偽りだが真実なる者
再び八百刃の偽者が現れるしかしその人間は?
ローランス大陸で慈悲神、天包布信仰を国教とするルーフェス聖王国のセイラス草原
猛獣が蠢く森の中で、ヤオは一人で地面を見回していた。
「ここら辺だった筈だけど」
その時、ヤオの背後から通常の二倍はある虎が迫ってきていた。
今にも虎が襲いかかろうとした時、木の根に足を取られヤオがこけた瞬間にチャンスとばかり虎が襲いかかる。
顔を押さえながらヤオが立ち上がり、無造作に空いた手で噛み付こうとしていた虎の首根っこを掴む。
「鼻ぶつけた」
虎は必死にもがくが、ヤオは視界に入っていないのに平然とその爪を避ける。
「それにしても白牙が作った虎用の罠って何処にあるんだろう?」
悩むヤオ。
『きっちり首に食い込んでるだろ。下手に暴れて、毛皮に傷がつく前に仕留めろよ』
白牙は、蔓で縛った大熊を口で引っ張りながら出て来る。
「そうだね」
虎は、自分が襲いかかった者が超越者だとこの時初めて知った。
森とセイラス草原の中間にある町。
「良い毛皮と肉だ、金貨五枚出そう」
ヤオを持ち込んだ虎と大熊の毛皮と肉を品定めして店の亭主がお金を出す。
「ありがとうござます」
頭を下げてそれを受け取り、店を出たヤオは、近くの食堂に入り笑顔で言う。
「ここで一番美味しい卵料理頂戴!」
『オレ用に鳥肉の冷サラダも頼めよ』
「解かってるよ」
嬉しそうなヤオの顔を見て、白牙が言う。
『卵料理好きなのは知ってたが、食べれるのがそんなに嬉しいのか?』
ヤオは嬉しそうな顔のまま答える。
「それもあるけど、悩まなくて料理が頼めるのが嬉しいの。この頃やたら金運が無かったから」
『オレはこんな神名者の使徒になって本当に良かったんだろうか?』
白牙は、百年間に何度も思った事を再度考えていた。
運ばれてきたオムレツを食べて居ると、数人の兵士が入ってくる。
「ここに八百刃の信徒が居ると言う通報を受けた」
入って来た男達を見て、白牙言う。
『銀の刺繍の布をしてるって事は、天包布の信徒だな、戦神候補のヤオとは相性あまり良くないな』
「でもあちきを探してる訳じゃないみたいだよ?」
ヤオが言うとおり、ヤオには気を向けず、周囲を見渡している。
天包布の信徒がヤオの後を通り過ぎようとした時、そんな状況でも嬉しそうにオムレツを食べていたヤオがフォークを滑らせて床に落す。
ヤオは慌てて拾おうと、天包布の信徒の前にしゃがみ込む。
「すいませんフォークを取らせてもらいます」
「無礼者!」
そう言って天包布はヤオにその剣を振り下ろそうとした。
「待て!」
数人の男が立ち上がる。
「お前達が探しているのは俺達ではないのか!?」
「貴様等が、八百刃の信徒か!」
それに対して男達の一人が肩を竦める。
「天包布の信徒は馬鹿が多いみたいだな。八百刃様は神名者で、神でない。神名者を信望する俺達は八百刃様の信望者だ」
そう言って、八方に伸びた刃をイメージした紙細工を見せる。
『珍しいなお前の信望者の証なんて知ってる人間が居るぞ』
白牙がからかい半分言うが、ヤオは本当に驚いた様な顔をして小声で同意する。
「あちきもびっくり、あれって八十年前信望者に頼まれて作った奴で、強制した事なんて一度も無いから、今知ってる人間居るなんて思わなかったよ」
白牙の視線がかなり冷たいがヤオは気にしてない。
「ここは天包布様の信徒の国、お前等異教徒は去れ!」
その言葉にヤオが眉を顰める。
『この手の話は何時になっても無くならないな』
白牙の苦々しそうな話しにヤオは溜め息を吐く。
一発触発のその時、一人の女性がドアの開けて入ってきた。
その姿を見て、八百刃の信望者達が言う。
「八百刃様」
その言葉に天包布の信徒が驚き振り返る。
その女性は強い意志を篭った瞳を持っていた。
そしてその真っ白な右腕をさらし言う。
「私には正義なき戦いを行うつもりはありませんが、私の信望者に手を出すと言うならば、私の力を示すまでです」
八百刃様と呼ばれた女性の右腕に八百刃の文字が浮かび上がってくる。
『面白い細工だな』
白牙の言葉にヤオも頷く。
「覚えていろ!」
そう言って去っていく天包布の信徒達。
微笑む八百刃様と呼ばれた女性の腕から八百刃の文字が消えていた。
セイラス草原の難民が寄り添うキャンプ。
「それでは一人で旅をしているのですか?」
