夜の夢
あの後、レイとお母さんはちゃんと話し合って、トライゼロを家に置くことを決めた。その世話はレイが全部するという約束だ。
「トライゼロ、もう寝るよー」
ピンクのパジャマを着たレイは掛け布団をぼふぼふしてベッドを整え終えると、電気を消してトライゼロを呼んだ。
けれどトライゼロは床に佇んで動かない。カーテンの引かれた窓を向いて、じっとしているのだ。
「どうしたの、トライゼロ? ほら、もう八時だから寝ないとお母さんに怒られるよ?」
レイはベッドボードに置いてあるデジタルの目覚ましをトライゼロに向けて、もう夜も遅いことを示すのに、トライゼロは身じろぎもしない。
「あれ?」
レイはちらっと見えた数字がおかしいのに気付いて、時計を覗き込んだ。
「五十二時……?」
時計のデジタル液晶は、左から五、二、八、三を表示している。
「こわれた?」
目覚まし時計を見詰めるレイの横で、桜色の光が散った。
索敵妨害も功を奏さなかったらしい。
センサ類はあの機体の来訪を訴えている。
最も生存率の高い行動は、逃亡だった、けれど、それは出来ない。
大切なものを守ると決めたんだ。
さよなら、レイ。
「トライゼロ……?」
レイは呆然とトライゼロを見上げていた。
その姿は人に酷似したものになり、背中から一対の純白の翼が張り出し、桜色の宝玉は胸の中心にはめ込まれていた。
「どうしたの、トライゼロ? さよならって、なに?」
トライゼロが、始めて会った時と同じ、つるりとした目をレイに向ける。暗い部屋の中で、淡くこぼれる光が頬を伝っていた。
そしてトライゼロはまた窓へと向き直り、カーテンを、そして窓を開けた。
その雪を散らう雲に覆われた空がレイの瞳にも映る。
「シャボン玉……」
寒さが押し寄せてくる空には、またとろりと色の移ろう膜が、厚く灰色に重い雲に沿って張られていた。
風の冷たさじゃない何かが、レイの肌をざわつかせる。きゅっと自分を抱きしめても、その震えはレイの体にまとわり続ける。
その頃には、トライゼロはベランダに出ていた。白い翼を広げれば、雪のように羽が舞う。
トライゼロがその長身を空にはためかせる。
「待って! トライゼロ!」
レイの叫びも振り切り、トライゼロは空の先にいる敵に向かう。
暗く重い膜がどろりと捻じれて、その内側から蛇の牙がそれを食い破る。表面張力を破られた膜は、這い出てくるそれに纏わりつきながら千切れていく。
それは、空から落ちてきたトライゼロに良く似ていた。
ヒトに近いシルエットに、背中から伸びる三対の翼。
けれど、胸の中心には血に浸したみたいな紅に淀んでいて、瞳は深い闇を吸い込んでいる。色が黒いのも、遠いからではなく、本当にそういう色だった。
その黒い何かが右手に持つ蛇の纏わりついた杖を大きく腕を使って掲げると、黒い羽が舞い、空を目指すトライゼロに襲いかかった。
黒いそれに比べれば、遥かに小さいトライゼロが爆発に飲み込まれる。
「トライゼロ!?」
レイは喉が痛くなるのも構わずに声を張り上げる。
堪らなくなって、レイは部屋を飛び出し、ダッフルコートを掴んで靴を足に引っかけた。
「おかあさん、わたし出掛けてくる」
「待ちなさい、レイちゃん! こんな遅くにどこに行くの!?」
追い縋るお母さんの声に振り向きもしないで、レイはドアを体当たりして開けて、外へ駈け出した。
走りながらダッフルコートに腕を通す。ばたばた袖が暴れるせいで腕が入っていかないのが、途轍もなくもどかしい。ボタンは留めなかった。
