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RAGNACAVALRY  作者: 奈月遥
3/4

友情と愛情

 家から飛び出したレイは、追いかけてきたトライゼロを抱えて、昨日と同じようにマンションの階段を駆け下りていった。

 けれど、亜麻色の髪は風にさらされていて、ダッフルコートも着ていない。

 雪が辺りを覆い尽くした街の中は、寒い。空気は刺々しく肌に突き刺さる。

 でも、レイは立ち止まれなかった。

 立ち止まったら、お母さんが追いかけて来るような気がして……もし、追いかけて来てくれていなかったら、物凄く寂しくて哀しくて、振り返る勇気もなかった。

「およ? レイ? おーい、レーイ!」

 レイがあの公園の前に差し掛かった時、その姿を見止める少女がいた。

 その声がレイの足を止める。

「マヤちゃん?」

「わ、泣いてる。なんかあったん?」

 レイの親友であるマヤはちょいちょいと手招きする。

 マヤの座るベンチに歩み寄るレイは思考が止まったまま、重苦しい足取りを雪道に押していく。

「ちょっと、なにその寒々しいカッコ。ほら、これ着な?」

 マヤはレイの手を引いて自分の横に座らせる。そして羽織っていた黒いポンチョをレイの震える細い肩に掛けた。

 マヤが心配そうにレイの顔を覗き込んだ拍子に、マヤの黒髪がさらりと音を立てた。その月色の瞳には、レイの抱えたトライゼロの桜色も映り込んでいた。


 レイの乱れた脳波や鼓動が落ち着いていく。

 レイと同じ年齢と推測される、このマヤという少女による作用のようだ。

 ――信頼、という感情をレイが抱いているのだと判断できる。


 レイは涙を指で拭って、気持ちを切り替える。

「あー、レイちゃんだ」

「レイちゃんだ、レイちゃんだ」

 なんとかレイが落ち着いて、マヤが話を聞こうとした矢先に、公園を駆けまわっていた瓜二つな少女達が駆け寄ってきた。

「レイちゃん、泣いてる?」

「いたいいたいなの?」

「え、あ、あのね……」

 ベンチに座る顔を下から覗き込んでくる双子に、レイはどう誤魔化そうかと考えが空回りしてしまって、言葉が上手く出てこない。

「ほら、カホ、ミホ。これから姉ちゃん達はオンナの話があるから、向こうで遊んできな」

 マヤは双子の妹達を追い払うために、しっしっと手を振る。

 けれど、すぐに双子から反論が飛んできた。

「カホたちもおんなー!」

「おんな、おんな。ミホもカホも、おねぇ達もおんなじー!」

「うっさいよ。親友同士の話にお子ちゃまが入ってこない!」

「おねぇも子どもぉ」

「小学二年生はこどもこどもー」

「だまらっしゃい、幼稚園児ツインズ! 行かないと怒るよ!」

 マヤがポーズだけで握り拳を振り上げながら凄みを利かせて、やっと双子達は逃げていく。

 その元気に走り回る姿を見て、マヤはふぅと溜息を吐いた。

「ごめん、マヤちゃん」

「んぁ? いいのさ。さ、なにがあったのか、親友で幼馴染なこのあたしに話してごらん?」

 マヤは優しい声音でレイの心を解そうとする。そっと手を肩に乗せて、俯いたレイの言葉を待つが、レイはなかなか口を開こうとしない。

 それでも、マヤは黙って待ち続ける。

 すると、レイに抱えられていたトライゼロが、身を捩って空に飛びだした。

 それを見て、マヤの月色の目が見開かれる。

「な、なに、こいつ、飛んだ?」

 わなわなと震える指でトライゼロを指したマヤは、とても信じられないと表情が笑っている。

