思い
てんやわんやで忙しい毎日となってしまい
あっちゅーまの1週間でした。
スズこと涼牧 薫の思い、新たな道を描いてみたつもりです。
幼い頃の記憶などない。
いや、完全に無いというと嘘になるかもしれない。
ある一部分の記憶は鮮明に残り、ところどころ断片的な記憶が脳内をさまよっている。
気づけばほとんどの時間、一人で過ごしてきた。
父は学者として研究に忙しかったし、母親も俺が物心つく前に病気でなくなったらしい。
「病気で亡くなった、今はいない」
その事実だけしか知らないため特に悲しみを覚えたこともなかった。
寂しいことは寂しかったが、
一人はいやだウンヌン言っている間もなく自立を求められたので、特に精神的な不自由は無かった。
唯一、父は生活のための仕送りや手紙などを、ちょくちょく寄越してくれている。
しかし外国での研究ということらしいので、あまり数は期待できないし、俺もそのことは納得している。
その手紙も最近ではパッタリと来ていなかった。
一抹の不安に襲われるときもあるが、
連絡が難しいときは以前にもあったので特にそこは深く悩まずにいる。
元気でいてくれればいい、そう思い返しながら大きく息を吐いた。
★
先ほどの理解に苦しむ出来事が少し落ち着いた頃、ようやく「隠れ家」とやらに到着した。
郊外に位置するその場所は、やや田舎と言った具合の場所である。
周りは小さな森のようになっていて、それがあたりを取り囲んでいて
深呼吸するととても気持ちがいい。
ただ、ご近所と呼ばれるような建物がほとんどないので、買い物には少し不自由だろう。
まぁ、とてつもない距離を行かないと何一つ買えないような、砂漠の真ん中よりは
ずっとマシである。
件の隠れ家なるものは木造のロッジ風で、遠くから見たときより大きく感じた。
そこらへんのキャンプ場に建っていても違和感を感じないくらい、しっかり造られている。
風呂は五右衛門風呂なのだろうかと内心、少しだけ期待していたが
熊羽の「システムキッチン、綺麗なシャワールーム&ダイニング全て完備」という一言で
期待も即、爆散した。
あぁ…一回入ってみたいぞ五右衛門風呂…。
「熊さんオリジナルブレンドスペシャリティプリンスオブブラックマグナム、はいお待ち。1980円な。」
本ロッジ自慢のシステムキッチンから出てきた熊羽が、ソファに座っていた俺と
装備をがちゃがちゃと外していたルーガに手渡された。
なんちゅうネーミングセンスしてんだ。
そして1980円て立派な詐欺だろ、おい…。
「スズ…だったか。……ケガは無ぇか?」
低い威圧感のある声で熊羽が気遣ってくれた。
「あ…あぁ、大丈夫だ。それよりメチャクチャな状況で助けてもらって感謝してる。」
「依頼があったら動くだけだ。…気にするな。大切な警護対象にケガ無くて良かったぜ。」
少し日常からズレた事を言っているが、やはり仕事にはストイックらしい。
一口、コーヒーを啜ってから全うな質問を投げ掛けてみる。
「それよりもわからない。なぜ……なぜ俺が、しかも平凡な一市民が狙われる必要があったんだ?
ありえないくらい突拍子無いから、そこだけでも詳しく説明してほしい。」
至極、最もな俺の問いに熊羽が一枚の写真を取りだした。
「っ……!?」
そこに写るのは紛れもなく父、その人のものだった。
驚きで反射的に口を手で押さえ込んでいた俺に、熊羽が続ける。
「今、お前が見ているこの人がクライアントだ。つまり、この人の依頼で俺たちは動いたんだよ。」
続いて取り出された、契約書らしき物にも父の名があった。
「わけがわからない…。普通の学者が何でアンタらに依頼したんだよ…?」
確かにその文面には父の名が記されている。ということは、真か偽かと問われれば
必然的に真の可能性が高い。
「なぜ?と問われると難しい。俺たちゃ依頼を受けるとき、なぜ依頼したか?とは訊かない。この仕事は情で動けねぇからな。まぁ、先方もそれを話そうとする雰囲気は無かったがな…。」
「……………。」
頭の中での整理がつかない。理由を訊いても闇雲な憶測しかできない。
話を聞いていたルーガも少々、困惑しているようだった。
場をわきまえてか、あえて口を挟もうとしない。
「基本的にこの依頼を果たした今、もうこの件には関われねぇ。相手がどれだけ弱者だろうが困っていようとだ。」
確かにそれは正論だ。
あくまでも彼らは依頼を受けて、ただ請け負うだけの第三者なのだから。
契約書を通した、金と依頼の取引だけをすればよい。
頭では理解できても内奥の感情はそれを受け入れられずにいる。
やるせなさ?
怒り?
不安?
そのどれにも当てはまらない感情が、ただもどかしさだけを植え付けた。
「………そうだよな。…この件はもう終わったんだからな……。」
自分に言い聞かせ、なだめるように席を立つ。
二人は何も言わずに沈黙の表情を保っている。
退出しようと扉の方へ向かう。
今の時間なら近くの駅まで行けば、何とか帰れるだろう。
最後に礼を言うのを忘れていた。
白昼夢みたいな出来事だったとはいえ、これは夢ではない。
ここに立っていられるのは彼らの「仕事」のおかげであり、生きているからに他ならない。
「その……ありが」
「待て」
話を突然切られた。
「ウチでは逆依頼ってのもやっててな。」
どこから取り出されたのか、まっさらな契約書が置かれていた。
「スズ、お前からも依頼できるんだよ。諦めて食らうメシほど不味いもんは無ぇだろ?」
それってつまりアンタのとこで働くって事だろ? とは訊かなかった。
閉ざされた一つの道が存在するとき、人はわずかな隙間からでも外へ向かいたいと願う。
たとえ、進めないかもしれないという不安があっても。
隙間から這いつくばっていく生き方だとしても、それに賭ける価値を捨てたくはない。
全く…。
やり方が反則だ。
そう心で呟いて、まっさらな紙面に自分の名をサインした。