一時的に強くしてるだけだ。からくりがわかれば恐れる事なんざねぇさ」


「どうこの死油の事件を嗅ぎ付けた? わしが仕組んだのは豪商狙いの盗賊で常に死油の存在を世に出ないようにしていたはずじゃ……」


「初めの方に京で起こった盗賊事件は本物だったが、相馬豪商の盗賊騒ぎは嘘だってのが引っかかったのさ。一つの違和感を辿れば全ての謎が解けるのが下手人を探す定石だぜ? あの比叡山の隠し砦は死油の保管場所だけじゃなく、死油の実験で出た死体の死体隠しと外国との金の裏取引を隠す為にある場所だな」


「よく調べたもんじゃ……屋台骨が砕けておる幕府の犬にしてはよう嗅ぎ回ったものだ」


 その京史朗の言う通り、相馬豪商は開かれる医学で最強の武士集団を生み出そうとした。

 腰砕けの幕府や家禄に飽きた腰抜け侍を出し抜き西洋列強に打ち勝つのは商人の商売魂である事を証明し、豪商がこの日本を動かす幕府として存在しようとしたのである。

 それを聞いた京史朗は煙管の灰を地面に捨てる。

 激情に震える相馬は憎々しげに呟く。


「新しいものを生み出すには、新しいものを入れていかなければならん。鎖国などをしている幕府ではもう世界には対抗できんのだよ」


「悪い事すんなら上手くやれ。それができなきゃ堂々としろ。悪ってのは恐れられると同時に強烈に愛される存在にもなる」


「……」


「お前さんは悪でも凡人でもありゃしねぇな」


「戯言はいい! この死油で貴様を――」


 相馬が死油を小瓶ごと飲み込もうとすると、一匹の鬼が動く。

 死油能力者は首を飛ばせば絶命する事はすでに知っていた――。


「死をもって、死をなせよ」


 抜刀の鞘走りと共に相馬の首が飛び、床に落ちた死油の小瓶が割れる。

 新しい刀・月光水月げっこうすいげつについた血を払い京史朗は息を吐いた。

 その血の香りに当てられ身体の血が沸騰し、人の血を追い求めるように鬼京屋の裏口から忍び込み椿の寝床に行く。

 椿との寝床の戦が終わらねば眠れそうにない京史朗は血の沸騰するまま椿の白い肢体を抱いた。

 この事件はこれにて解決したが、生み出された死油は確実にまだ所持している者もいるだろう。

 そんな予感を感じながら京史朗は奉行所の自室の庭から空を見上げ、煙管の紫煙を吐いた。


「徳川の世に新しいものはいらねぇのさ」


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