息と一緒に跳ねる亜麻色の髪に雪が絡みつく。風に吹き荒ぶ雪の中では、もう道の脇にあるマンションも見えなくなっていた。
まだ、負けない。
レイを危険な目には合わせない。
爆煙の中から、天使が飛び出す。
背には三対六枚の翼を持ち、両足首と両手首にも小さな翼が一対ずつはためいている。
その胸に抱いた桜色の宝玉が強い光を灯し、トライゼロは黒い機体へと向かう。
黒い羽が、またトライゼロに向かう。
トライゼロは雪を横殴りに叩き付ける風を三対の翼で掴んで、右から迫るそれを避けた。
吹雪が向きを変えて、世界を煽る。
その氷雪の隙間に、黒い羽が紛れ込んでいた。
トライゼロは体を反らして、宙返りをする。足首の翼が羽ばたいて羽を散らし、くるりと黒い羽を回避した。
トライゼロが立ち向かう先で、黒い機体は手にした杖を脇に抱えて持ち直す。その先端は、トライゼロに向いている。
杖に纏わりついた蛇の瞳が赤く灯を宿した。
闇が杖の先から吐き出された。
高エネルギー感知。
さらに後方から回避したフェザーの追尾を確認。
回避パターン想定――破棄。
マンションの一室、窓の奥から水色の瞳を認識する。あの少年も、いや、全ての人間を犠牲にしない。
レイは、きっとそれを望んでいる。
トライゼロは杖から放たれた闇に自ら突撃する。
肩から伸びる翼を全面に展開し、闇を受け止める。
だが、その闇の怒涛はトライゼロを食い破ろうと牙を剥き、攻め立てる。
トライゼロの翼が、闇を滑るように開いていく。
光が、闇を切り裂いた。
トライゼロは長身の銃を両手に握っている。その銃身に沿って、光の刃が煌めいている。
その光の刃の交錯によって、押し寄せる闇は弾け飛び、舞い上がる雪を蒸発させた。
トライゼロが身を翻し、光の刃を一閃する。
後ろから迫る黒い羽は、それだけで全て消えた。
しかし、その隙に蛇がトライゼロの目前に迫る。身を伸ばして牙を立てられ、トライゼロは吹き飛ばされた。
道路で激突する直前に、トライゼロは全ての翼を開き、光を放射する。体を持ち直して、空を見上げれば、黒い機体が杖を構えて突っ込んできた。
杖から伸びる蛇の牙を、トライゼロの光の刃が抑える。
唐突に、道路の両脇に並んだマンションの全ての部屋が電灯を点し、消える。そしてあの信号のように、狂ったリズムで点滅を繰り返し、光が踊り出した。
部屋で帰りの遅い両親を待っていたマヤは、勝手に点滅する蛍光灯に苛立っていた。
「なんだっていうの、まったく」
「おねぇ」
「おねぇ、おねぇ」
マヤがぼやくのと同時に、カホとミホが左右対称の動きで目を擦りながら寝室から出てきた。
「ああ、蛍光灯がこわれたみたい。まぶしいけど、がまんして寝な」
「ううん、おねぇ、そとー」
「てんし、てんし」
「天使?」
眠たいせいか、双子は普段より一層舌足らずに話す。
けれど、マヤはしっかりとその内容を聞きとめ、はっとカーテンを開けた。
彼女の目の前には、白い翼の天使が背を向け、黒い天使の振るう杖を受け止めていた。
その黒い天使の紅の瞳に、マヤの姿が映り込む。
「これって、まさか、レイの言ってたやつ……」
マヤはカーテンを勢いよく閉め、双子の背中に手を回す。
「あんたたちはもう寝なさい。いいね」
「おねぇは?」
「どうするの? どうするの?」
「いいから、寝るの。いいね」
双子を部屋に戻し、ベッドに潜り込むのを確認したマヤは、すぐに防寒具を着て、外に出る。
かちゃり、とドアの鍵を閉めてから、マヤはレイの家のチャイムに手を伸ばした。
「レイ、危ないことしてないよね?」
