七幕・浪士組
江戸から来た浪士組は京に来てすぐに分割されて京に残る十数人以外はまた江戸へと引き返した。
その頭である策士・清河八郎は勤王を主とする勢力と以前より通じていて、浪士組を天皇配下の兵力にしようとする事態が明らかになったのである。
壬生の新得寺にて本当の目的は将軍警護ではなく尊皇攘夷の先鋒とし、天皇の兵として動く事を宣言した。
幕府の浪士取締役の協議の結果、清河の計画を阻止するために浪士組は江戸に戻る事となった。
これに対し近藤勇を中心とする試衛館派と、芹沢鴨を中心とする水戸派は、あくまでも将軍警護のための京都残留を主張し、
「我らは花見をしに京に来たわけでは無い」
と傲岸不遜の大将肌の芹沢は尽忠報国と書かれた鉄扇子で肩を叩いて言い放ち清河と決別した。
清河の浪士組を天皇の兵力とする策は失敗し江戸にて新徴組を生んだ。
気力と時勢を見抜く観察眼。幕府を顎で使うような謀略を持つ天才と呼べる人物であったが清河八郎には幕末で活躍するべき人間が持っていた人に好かれる素養に欠けていた。
そして、清河は江戸にて見廻組の頭になる佐々木只三郎に暗殺される事になる。
京の洛西にある壬生の八木邸と前川邸を本陣としながら残留した浪士組はこの京を幕府より守護を依頼されている会津藩にかけ合い、組の身元を会津藩お預かりとして京の市中を堂々と取り締まれるように画策していた。
京史朗は伏見奉行所からその目を光らせながら浪士組の動向を伺っていた。
十年前の黒船来航の時の帰り道で濁流に流され助けられた近藤一派と呼ばれる天然理心流を中心とする試衛館一門の面々は京史朗にとって目の上のたんこぶだった。
わざわざ江戸から出て来て何をするかもわからない連中の中にかつての恩人は居る。
しかし、今の自分は奉行でありおかしな事をすれば裁かねばならない。
京史朗は心を鬼にして浪士組の動向を見守る事に決め、問題があれば斬る事にした。
そして俳句が浮かぶ。
「高き夢・蛇蝎なれども・我進む」
※
文久三年三月十一日。
孝明天皇の加茂神社へ行く行幸に攘夷祈願の為と上京していた将軍家茂も行動を共にした。京史朗は変装する夜談に奉行を任せ浪人姿で将軍を見物しに行った。外は酷い大雨である。
(天子と将軍の行列を天が歓迎してねぇようなひでえ天気だな。天の運気を吸いやがる奴はどこのどいつだ?)
そう思い傘を差す京史朗はもうすぐ現れる行列を三条橋付近の河原にて待つ。
その真横の若い小柄な皮肉を浮かべたような笑みをしている藍色の羽織を着る武士は気が触れているのか背中に三味線を背負い傘も差さない。まさか真横の男がその天に味方された幕末至上最高の風雲児だとは思いもよらなかった。
この日の京は大雨であり、将軍家茂は護衛の最高責任者である故に雨具もつけずに馬上に跨って天皇に付き添い、一橋などの多くの諸侯もこれに従った。
その時、行列を見ていた一人の若い侠客のような顔をする武士が大胆不敵な事をなした。京史朗も真横の男の行動に反応できない。
「征夷大将軍っ!」
男が馬上の将軍家茂に向かって大声で叫んだ。
征夷大将軍という役職は、源平時代の主役の一人・源頼朝が開祖である幕府の最高責任者の名である。 しかし、本来は制夷。迫り来る外敵を討ち倒す管理者そのものを現していた。
(こいつ、とんでもねぇ皮肉を言いやがる……そんな事は誰もが知ってるさ。だがそれを堂々と将軍本人に言う奴なんぞ天上天下この野郎しかいねぇだろ――)
身体から光を放つような若い武士の隣にいる京史朗は男の自身に満ちた白い顔を見て驚愕を隠せない。
将軍の行列に罵声を浴びせるという風雲児という言葉で収まらぬ男の行動は、周囲の人々の度肝を抜いた。
本来ならば無礼打ちになりかねないところだが、これは将軍家茂の行列ではなく天子の行列である。それ故に役人達は粋に三味線を担ぐ藍色の羽織りの男に何もする事が出来ない。
(この男、果たして阿保か天才か? いや、何物にも収まらねぇな……)
そう京史朗は思っていたが、どうにも男を捕まえようとは出来なかった。
何処か昔の自分に似ていて憎めないのである。
だが、役人としては許すわけにはいかず走り出す男を捕まえようと動く――。
(――逃がさないぜ若侍)
すると、白い菖蒲が描かれた着物を着る美しい女が京史朗の横に現れた。
女の色香が雨の中で洗練され鼻腔をくすぐり動きが止まる。
女は京史朗の袖口に手を入れ心臓に匕首を軽く刺している。
「……どうした月影? 俺に抱いて欲しいのかい?」
「時間が稼げるならそれもいいけど、貴方とはしたくないわ。幕府の役人の体液など日本の汚れそのもの」
「言うねぇ」