 そんなことも気にしないで、トライゼロは公園の中を飛び回る。

「なにこれー?」

「おいかけろ、おいかけろぉ」

 空飛ぶ不思議を見つけたカホとミホは、すぐさまトライゼロを追い掛け回す。すぐに公園に敷き詰められた雪の絨毯は、より固く踏み締められていく。

「あの子、天使のたまごから生まれたの」

 ぽつりと、レイが呟いた。

 妹達が二人掛かりで追いかけるトライゼロの軌跡を目で追っていたマヤだったが、レイの声がどんなに小さくても聞き逃すことはなかった。

「天使の……たまご?」

 理解を越えて言葉を押し出すのに閊えたマヤの後ろで、どさりと木の枝から雪の塊が落ちた。


 黒髪に黒い瞳、身長も体格も酷似した二人の少女。

 ツインズ、双子という存在であり、マヤの妹でもある。妹は弟と似通った意味だと推測する。

 カホとミホというその二人は、レイよりも体が小さく、身体能力も低い。

 飛翔していれば、捉えられることはない。


 レイの話を聞き終えて、マヤは空を仰いだ。

 薄い雲が少しばかり浮かんでいるだけの、良い天気だ。現実逃避をするにはちょうどいい。

「空から落ちてきた巨大な天使に、たまごに、空飛ぶボールねー」

「ボールじゃなくて、トライゼロ。みんな、ボール、ボールって、かわいそうだよ」

 むぅ、とむくれるレイが可愛くて、マヤは何にも考えずにそのほっぺを突いた。すると、嫌がったレイが手を叩いて、払い除ける。

 すぐに手が出るのは、珍しいことだ。

「でもさ、おばさんはレイを心配してたんだと思うよ? あんたが言うみたいにでっかくなったら家にも入らないしさ、危なくないって言っても、わかんないじゃん」

「わかるもん。トライゼロはいい子だもん」

「うわぉ、珍しく聞き分けがないレイだ」

 頑として聞かないレイに、マヤもやれやれと首を振る。

「レイ、あたしはもね、カホやミホが、レイみたいに変なもん拾ってきたら、危なくないか何回も確かめる。だって、大切なの、傷ついたり悲しんだりしてほしくない。だから、守りたいと思う」

 マヤがまっすぐに見詰めるには、雪に埋まった枝を掘り出したのか、双子の妹が棒を拾って振り回す姿がある。それでトライゼロを引っかけようとしているらしい。

 そしてその強い眼差しがレイに向けられる。

「そんなお母さんの気持ち、わかんない?」

 凍る夜を走る満月の光のように、マヤの瞳がまっすぐにレイの目を透かして心を射抜く。

 耐えきれずに、レイが目を反らそうとしたら、顔を両手で挟まれて、固定されてしまう。

 マヤは黙って、レイの目を見詰めるだけだ。それだけで想いが届くと信じきっている。

 そう、揺るがない瞳は、レイを信じていた。

 それに気づいて、レイの夜の瞳から、つぅと涙が溢れて、頬を伝い、雪に落ちて跡を残した。

「ごめんなさい……ごめんなさい、おかあさん、おかあさん!」

 後から後から涙を流していくレイの頭に、マヤは手をぽんと乗せて、それから亜麻色の細やかな髪を一撫でする。

「よし、いい子」

 ぽんぽんと心の苦しみを涙で洗い流す親友を撫でてやってから、マヤはベンチから立ち上がった。

「こら、カホ! ミホ! ぼっこを振り回すな! 弱い者いじめするなんてお姉ちゃん、許さないぞ!」

 マヤが腰に手を当てて一喝すれば、双子はすぐさま手にした棒を放り投げた。

「うわーん、おねぇ、ごめんなさい!」

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 口々に謝る双子に、全くもう、とぼやきながらもマヤは微笑みを浮かべていた。

