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奉行・鬼瓦京史朗  作者: 鬼京雅
奉行・鬼瓦京史朗~京都編~
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六幕・罪と罰〈前編〉

 江戸の小石川伝通院にて将軍警護の名目で召集された浪士組は庄内藩出身の志士・清河八郎きよかわはちろうを筆頭に文久三年二月八日に江戸を経った。その事で京の人間達はならず者の集まりが来るのではないかと不安に思う者もいたが、もう時代が進んでしまっている以上どうにもならない。

 その頃、京の山田豪商の一人息子がかどわかしに合った。

 盗賊は百両を引き渡し金として豪商に身代金を要求した。

 最近の情勢で豪商には深夜の番もいたが、その一人息子がかわやに行ったのを見たのが最後だったらしい。奉行所に一報があり京史朗も現場に出向き豪商の人間と深夜の番の連中に話しを聞いた。庭にある池の前で泳ぐ鯉を見る京史朗は呟く。


「一人息子が厠でねぇ……」


 そこに京史朗は目をつけた。

 そして、伏見奉行所監察方の夜談よだんに下知を出す。

 欠伸をしながら池の鯉に餌を投げた。





 ある日差しが強いうだるような暑さの日の夕刻――。

 伏見藩を脱藩し戻って来た若侍は特におとがめも無く実家へ戻り遊郭での遊びや、町人との喧嘩沙汰といった自堕落な日々を送っていた。黒船を見に江戸へ行った若侍には日に日に異人への恐怖と侮蔑の心が肥大化して行き、その心を制御出来ないまま現状の自分のありように絶望して無為な時間を過ごしている。

 全てはこの若侍の存在を生み出した大海のような存在の男の所為であった。

 その厳格な伏見奉行所奉行は元服したてのような若侍を奉行屋敷内で怜悧な瞳で見据え許さない。


「お前は本当に三下ですね。まぁ、兄が二人いてくれて良かったですよ。三下は三下らしくしていなさい」


 この言葉で江戸で得た心構えも崩れ去り、放蕩でしか自分を維持する事が出来なくなった。

 偉大な父親から逃げる事も出来ず、越えられる存在とも思えない。

 やがて螺旋の蟻地獄に呑まれる若侍は自分の存在がこの世から消えて行く感触に恐怖し――。


「夢……か」


 ふと悪夢から目覚めた京史朗の口の中の唾が血の味のような不快感を全身に行き渡らせ過去を現実から思い出す。

 幕臣を父に持つ京史朗は三男坊で父からは見放されていた。

 素行が悪く問題ばかり起こすからである。

 今はその父も幕府の要人として時折働いてはいるが、もう年の為に隠居しようという話になっているのを風の噂で聞いた。以前、同じ伏見奉行だった父とは奉行を交代してからの五年以上まともに顔を合わせていない。

 京史朗は江戸の帰りに流されて多摩まで流された事を思い出す。

 そして多摩の試衛館しえいかんの連中はどうしてるかなと不意に思い出した。


(……何で今更奴等が気になる? かどわかしの解決に集中しろ京史朗)


 起きてから一刻ほどすると夜談よだんからの報告があった。

 調べによると山田健作やまだけんさくは女と駆け落ちする予定だったらしい。

 豪商という毎日が戦の家を継ぎたく無いという思いから家の金を少し盗み自作自演のかどわかしをしたようだ。二人は新しいものが入り様々な変化がある江戸で暮らすようだった。今は二人で京のどこかに潜伏しているが、必ず近い内に動きがあるのは確実であった。

