十一幕・新選組筆頭局長の暗殺〈後編〉
壬生狼の巨魁の命を止める作業が始まる――。
芹沢の寝室の前で黒頭巾の群れは各々の位置に配置され、事前の検分により目をつぶってでも目測のわかる暗い部屋へとその一団の首領が入る。
闇でよくわからないが、一つの布団の中にこんもりと盛り上がっている何かが見えた。
考える必要は無い。
今宵の前川邸の黒頭巾以外の全ては息の根を止めなければならないからである。
「――!」
近藤の長曾根虎鉄が芹沢を突き刺す。
甲高い声の絶叫がし、影が浮かび上がり一人の人間がそこから逃げ出す。
近藤が殺したのは借金取りに来ていたはずがいつの間にか愛人になっていた芹沢の女、お梅であった。
「総司! 芹沢は逃した!」
「――待ってましたよ芹沢先生」
狂乱の魚顔で廊下に出る芹沢は待ち受けていた沖田の斬撃を浴びた。
片目は斬られ、二の太刀で耳が飛ぶ。
しかし、芹沢は死にもの狂いで更に奥の間へと逃げた。
「すみません! 原田さんか源さんの方に逃げました!」
『承知した!』
そう原田と井上が叫ぶと、芹沢が現れたのは腹に切腹をしようとした時の傷跡がある無頼漢・原田左之助の目の前に躍り出た。芹沢は原田を確認すると、隣の部屋へ障子を開け放ち突っ込んだ。
「ぐおっ!」
「罠に引っかかるとは芹沢先生らしくねぇ最後だな!」
逃げ出した芹沢が机につまづき倒れている。
倒れる芹沢と背後にいる原田の目が合い、原田は獲物を殺す動きをした――瞬間、原田の刀は部屋の入口の鴨居に食い込んでしまう。
「はははっ! 焦っているのはお前達だあーーーっ!」
蹴りを入れる芹沢は原田の鴨居に食い込んでいる刀を奪い取り、机を投げると同時に蝋燭に明かりを灯す。すると、ぬうぅ……と暗殺者達の黒頭巾に隠れた顔が浮かび上がる。
「……暗殺をしたければ堂々と顔を見せたらどうだ? もう他の連中は殺したのだろう近藤?」
「すでに他の者は始末した。後は目の前の水戸の浪人を殺せば全てが終わる」
黒い頭巾を外し近藤は言う。
それにつられるように全員が頭巾を捨てた。
そして長州藩の仕業に見せかける為に一字三星の描かれた布を床に置く。
その行為に、自分の葬式までの手筈はついているようだと豪雨が五月蝿い外を思い芹沢は考えた。
すると、新たに現れた複数の人間を見て自分に逃げ場は無い事を知る。
「たまたま刀が外れて助かったがお梅を殺したか……あの女はいい女だったんだがな。流石は土方君。容赦の無い男だ」
新たに現れたびしょ濡れの人数の一人に言った
鬼の形相のその男は答える。
「芹沢先生。これだけの暗殺の条件が満たされている状況ではあんたはもう王手がかかっている王将だ。潔く腹を切れ」
「そうか。それならそうしよう。私とて新選組局長としての意地がある。新見のように潔く逝くとするかね」
すると、芹沢は脇差を原田にねだり原田はそれを渡した。
原田が一度切腹をしかけて死にそうになったのを知っていて、この男ならすぐに気持ちを察して渡すと思ったのである。
「私、新選組筆頭局長芹沢鴨は今から切腹をする。介錯を頼もうではないか」
近藤は動き、腹を切る芹沢の介錯に回る。
それを土方が止めて自分が動いた。
「これも俺が練った暗殺。ここまで計画を崩されたんじゃあんたに従うのも一理ある。武士として果てて貰おうか芹沢局長」
「君に斬られて光栄だよ鬼の副長」
同じ副長職である山南は顔を青ざめ黙ったまま動かない。
芹沢の切腹を見守る一同は、土方がすでに平山を斬った血のついた刀を頭巾で拭いながら歩く姿を見守る――刹那。
「……?」
土方の顔が歪んだ。
