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奉行・鬼瓦京史朗  作者: 鬼京雅
奉行・鬼瓦京史朗~京都編~
10/42

五幕・妖刀血神丸〈後編〉

 翌日――。

 昨日の戦いで死亡した役人の葬儀がしめやかに行われていた。

 摩訶衛門に地獄の罠を張ったが、地獄を見たのは伏見奉行所の面々だった。

 昨日の戦いで十一人が死亡し、十二人が大小の手傷を負った。

 つまり、出動した五十人の半数以上が摩訶衛門一人にやられたのである。

 増援で人数に加えたばかりに死んだ町の用心棒連中にも申し訳が立たない状況に京史朗は夕方の鬼京屋で椿に愚痴を言っていた。内容は来月に江戸から上洛してくる将軍警護の浪士組の事であった。

 現状の関西地区のみで問題が山積みにも関わらず、江戸から得体も知れない男共が来たら更に京も大阪の混乱するであろう事は容易に想像がつく。しかし幕府は弱腰のままその浪士組の筆頭である清河八郎きよかわはちろうの志に従ったらしい。


「幕府も江戸の連中に頼るなんざどうかしてやがるぜ。黒船に何も出来ない腰抜け侍が」


 十年前に脱藩して黒船の脅威に怯えていた自分を棚に上げて言う。

 どうにも京史朗は江戸の地はあまり良い記憶が無いのである。

 水が合わない――といった類のものでも無いらしい。

 いつになく多弁で自分の尻も触らぬ京史朗に最近の忙しさで余裕が無いのが椿にも痛いほどに感じられた。


(……京史朗さん)


 目の下に隈が出来る京史朗は昨日の摩訶衛門との戦いをかなり引きずっているようだ。

 椿は言葉ではなくいつものように笑う。

 この変わりない笑みに京史朗は救われた。

 そして大きく煙管の紫煙を吐き、


「何かいい俳句が浮かびそうだぜ」


 団子の楊枝をくわえて鬼京屋を出た。

 同時に黒い影が横切った。


「一刻後、比叡山中腹にて待つ――」


 ふと浴びせられたその甲高い妖気を帯びた言葉に京史朗は恐怖のまま刀に手をかけ鯉口を切る――が、周囲には斬るべき存在はおらず町人達がただ歩いていた。


「……野郎」


 声の主は間違い無く人斬り摩訶衛門だった。

 全身に鳥肌が立ち、湧き上がる殺意に潰されそうになりながら比叡山中腹へと向かう。





 比叡山山道のとある山林。

 京都の北東部にある山である比叡山は京の鬼門とされる北東にある事から王城鎮護の山とされた。

 この山全体を境内とする延暦寺を往復する僧侶や僧兵、朝廷の勅使が通った道もあり日本の歴史の一途を担う山でもあった。

 その山林の満月の明かりが射す一角に二人の陣笠をかぶる男がいた。

 一人は緋色の着流しに黒塗りの鉄ごしらえの鞘の刀に触れる長身の男。

 もう一人は陣笠の奥の白髪頭が男の両眼と相まって不気味さを増す黒い着流しの男。


「ったく、何が一刻後に比叡山中腹だ。ここはまだまだ比叡山の入口じゃねぇか。それに、わかりやすい目印まで落としていきやがって。おかげで疲れないで済んだがな。今度は始めから着物を裏返してやがるのか? けったいな事だぜ」