 溜息を漏らす京史朗は煙管に火を付けるのも止めて言う。


「どうやら、予想通り下手人はいないようだな」


 そう呟き、懐に赤い煙管をしまい鉛色の空を眺めた。

 そして京史朗は今日にでも息子は潜伏先から脱出するであろうから急いで奉行所の役人を配置した。

 路上の乞食や茶屋の中で役人の目を光らせた。

 夜談は男女を見つけた場合は特殊な波長を発する笛を全員に持たせ雀を使い合図をする算段を取った。

 京都中に包囲網を敷き、京の町から出さない方針である。

 そして各々が目を光らせている京に夜が訪れた――。




 満月がやや欠けた月明かりの下――。

 一匹の雀が闇夜を切り裂くように飛んで行く。

 酔った羽織袴姿の男が月明かりを肴にして鼻歌を歌いながら橋を千鳥足で歩いている。

 隣には遊び人の女なのか町娘を連れていた。

 明るい月明かりの為に前方の橋を渡り歩いてくる緋色の半天を羽織る着流しの男が言う。


「いやー、今日の月明かりはまぶしいねぇ。今夜は月も機嫌がいいようだぜ」


「……そうだな。酔いが醒めそうな月明かりだよ」


「何か旅をしてそうな感じをお見受けするが、あんさんどこの者だい?」


 男の何気ない一言に酔っ払いの連れの女は青ざめる。

 一瞬の間を置き酔っ払いは言う。


「ただの浪人さ」


「浪人か。最近は物騒な事が多い世だ。気ぃつけて行きなよ」


「おう。なら行こうかお綱」


「……はい」


 その一重瞼の鋭い緋色の着流しの男はお綱の柔らかな口元の黒子で気付いた。

 この浪人が連れているのはお綱ではなく山田健作の女であるお松だと。

 人が通るたびに演技をしながら京の夜を抜け出そうとする手は中々だが、芸に入っていない為に普通に答えてしまっていて酔っていない事が良くわかる。

 別れる両者は橋の中央から歩き出すが、互いに足が止まる。

 いや、止まったのは二人の男女だけだった。

 緋色の着流しの男は橋の両端に現れた提灯を持つ一団の男の一人から火をもらい煙管に火を付けただけだった。うろたえる男女は提灯の明かりが死霊の群れに見えてならない。

 けだるい紫煙を吐く提灯の一団の首領は言った。


「商人の息子も時勢を見てやがるのか知らねーが、この徳川の世は簡単には終わらねぇよ。商人の息子ならちゃんと商人の目を養いやがれ。そんな逃げ根性で江戸で生きられると思うなよ」


「……お、俺達は!」


 焦りと不安からその男、山田健作は取り乱しお松にすがりついたまま動かない。

 提灯の一団は動き出し二人を囲む。


「治安を乱した以上は取り締まるぜ。悪い事は鬼にばれねぇようにやりやがれ」


 下らない一件だな……としばらく一人で橋の欄干に寄りかかりながら月明かりを見上げる。

 しかし、本来ならばこんなさしたる事でもない事件ばかりを追いかけるのが奉行所の仕事でもあった。 ここ一年以上に起きた異様な出来事ばかりで山田豪商には悪いが安らぎさえ感じていた。


「最近は世が沸騰して何やらおかしな奴等が現れれてる。いつまでこの命があるかはわからんな」


 それと同時に幕府役人による治安維持の限界をしみじみと感じていた。

 これ以上、夜談などと独自に治安維持をするのは不可能だった。

 奉行の独り言を楽しんでいたのか影のように現れた夜談は一言言う。


「ここいらで奉行も嫁をもらったらどうです?」


「嫁はいらん。俺は非常の人間だ。死ぬ時は武士らしく戦場でだ」


 あくまでいつ死ぬかわからない自分個人で守るものを作らず、伏見奉行所奉行としてこの京の治安を守ると決めている京史朗は改めて自分の決意を再確認した。


「じゃあ、余談ですが椿さんもそのままにしておくという事ですね?」


「……そうだな。そりゃ余談だ。時期が来れば椿にも縁談の話が出るだろう。そこが俺達の男女の縁の切れ目さ」


 欄干を煙管で叩き、京史朗は悠々と京の不穏な夜に消えた。

 



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