同時に近藤、沖田、その場の全員に緊張の戦慄が駆け巡る――。
脇差が土方の脇に吸い込まれた。
嗤う芹沢は言う。
「……単純なんだよ土方。お前は相手を簡単に殺す事しか考えてないから先が読みやすい」
腹部を刺された土方は刀を落とした。
そして我を忘れる沖田の電光石火の三段突きが芹沢を襲った。
「芹沢ぁ!」
「温いわっ!」
道場で誰もかわせなかった三段突きが弾き返された。
芹沢は座布団を足で蹴り上げて刀の切っ先を鈍らせたのである。
「突いて引き、突いて引きを繰り返す三段突きを君がすると一つの動作になる。しかし、甘いな。相撲取りとの戦いで胸を角材で打たれていたように、一対一の竹刀だけを扱う道場でない限り敵が何を武器にするかわからない。君の弱点はそこにあるんだよ副長助勤筆頭・沖田総司藤原房良」
「黙れっ! 私の剣は近藤さんよりも強い!」
芹沢に気圧された沖田の太刀筋には勢いが無く、容赦無い拳で沖田は障子に突っ込んだ。
肺を痛めたようにそのまま咳こんでいる沖田は動かない。
『……』
すでに襲撃側の面々がまるで襲撃されている側のようになっていて滑稽としかいいようが無い状況である。芹沢の闇に蠢く殺気に足を後ろにすらせる近藤は刀を青眼に構え、息を吸うと共に横隔膜を下ろしやや腰を沈める。これは天然理心流の基本である平青眼の構え。
その姿を芹沢は顎をなで侮蔑した顔で言う。
「田舎百姓よ、その手に持つ刀はお前には相応しく無いのをいい加減わかれ」
「……」
憮然としたままの近藤は答えないが周りの面々は黙る。
近藤は相手に論破されるような時は顔は引きつり、鬼瓦のような悪鬼の顔になり何も話さなくなるのを知っていた。頭の中で渦巻く数多の言葉を剣という表現でしか現せない不器用な男は、新選組の次を担う局長として言う。
「諸君、ここは千年王城の都を守護する新選組局長である近藤勇に任せてもらう」
しかし腹部を刺され満身創痍の土方は言う。
「暗殺は襲撃者が完全に安全だから暗殺は成り立つ! こんな恵まれた環境なら全ての事実は雨で消え去るんだ! 近藤さん、ちっとは――」
「土方君、局長命令に逆らうならば切腹を申し付けるぞ? この死地を越えられぬようではこの都を守護する男にはなれまい」
その言葉で全ての近藤一派は自分達の大将を信じる事にした。
大将が相手の大将を打ち倒してこそ、この多摩の貧乏道場にいた血気盛んな戦国の坂東武者と自称する男達は、近藤勇を芹沢鴨を超える本物の筆頭局長と認めるだろう。
命などというものは使うべき時に使わなければ自分の欲する世界などは未来永劫手に入らないのである。
耳に鳴り響く大雨は強く降り続けるがこの一同にはまるで耳に入らない。
全てはこの現局長と新局長の決着の行方に全ての神経を注ぐだけであった。
『……』
雷鳴は鳴り続け天に稲妻が走る。
天然理心流の一門である沖田、井上、土方は天然理心流四代目を信じ、多摩で出会い試衛館の食客である原田、永倉、斎藤は自分達の次の局長の未来を見据えた。
その時、庭先の木に雷鳴が落ちると同時に二人の局長が動いた。
「……勝負あったな近藤勇」
「ぐっ……ふっ!」
近藤は肩から血飛沫を上げ畳に倒れこむ。
息を呑む一同は立ったままの芹沢が闇の中で背を向ける背中の大きさに驚く。
「……」
芹沢はうずくまる近藤を振り返り、刀を突き刺せば全てが終わる。
振り返るはずの芹沢の首は宙空を見据えたままやがてごとり……と畳に落ちた。
そして刀を畳に突き刺し近藤は宣誓する。
「諸君、私が今より唯一の新選組局長・近藤勇藤原昌宣である。以後よろしく頼む」