 摩訶と書かれた紙切れを京史朗は風に乗せるように捨てる。ふふっと裂けた口を笑わせる摩訶衛門は顎を引き陣笠を人差し指で上げる。

 そして静かに殺気を放ちつつ京史朗は言う。


「薩摩の田中新兵衛、肥後の河上彦斎のような人斬りとはお前は違っているようだな。悪鬼羅刹とはお前の為の言葉のようだぜ」


「僕がただの人斬りではない事ぐらい知っているだろう?」


「そりゃ知ってるさね。にしても気が変わったのか摩訶衛門。幕府の役人は信用ならないんじゃないのか?」


「信用ならんのは確かさ。何せ僕の商売仲間の相馬豪商を潰したのは君なんだからねぇ鬼瓦京史朗」


 そう、摩訶衛門の単独で人を幾人も斬れる脅威的な力の源は死油しゆにあった。

 死油は筋肉強化と痛覚麻痺の効果があり、一時期京でも売られていた事があったが京史朗が潰滅させていた。


「死油を潰した君は許せんな。あれは僕が発注し開発して相馬豪商に量産させたものなんだからね」


「とんだ腐れ縁だぜ。今日で終わりだから別にいいけどな」


 一陣の風が二人の戦いを急かすように流れ、囲まれる木々は周囲の全てを疎外するようにこの二人の侍を比叡山に閉じ込めようとざわついていた。天の満月は穏やかに淡い光を発している。そして二人の悪は動いた。


「動いてる、動いてる。僕の心臓も君の心臓も動いているよおおおっ! 摩訶不思議! 摩訶不思議いいいっ!」


「ごちゃごちゃ五月蝿せぇぞ! 妖刀使いが!」


「僕は妖刀で両刀だよ?」


「僕って一人称はお前にゃ似合わんぜ!」


 激烈な一撃を刀の鍔元で受け、下段蹴りをかまし摩訶衛門が転ぶ。

 そこに殺到すると鋭い爪を地面に食い込ませ土を投げてきた。

 両目が塞がる京史朗は刀を振るうが空を切る。


「逝きなさい――」


 血神丸の切っ先が獲物を捕らえる蛇のように伸びた。

 閃光のような突きに対して身体ごと突っ込み左脇で抑えつけながら摩訶衛門の鼻息の荒い鼻っ柱を殴った。そして左脇を絞り血神丸を落とさせ懐から縄を取り出し身体を拘束しようと動く。


「……?」


 首に強烈な痛みを発し、白髪の人斬りに首を噛まれている事を知る

 焦りと恐怖から摩訶衛門の股間を蹴り上げ、地を這う地虫のように地面を転がり血が吹き出る首筋を抑えた。口を血まみれにして微笑む摩訶衛門はぺろり……と舌を唇に這わせる。


「不味い血だね。幕府の腐った血が流れているよ?」


「不味い血で結構。お前さんの血は美味いぜ?」


 鼻を殴った時についた血をぺろりと京史朗は舐めながら首に手拭いを巻く。


「……けども鬼瓦の家系は幕府の直参であり由緒正しい家系。よく三男坊の君が奉行になれたな」


 自分の家系までを知る目の前の人斬りを尊敬の目で見た。

 一介の人斬り風情では鬼瓦の家系を調べるなどという事は出来ないからである。

 父親の鬼瓦大史朗は先代の伏見奉行で仏奉行と町人から言われていたが、奉行所での人格が変わるまでの取り調べで罪人の人格が無理矢理変わってしまっていただけなのである。それに疑問を持つ京史朗は自分が奉行になってからは鬼として意図的に力でもって治安維持に当たって来た。

 まともに動かせなくなった首にいやけがさしながら、一気に仕掛ける。

 森の中を横に駆けて行く二人は先程よりも激しく刃をぶつけ合う。


「よく、調べたな。その細かい事が出来る所が人斬り摩訶衛門の不気味さを彩る花だな」


「僕は多趣味でね」


「多趣味ついでに聞きてぇが、死油は何の為に作った? ただの金もうけじゃあるめぇ?」


「人間の進化を見る為だよ」


 突如剣劇を止め、真っ二つに斬られた陣笠が落ちる摩訶衛門は言う。

 隙だらけのわりに異様な雰囲気をかもち出す為に京史朗は斬り込めず距離を取る。

 森から抜けた為、満月の光が目の前の男の妖艶さを更に増すような錯覚を覚える。

 いつの間にか摩訶衛門の剣ではなく言葉に圧され始めた。


「人間の感情も力も全ての根元は心の臓にある。その心の臓の濃縮された血で精製される死油は人間の本質の力を引き出す薬。死油によって人間はこの徳川家康が生み出した呪われた変化無き、変化を許さない腐敗した世の中を脱し西欧列強へと侵攻の目を向け異人共を駆逐する先見の明。ひいらぎとなるのだ」