雨粒の先を見据える京史朗の瞳は若い武士を見失った。
「あの男は長州藩士・高杉晋作。松陰先生の愛弟子の一人よ」
「幕府の役人の俺にそんな事を伝えていいのかい?」
「彼は捕まらないわよ。まるで空を飛んでいる不死鳥のような不思議な男だから」
確かにな……と京史朗も思わざるを得ない。
この日本においてたった一人で日本の最高機関の責任者に堂々と罵声を浴びせるなど高杉晋作以外にはいないだろう。
面白き事もなき世を面白くといった革命の風雲児さながらの若者で、この将軍への罵倒するような叫びや箱根の関所をここは天下の大道だ! と堂々と関所破りをしたのも太平の徳川を通じてこの男一人だけである。
後年に高杉の刻顕彰碑に刻まれた日本の初代総理大臣・伊藤博文の言葉は〈動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや〉とある。
そして高杉の動きで京で暗躍する各藩の個性を月影に言われる。
「長州藩はあまり親分というものを良しとしない習慣がある。長州、会津、薩摩と京を賑わせる藩はあるけどそれぞれの風習もまるで違うのよ」
京史朗は各藩の毛色の違いを知った。
まばたきをすると隣の美人は消えている。
「……消えたか」
結局、高杉と月影の繋がりもよくわからぬまま無言のまま進む行列が続く豪雨の三条小橋を後にした。
※
見回りの後に寄った四条の茶屋・鬼京屋で一人の着流しを着た大男が浪士に絡まれているのを発見した。大男の周囲には三匹の土佐犬がおり、主人の意向を反映するように吼えている。雨の中傘を投げ捨て刀を抜く浪士達も土佐犬の凶暴な吼え方に一進一退をして容易に大男との距離が縮まらない。
それを見た京史朗は心配そうに見据える椿の持つ団子を取りおもむろに投げた。
それは両者の中央に落ち、人も犬も同時に京史朗に向いた。
「そこに落ちた団子に目を向けねぇとはしつけが行き届いてやがるな。それに主人もやけに場慣れしてやがる」
武器を持つ浪人達は刀の切っ先が震え衆人環視に耐えられなくなっているが、この犬を連れる大男だけは平然とした顔でいた。団子の件がきっかけか前方の浪士が動く。
「西郷っ! 薩摩の大物のお前は幕府を脅かす悪だ! 故に天誅を下す!」
刀の鯉口を切る京史朗は動いた。
振りかぶる刀は弾き飛ばされ胸に蹴りを入れられ地面に転がる。
西郷は微動だにせず京史朗の背中を見据え、名乗りを聞いた。
「俺は伏見奉行所奉行・鬼瓦京史朗だ。しょっぴかれてぇか三下」
その言葉に浪人達の動きは止まり、周囲の町人から鬼奉行! などの声が上がる。
大きな眼を丸くし、厚い唇を笑わせる西郷は喚く犬達をなだめる。
しかし、一人の浪人が叫ぶ。
「こんな機会はそうそう無い! 奉行も斬ってしまえ!」
「そうだ! これは大義である! 西郷隙ありーーーっ!」
この状況を逃すわけにはいかないと残る男が一斉に西郷に斬りかかる――瞬間。
突如現れた一人の剃刀のような目をした若草色の羽織袴の武士が白刃をきらめかせ浪士達を斬った。
それを見た京史朗は目を光らせる。
「峰打ち……か。すさまじい剣さばきだぜ」
「……」
「半次郎はん、お奉行にそんな目をしたらあかん」
薩摩は親分というものが必要とされる習慣があるらしく、親分を作るのを良しとしない長州の人間とは肌合いが違うようだ。これは月影に聞いた話であるがこの薩摩藩士はその典型らしい。
この西郷という大男が薩摩主義で薩摩の実力で平伏せさせるように諸侯を京に集結させ、雄藩による政権奪取の為に長州に賊の役目を負わせ壊滅しようとしていた事を京史朗は知る由もなかった。その大男は言う。
「仲間が無礼をしましたな。是非、ここは奢らせてもらいましょうか」
「じゃあ遠慮なく頂くか。椿、鬼京屋で一番高い酒を頼むぜ」
「ふふっ、わかりました」
言われた椿は店の中に戻る。
西郷はこの初めて会うわりには何故か居心地が良い男を中々の奉行だと思った。
刃を納める中村半次郎は憮然とした顔のまま茶をすすり周囲を警戒している。
京史朗は人懐っこくまとわりつく土佐犬に驚きながら西郷吉之助という男と談笑した。
そして、翌日――。
公武合体に基づく攘夷実行することを目的とし、会津藩お預かりの下に浪士組は壬生浪士組を結成した。
壬生浪士組はすぐさま近藤一派である山南敬助、土方歳三の両名の案で第一次の隊士募集を行った。
気位が高い芹沢一派は隊士募集には参加せず、近藤一派が全て請負う事になり雑用のような扱いになっていた。
そして壬生浪士組は三十名を超える集団となり、会津藩主であり京都守護職の松平容保から不逞浪士の取り締まりと市中警備を任される事になった。