 レイがその後ろ姿を眩しそうに見れば、マヤは笑顔でピースサインに親指も一緒に立てる。

「御堂家家訓その三、男は背中で語れ、女は瞳で語れってね」

 誇らしげに笑うマヤは、見上げるレイからすると太陽を背にしていて眩しくて、レイは目を細めてしまう。

「マヤちゃんは、おとなだね」

「ん~? ウチは親が共働きで、妹達の面倒をあたしが見なきゃなんないからね。おかげで冬休みも返上でお守りだよ。まいった、まいった」

 マヤが諸手を上げて首を振ると、いつの間にいたのか、双子が両脇から服の裾を引いた。

「おねぇ、カホたちのこときらい?」

「ミホたち、いないほうがいいの?」

 不安のままに姉を見上げる双子を見て、マヤはくすりと笑う。

「バカだね。大好きだから、ちゃんと一緒にいるんだよ」

 マヤは屈んで、双子の妹をぎゅっと抱き寄せて、カホもミホも大好きな姉に必死にしがみつく。

 そんな三人の周りに、真っ白な羽が散った。

「ん?」

「うわぁ、きれい!」

「きれい、きれい!」

 空を見上げれば、トライゼロがくるくると回って、ひらり、ひらりと羽を溢している。

 その羽は晴れていても融けたりしない雪が舞っているようだ。

 その白い羽に、トライゼロは中心の宝珠から光を溢して桜色に染め上げて、春の景色を先取りした。

「助けてくれたお礼なんだって」

 トライゼロの気持ちをレイがマヤに伝える。

「レイ、あれの気持ちがわかるの?」

「なんとなくね」

 なんとなくという割には、自信たっぷりに笑顔を見えるレイに、マヤはトライゼロが飛ぶのを見た時のように、目をぱちくりとさせるしかなかった。


 三人が抱き合っているのは、愛情を抱いているから。

 大切だということと、守りたいという気持ちは深く結びついているもののようだ。

 それは感情の中でも、とても大事なものだと感じる。

 わたしは、大切なものを守れるだろうか。

 羽が散って、風に流れていく。

 その一枚を、赤と青の瞳を持つ少年が手にした。

 少年はそれを握って、走り出す。その先にいる女性に羽を渡して、笑顔を見せた。

 彼にとって、その女性がとても大切なものだと予想するのは、難しくなかった。


 空に羽を散らしていたトライゼロは、しばらくすると疲れたのか、翼で体を包んで丸まり、レイの腕の中に抱かれていた。

 耳を澄ませば、聞こえるはずのない寝息が聞こえてきそうだ。

「さ、レイ。とりあえず帰るよ。そんなカッコでいつまでもこんな寒空にいたら、風邪を引くよ」

 マヤの言葉に、レイは頷くけれど、視線が泳いでいる。まだ気持ちの整理が完璧じゃないみたいだ。

「ほら、むずかしく考えないで、とりあえずあやまる。それから、それのことはあたしもおばさんにお願いしてあげるからさ。ね?」

「う、うん。ありがと」

 親友に背中を押されて、やっとレイも歩き出した。

「カホ、ミホ。帰るよ」

「はーい」

「帰ったら、ごはん? ごはん?」

「そうね。でも、お姉ちゃんちょっとレイの家に寄るから、その後ね」

 帰るのにも元気よく走り出す双子から、目だけは離さないにして、マヤはレイの隣を歩く。レイより頭一つ分大きなマヤと並んでいると、まるで姉妹のようにも見えてしまう。

 双子は駆けていっては姉達を待ち、それからまた走り出すというのを繰り返して、有り余る元気を見せつけてくれる。

「あれー?」

「あれあれ?」

 急に双子が道路の向こう側を見て、声を上げて、何かを指差す。

「あらま」

「ちかちかしてる」

 双子の指の先をマヤとレイが見れば、そこには歩行者用の信号があった。その赤く気を付けをした人が、ちかちかと点滅している。

「おねぇ、赤の点滅はなぁに?」

「すすめ? とまれ?」

 見たことのないシグナルを起こした信号機に、カホもミホも興味津々といった様子だ。

 マヤが車道の信号を見上げれば、それも赤と青が同時に付いたり、瞬きするうちに点灯する色を変えたりと、デタラメなリズムだ。

 車の少ない道路ではあるけれど、その奇妙な旋律は幾らでも不安を煽ってくる。

「壊れてるんだよ。どうせ、道路は渡らないんだから、近づいちゃだめだよ!」

 マヤは自分の不安を押し除けるために、少しキツイ言い方で双子の妹を止める。

「けいさつに連絡しないと……」

「そんなの、大人がやるよ。早く帰ろう」

 ぼんやりと信号機を見上げるレイの手を引いて、マヤは急いでマンションに向かう。

「ふあ、マヤちゃん、転んじゃう……!」

「しっかり歩きな!」

 逃げるようにレイの手をしっかりと掴んで走るマヤの後ろを、双子達が楽しそうに笑って追いかけていく。

 開きっぱなしになっていた自動ドアをくぐり、階段を駆けあがりながらマヤが視線を向ければ、信号機はまだ狂ったように不協和音を奏でていた。

「カホ、ミホ。あんたたちは先に家に入ってて」

「はーい」

「ただいま、ただいまー」

 マヤが家の扉を開けて促せば、双子達は素直に家に飛び込んでいった。家の中でも、二人は無邪気に元気を振りまいている。

「ほら、クツちゃんとそろえなさい。じゃ、レイ、いくよ」

 マヤは家のドアを閉めると、今度は隣のドアまでレイの手を引いていく。

「ほら、レイ」

「うん……」

 レイは少し背伸びをしてドアノブに手をかけて、体重を乗せて降ろした。それで後ろに倒れるようにしてドアを開ける。

「ただ、いま」

 レイはおずおずと、ドアの隙間から家の中を覗き込む。

「レイちゃん!」

 レイの声は小さいものであったけど、お母さんはそれをちゃんと聞きつけて来てくれた。

 家の奥から飛び出してきた勢いのまま、お母さんはレイを抱きしめる。

「よかった、無事で……」

 ぎゅっとお母さんの腕に包まれたレイは、そっと腕をお母さんの背中に回した。

「ごめんなさい、おかあさん」

 お母さんはレイの涙で濡れるのも構わず、その小さな体を抱きしめて離さない。

 レイはお母さんの甘い香りに包まれて、幸せに身を委ねていた。

「よかったね、レイ」

 マヤはその光景を見て、親子の絆を邪魔しないようにそっとドアを閉めた。


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