マヤは祈るように、両手で家の鍵を握りしめた。
戦力で劣勢、状況は硬直、戦術及び戦略的打開策無し。
絶望的な状況で、競り負ける訳にもいかない。
今、敵に押されれば、期待に満ちた水色のまなざしを向ける少年に、不安に琥珀の目を揺らす少年、呆然と緑の瞳を瞬かせる少女――沢山の命を押し潰してしまう。
それに、わたしの足元には、レイがいるんだ。
負けられない。
レイは街路樹よりも高い位置に浮かんでいるトライゼロの足を見詰めていた。
雪がいきなりなくなったお蔭で、やっと見付けられたけど、今は見上げるしか出来ない。
「負けないで、トライゼロー!」
トライゼロが翼から放つ光に力が籠る。
黒い機体の下に潜り込み、二本の刃で杖を押さえる。
そして翼を開き、その巨体を押し上げた。
空気の膜を打ち破り、雪を蓄えた雲を突き破って、二機は空へと翻る。
途中で音の壁を打ち破った衝撃で、瞳と胸の宝珠を瞬かせる黒い機体を投げ捨て、トライゼロは地表を見下ろした。
「かっ、くいー」
トライゼロの快進撃を見て、水色の瞳を輝かせて少年は空を見上げる。
「たおしたの……」
怖くてぎゅっと琥珀の瞳を瞑っていた少年は、おどおどと窓の外を確かめるが、もう二機の姿は見えない。
「あれ、なんだったんだろう」
携帯のバックライトで緑の瞳を浮かび上がらせる少女は、ネットで検索しようとするが、画面がノイズだらけで使い物にならない。
「これ、最新型なのに……」
呟く少女の上で、蛍光灯が消えた。
レイを巻き込まない、レイが追い付けない遠く、そこを戦場にすべきだった。
それなのに、この一帯の向こうでは、車両が立ち往生している。
赤いライトを回す白黒の車両が、この一帯を取り囲んで封鎖しているようだ。
外には抜けられない。
――思考が長すぎた。足を、捕られる。
トライゼロの足に蛇が絡みついている。
その体を掴む黒い機体は、釣竿のように杖を振るい、トライゼロを投げ飛ばした。
トライゼロの巨体が引かれ、夜の闇を貫く。
トライゼロは地面に叩き付けられ、道路を転がり、雪道に深い溝を作っていく。
そして歩道橋にぶつかって、やっと止まり、雪と瓦礫に埋もれた。
「トライゼロ!?」
トライゼロの方へと歩き出そうとするレイの腕を、誰かが引き止めた。
レイが振り返れば、険しい表情をしたマヤが、その腕を掴んでいる。走った探し回ったのか、マヤは肩で息をして、白い靄を絶え間なく吐き出していた。
「マヤちゃん、離して、トライゼロが」
「離さない」
マヤはレイの訴えを一蹴した。そして眉間に皺を寄せて、腕をさらに強く握りしめる。
「マヤちゃん、いたい、いたいよ、離して」
レイはマヤの手から逃れようと、マヤの手と腕の隙間に指を入れようとするが、全然敵わない。
「いやだよ。離したら、レイ、行っちゃうんでしょ」
マヤは決して離さないし、力も緩めない。
「マヤちゃん!」
「友達が危険な場所に行こうとしてるの、止めない訳ないでしょ!」
焦れて叫ぶレイの言葉も遮って、マヤの絶叫が空を突き抜けた。
ぽろ、ぽろ、とレイの目から涙が溢れだし、雲を失った空から差し込んだ月光がそれを煌めかせる。
マヤは月と同じ光を抱いた瞳を、その涙からそらすこともなく、レイの腕を掴み続けた。
「泣いても、離さないよ」
屹然と言い切るマヤの視界の先で、トライゼロが立ち上がる。
どさどさと、雪と瓦礫を奮い落とし、光の刃を振り上げた。
押し寄せる闇の奔流を、光が受け流す。
流れを変えられた闇は、地面のコンクリートごと雪を削り、食い荒らしていく。