「大平の徳川の世でそんな事が許されるとでも……!?」


 追い詰められていた京史朗の背後は崖だった。

 背後に満月の大きな明かりを背負い、白髪の人斬りは京史朗を指差して自分の首を叩いた。

 何かを首に仕込まれていたか? と思う京史朗はふと、噛まれた首を見た。

 同時に、死油の小瓶が右目を直撃する。

 右目を抑え蹲る京史朗の真上に、死油の小瓶を持ちそれを飲み干す瞳孔の開いた白髪の怪物がいた。


「この味はたまらんね……三千世界に広めるべき味だよ」


「……」


 現場を把握したばかりの京史朗には右目を抑え何も出来ないまま別れを告げる言葉を聞いた。


「サヨサラ、鬼瓦京史朗源狂星おにがわらきょうしろうみなもときょうせい


 死を覚悟した京史朗は心が無になった。

 過去を振り返る走馬灯も無く、未来への希望も無い。

 ただの無――。

 自分の最後はこんなものなのかと考える事も無い思考を、一匹の雀が邪魔をして無からの世界からの脱却をした。満月が明るいだけの暗闇の夜にも関わらず、目の前の世界はやけに澄み渡り輝いていた――。


「この雀は何だ? 貴様の仕込みか鬼瓦!?」


「知るか三下」


 崖に追い込まれるが京史朗は突如現れた一匹の雀に助けられ抜け出した。

 その右目がまだ開かない京史朗の背後に黒い忍装束の男がいる。

 男の肩に雀は止まり、京史朗は舌打ちをした。


「何だ夜談よだん? こっちはこいつと逢い引き中だぜ」


「それは失敬。では私は椿さんに報告をしなければ」


「勝手にしろ。んで、いつから雀を手なずけていたんだ?」


「物心ついた時からです。第一に自分の切り札はそうそう教えられませんよ」


「当然だ」


「余談はそれくらいにしておけ二人共」


 悪鬼の呪われた声が怨嗟のように空間に轟く。

 手の平に唾を吐き刀の目釘を湿らせた京史朗は、


「そっちが死油を使うならこれでどっこいどっこいだぜ」


「別に二人であろうが構わんよ。僕は血がある限り存在するからね」


 両者は最後の時を迎えるように対峙している。

 両手を広げ背後の満月を担ぐような仕草をする悪鬼は呟く。


「最近の京の都は千年王城に相応しい血に飢えた獣がわんさかいるな……君の心の臓は必ず僕が止める。摩訶不思議、摩訶不思議」


「――不思議な世界に逝きやがれ」


 一瞬で間合いを詰め京史朗の刃が一閃した。

 そして、摩訶衛門は背後の崖から落ちた。


「……僕は無敵だあああああっ――」


 そして、摩訶衛門は背後の崖から落ちた。


「……」


 緊張の糸が切れて尻餅をつくように赤土の上に座る京史朗は、


「だから、僕って攘夷浪士の流行り言葉はお前にゃ似合わなねぇよ」


 行き場の無い怒りと脱力感を体内で消化しきれない京史朗は生きていてはいけない存在として摩訶衛門を認識した。自分の命を賭けてでも地獄に道連れにしなければならない悪鬼を一匹の鬼として始末しなければならない宿命を感じる。

 一つの流星が比叡山の真上を流れ、一つの俳句が思い浮かんだ。


「闇の花・我が身の中に・狂を知る」


 そう微かに呟いて夜談と共に比叡山を下山した。

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