その言葉にて隊士一同は局長・近藤勇を新選組の頭とし、更に苛烈に京・大阪の町と内部の統率に力を入れていく事になる。
未だ雷鳴が鳴り止まぬ夜空などは気にならず、京史朗は芹沢暗殺の下手人達が消えた前川邸にて傘も差さず転がっている魚顔の男の死にざまを眺めていた。
(これで新選組の邪魔な局長は死んだ。次は奴らだな……)
すでに前川邸にいない暗殺者達の事を思い、京史朗は天の稲妻に照らされ嗤った。
※
前局長芹沢鴨の葬式はまるで大名のような仰々しさで行われ、京の町の人間は新選組の局長とはそれほどまでに凄い人物なのかと噂が広まり、現局長である近藤勇の格と新選組全体の格も上がった。
新選組では新たに法度が機能し出し組内部の粛清が激しくなり、町で斬った人間よりも組内部で切腹した者が多い日すらあった。
これにより副長である山南と土方の関係に歪みが生まれ出し、山南は副長から昇格し総長になった。
これは近藤の相談役であり、組を動かす実権の無い飾りのような職であった。
しかし、山南は肥大化していく新選組内部の影の屋台骨になろうと考え、土方がやり過ぎれば近藤に進言して戒めさせようという考えで総長職を受けいれこなしていた。
あまり顔色の優れない夜談はその法度を鴨川の土手で京史朗に見せた。
土手の上で横になる金之助は草笛を吹いて遊んでいる。
新選組監察方の山崎の勧めですでに入隊している夜談は隊士見習いとして山崎の下で働いていた。
このまま情報収集をこなす監察方に配属されなければならない為、伏見奉行所の情報網と金庫番の金之助が蓄えた金を使い、隊内で信用を得るよう夜談は苦心していた。
噂では聞いていたが、本当にある法度として知る京史朗は新選組は隊旗で掲げる〈誠〉という旗は本物だと改めて確信する。
「……とんでもねぇ法度だな。一にも二にも処罰は死罪。こりゃ、脱走も相次ぐぜ」
「脱走も死罪になりますぜ」
「そうだったな。この法度にゃ死角が無ぇな。士道に照らし合わせて考えりゃ、どんな理屈をつけても相手を殺せる私法にもなるぜ。考えたな土方歳三」
「副長は新選組の強化にしか興味が無い男ですからね。島原で遊んでも馴染みはおらず、沖田と同じく妾宅さえ持たない男ですぜ」
「京女が嫌いなのか? これだから多摩の田舎者はよぉ」
笑いながら煙管の煙を吐き出す。
そして金の字と呼ばれる草笛を吹く男に声をかけた。
「じゃあ金の字。夜談と遊んでこい」
「へいへい」
裏金を作る金庫番の担当は一時停止させ、金之助は夜談が担当していた闇の情報収集屋をしていた。この軽薄な男に自分の仕事が勤まるのか? という疑問が夜談の頭から離れない。
「奉行……やはり私が奉行所の闇として働かないと……」
京史朗は微笑んだまま答えず、金之助が答えた。
「俺は昔、岡っ引きで顔がまだ京・大阪界隈じゃ顔が知れてるから新選組に入れない。だから金庫番としてもしもの時の裏金を蓄えてるんだ。交代したくても交代できんぜ夜談さんよ?」
「わかった……女遊びはいいが抱かないからな。いいな?」
「へいへい。んじゃ、奉行。新しい情報源を作りに行きますわ」
「おう、頼んだぜ二人共」
草笛を吹く金之助と夜談はなにやら口論しながら島原の方へ消えて行く。
鴨川の横道を歩く京史朗は先日の椿と最後に会った日の事を思い出す。
あれから椿とは会っていない。
(……)
そして、奉行所に現れた椿との会話を思い出す。
〈私は貴方にとってはただ通い付けの茶屋の都合のいい女なのかしら?〉
京の町を照らす夕日を見上げ、京史朗は言った。
「鴨川の・せせらぎ聞きて・時を知る」
そして、時は元治元年を迎えた。