その一撃で体勢の崩れたトライゼロまで、黒い機体が押し切ってきた。
「前に出ろ」
少年の声のものにしては、深みを持った声が風に乗ってこぼれた。
トライゼロは足を踏み込み、黒い機体を迎え討つ。
「払え」
突き出された杖を、トライゼロは右手に握った刃で払う。
それによって黒い機体の胸元が空いた。
「突け」
トライゼロが左手を伸ばし、黒い機体の喉元目がけて突きを放つ。
しかしそれを黒い機体は、杖から右手を離して取り回し、手元で抑える。
「引くな。押し切れ」
トライゼロが一歩踏み出す。
上から覆いかぶさるように、黒い機体を圧倒した。
「いいぞ。耐えられずに相手が引いたら、攻めんだ」
ちらつく電灯の下、小道に入ったそこに、声の主がいた。道着姿にジャンパーを羽織り、横には防具と竹刀を入れた皮袋が置かれている。
少年の見立てでは、トライゼロにも勝機はある。
「兄さん!」
トライゼロと黒い機体の鍔迫り合いを見守っていた少年に向けて、切迫した声が届いた。
「ヒメ、どうしてここに?」
手を挙げて少年に向かってくる妹を見止めて、少年は視線を二機から外した。
ヒメと呼ばれた彼女は、兄の姿を見ると安心したように頬を緩める。
「兄さんが稽古から帰らないから、迎えに来たのです。それに、稽古場の近くで信号機が一斉に故障して、車両が封鎖されたとも聞いたので」
「ああ、そうか」
ヒメの言葉に納得し、少年は一つ頷いた。
目の届く範囲で、今まさに二体の巨身が鬩ぎ合っているというのに、堂々とした振る舞いだ。
しかし、ヒメの方は気が気でない。
「兄さん、早く逃げましょう」
「いや。あの白い方は僕がいるのを分かってくれている。下手に動く方が危ない」
「そうなのですか?」
ヒメは一瞬不安げに二機の戦闘を見るが、しかし兄への信頼で身を寄せた。
それを見て、少年はまた一つ頷く。
だが、その耳を衝撃が打った。
「しまった」
少年が顔を上げれば、トライゼロが闇に撃たれて崩れ落ちていた。
「倒れるな! 多くの人と心を交わしたのだろう? 守るものがあるのだろう? それなら、お前は負けるべきではない!」
少年の叫びに、トライゼロは応えず、沈黙が木霊した。
指示が唐突に途切れた。
彼の状況を確認すれば、レイよりも小柄な少女がいた。
彼の守るべき者。
そのために力を貸してくれた。
応えなければならないのに、彼のような的確な戦術が、わたしには組み立てられない。
黒い機体はトライゼロを受け流して、前のめりになっていたトライゼロを転がすのを、目の当たりにして、レイは気絶しそうになった。
蛇がトライゼロを縛り上げて、宙に浮かび上がらせる。
ベキベキ、とトライゼロの体がひしゃげる音がレイの所まで届いた。
「離して、マヤちゃん! わたし、約束したの!」
レイは親友に訴える。
「トライゼロと約束したの!」
その悲痛な叫びにも、マヤは心を押し殺して耐えた。
「いっしょにいるって約束したの! もうさみしくさせないって、そう約束したの!」
瞬き一つしなかったマヤが、きゅっと結んでいた唇を微かに開いた。
けれどマヤの手は逆に、レイを離すまいと力を強める。
その真上を、投げ飛ばされたトライゼロが突き破った。マンションにぶつかり、瓦礫と共に崩れ落ちる。
「トライゼロ!」
レイがその姿を見上げる。トライゼロは始めてあった時のように、体中が罅割れて、そこから弱々しい光を溢している。
マヤは黒い機体を見詰めた。杖を脇に抱えて構え、夜の闇と一緒に吸い込まれるようなそんな錯覚をした。
「レイ、逃げ――」
マヤの声は、目の前のレイにも届かない。
酷い耳鳴りが鼓膜を擦り、聴覚を奪う。
黒い機体の放つ闇が、二人の少女に迫ってきた。
レイは、見た。
トライゼロが飛ぶのを。
飛んで、レイの下にやってくるのを。
翼を使って空を覆い、レイとマヤを守るために盾となった。
がりがり、と闇の塊がトライゼロの命を削っていくのを、レイは肌で感じた。
レイが顔を真上に向ければ、真下を見下ろすトライゼロの顔がある。
そのつるりとした瞳に宿る桜色の灯に、亀裂が入り、暗闇が滲んで、押し寄せる衝撃が絶える頃には、光は失われていた。
がくり、とトライゼロの体が地面に崩れて、それでも腕を支えにしてレイとマヤを潰さないようにしてくれた。
「トライゼロ?」
呆然とレイの喉から音が漏れる。
光を失った純白の天使は、応えない。
「ねぇ、トライゼロ」
信じない、とレイは意識を持って声を掛けた。
命を費やした巨身は立ち上がらない。
「うそだよね? うそでしょ、トライゼロ……」
少しずつ、レイの思考に真実が沁み込んでくる。
けれどそれを伝えるのは、約束を交わした友人の沈黙だけだ。
「いやああああ!」
レイの雄叫びは、トライゼロの翼に覆われた空間に跳ね返る。
それでやっと、マヤははっと意識を取り戻して、レイを抱きしめた。
「レイ、しっかりして、レイ! ここから逃げないと!」
「いや! いや! いやあああ!」
レイは、全てを拒絶した。
目前にある、耐えがたい事実を跳ねのけて、自己を保つために。
何も記憶したくなかった。
思考して認めることが怖かった。
喚き散らして、理解してしまったことを自分で掻き乱した。
そんな親友をただ抱くしかできないマヤは、キッと黒い機体を睨み付ける。
「あんたが! あんたが来なかったら! みんな幸せだったのに!」
自分にはどうしようもない事実。
自分にはどうしようもない暴力。
自分にはどうしようもない現実。
それをもたらしたものを決めつけて、マヤは罵る。
レイを苦しめたものに、立ち向かおうとして――そして一番腹立たしいのは、立ち向かう力のない自分だと、マヤは気付いていた。
声と一緒に涙を溢す。
悔しくてたまらなかった。
守りたいと思った。
でも、何も出来ないのだと分かる利口さが憎らしかった。
「あんたが! めちゃくちゃにしたんだ! どうして!」
黒い機体は音もなく浮かび上がり、また杖を構えた。
完全に破壊し尽すために、ゆっくりと闇を吸い込み、溜めていく。
それが何をもたらすのか、マヤはすぐに理解した。
もう逃げることも許されない。
恐怖で足は悴んでいた。
せめて、震える親友だけは無事でいるようにと、力の限り抱きしめる。
「トライゼロ……」
想いが、ぽつりと滴った。
マヤが腕に包んだレイを覗き込むと、レイは涙を溜めこんだ瞳で上を――トライゼロを映していた。
「いっしょにいるって、約束したから、いっしょにいるから、お願い」
夜の空に染めた瞳に映る天使の姿は、ボロボロで、動かない。
それがマヤには腹立たしくて仕方なかった。
レイがトライゼロへ伸ばす震える手を、マヤの手が包み込んだ。
「マヤちゃん……?」
やっと自分の方を見てくれたレイの額に、マヤは唇を触れさせた。
そして眼差しだけで瞳に纏わりついていた滴を払い、トライゼロを見上げる。
「立ちなさい! あんたを信じるレイに応えない! でないと、許さないから!」
トライゼロの胸、その中心にはめられた桜色の宝珠が、一粒の光を溢した。
軋みを上げて、トライゼロの顔が、敵に向かう。
「立って」
琥珀の瞳が不安を拭う。
「届け」
青と赤の瞳が白い羽に願う。
「立てよ! 立ち上がるんだ!」
水色の瞳が期待を寄せる。
「あー」
まだ幼い青の瞳が身じろぎする。
「がんばって、まだいける!」
緑の瞳が好奇心を疼かせる。
「やれるよ!」
「いけ、いけ!」
双子の元気と喜びが後押しする。
「勝てるのですか?」
黒い瞳は疑問に揺れる。
「勝つ。この想いの全てを受け止めれば、負けるはずがない」
そして黒い瞳は確信を持って、告げた。
「トライゼロ! そこに行くから! あの時みたいに、いっしょにいるから!」
レイがその手を伸ばせば、夜の瞳に天使の光が映る。
翼から、オーロラにも似た光の帯を、桜色から亜麻色に、そして翡翠に揺らめかせて、大きく広げる。
手にした銃身を支えに、無理矢理にでも体を奮い立たせる。
全てを飲み込もうとする闇を睨み、白き翼に桜の香りを散らせる天使は、目を覚ました。
光の帯は虹色に染まりゆき、十の球体となってトライゼロの体を浮かび上がらせた。
トライゼロが両手にした銃身が、一つに結合する。
「トライゼロ!」
闇が押し寄せ、光が放たれた。
空で混じり、捻じれ、弾ける。
渦巻く光と闇は、行き場を失い、天頂を目指した。
夜が追い立てられていく。
その光と闇を一身に受けて、二機の天使は、その存在を削りあった。
守、れ、た……?
感じる。みんなの、命、その……鼓動を。
世界に、こ、だま……する、この――響き、が。
愛しさ、を、奏でる絆の、繋がりが。
わたしが、守ったもの。
――レイ。次は、いっしょ、に――
夜が追い払われ、朝焼けが東の空を焦がしていく。
その中に、ぽつんと二人の少女が佇んでいた。
「トライゼロ……」
頭一つ分、背の低い少女が呟く声が朝焼けに沁み込んだ。
「いない……どっちも」
もう一人の少女が空を見渡し、告げる。
「うそ! トライゼロ! どこ、トライゼロ!」
少女は諦めずに声を張り上げる。空の向こうまで届くようにと、何度も、何度でも。
その姿をもう一人の少女は、黙って見守る。
「あ、レイ! あれ!」
けれど、それが視界に入り、親友に呼びかけた。
空から降ってくる二枚の羽。
一枚は黒。そしてもう一枚は、雪に見紛うような白。
少女たちは風に揺られるその二枚を追いかける。
そして、綿雪のように緩慢な動きで重力に引き寄せられた二枚は、少女たちの手のひらにそれぞれ舞い降りた。
それを握りしめ、小さな少女は声の限りに泣いた。
その姿が見るに堪えず、もう一人の少女は太陽の上る空に視線を移す。
「……まぶしっ」
手差しで光を除けながら空を見詰める少女は、朝焼けに夜の終わりを見せつけられた。
Night break.
もし、この作品を読み返すことがあれば、ラヴェルのボレロを聞きながらをお勧めします。
はい、ここまで読んでいただきありがとうございました、奈月遥です。これでこの『RAGNACAVALRY』は完結でございます。
作品のテーマを『絆』と『冒険』と決め、さらにロボットかっこいい! という病気を併発してできたものです。書いてる時は、それはそれは楽しかったです。
え、展開に見覚えがある? そりゃそうです、この作品はわたしがデジモンを見て(強制削除)。
夜は明けて、レイとトライゼロの一時の夢は終わりました。しかし、日は登れば沈むもの。夜は明けてもいずれまた訪れるものです。もし、皆さんの声が二人に届けば、また……?
さてさて、余計なことは言わずに今日はこの辺で。
またいつか、夢で出逢いましょう。