そう言いながら八百刃様と呼ばれる女性がそれ程高そうでない紅茶を差し出すと、何故か招待されたヤオが頷き、熱い紅茶に口を付けるが、熱過ぎた為、涙目になる。
そんなヤオを見て八百刃様と呼ばれる女性は落ち着いた様子で水を差し出す。
「お水で冷やして下さい」
ヤオは水を含みながら頭を下げる。
『はたから見たら絶対、あっちの方が八百刃様だな』
そんな白牙の呟きを無視して、ヤオが言う。
「面白いこと思いついたね?」
「何の事ですか?」
聞き返す八百刃様と呼ばれる女性にヤオは、自分の右腕を見せて言う。
「普段から幻術で八百刃の文字を見えなくして、いざって時だけ幻術を解除し、八百刃の文字を見せる。こーすれば、魔法感知をされても八百刃の文字が魔法で出たり消えたりしてる事がばれ難いですもんね」
その言葉に八百刃様と呼ばれた女性は驚き、周囲を見る。
「誰も聞いてません。あちき、これでも人の気配に敏感なの」
「それでは、貴女は私が八百刃様で無いと言うことをばらすつもりが無いんですか?」
ヤオは頷く。
「ばらした所で、余所者のあちきの言葉なんて信用されないよ。それより何でそんな事をするか聞いて良い?」
八百刃様と呼ばれる女性が言う。
「この国では宗教の自由が無いのです。元からこの国に居る人は良いのです、天包布を信仰していますから、でも他の国から来た人間は違います」
「特に戦争があった国から逃げて来た難民は自分の国の宗教を持っているって事だね。でも天包布の教えではそういう人こそ慈悲に対象になると思うんですけど?」
ヤオの質問に八百刃様と呼ばれた女性は苦笑する。
「ええ、天包布の信徒には本当に厚い保護をしてくれます。しかし、それ以外の宗教の人間は迫害を受けます。その迫害に対抗する旗頭として、八百刃様の名前が丁度良かったのです」
『確かに、戦争から逃げてきた人間は慈悲の神より、戦神候補のお前の方がより現実的な神様なんだろうな』
白牙が呟く。
そして八百刃様と呼ばれた女性が笑顔で言う。
「何れ私は八百刃様に天罰を受けます。その名を僭称した私が許される訳はありません。でも、私に天罰を与える為、ここに来てくだされば、ここに居る人達をお救いして下さる筈です」
ヤオは頬をかいて言う。
「後一つ聞いて良いですか?」
「何ですか?」
「何て名前なんですか?」
微笑みその女性が言う。
「そうですね、貴女だけは覚えておいて下さい。私の名前はヤイネと言います。昔八百刃様に救ってもらった一族の末裔です」
その時、外が騒がしくなった。
「八百刃の名を語る愚か者は何処に居る!」
昼間食堂に来ていた、天包布の信徒が、多くの兵を引き連れてやって来た。
「八百刃様に何の用だ!」
八百刃の信望者の一人が言う。
「愚かな異教徒よ、良く聞け、お前等が信仰する八百刃は偽者だ!」
その言葉に、八百刃の信望者達の中にざわめきが起る。
昼間食堂に居た信望者が言う。
「嘘だ、あのお方には確かに八百刃の神名を持っていらっしゃる」
その言葉に天包布の信徒が言う。
「たんなる文字だ、証にはならない。それよりもついこの間、隣のバードス王国で八百刃様はそのお力で、邪悪なりしペードラス王国を撃退して居るのだよ」
その一言には、丁度出てきたヤイネも驚く。
その横に居たヤオが小声で言う。
「本当だよ」
ヤイネはヤオに偽者とばれた理由が、その所為かと考えた。
だが、ヤイネにはこれを朗報でしか無かった。
何処に居るか判らない神名者、八百刃様が近くに来ている事が判ったのだから。
ここを上手く誤魔化せば自分に天罰を与える為に八百刃様が来て貰えると考えたのだから。
そしてヤイネは覚悟を決める。
「その様な戯言で、私の信望者を騙せると思っているのですか? 私の信望者の信望はそれ程薄いものではありません!」
断言するヤイネ。
そして天包布の信徒が言う。
「異教徒の信念など関係ない。お前が八百刃でないと判った以上、異教徒どもを力で排除するのみだ!」
その言葉に驚くヤイネ。
「貴方達の神は、その様な事を望むのですか?」
天包布の信徒が傲慢な笑みで答える。
「当然だ、自分を信じない人間など天包布様にとって虫けらも同然だ!」
難民達に動揺がはしる。
『いい加減な事を言う奴だ。あいつ等には一度天罰を与えた方が良いと思うがな?』
白牙の言葉にヤオは首を横にふる。
その時、ヤイネが前に出て宣言する。
「難民には危害を加えさせません。私は最後まで戦います!」
魔法の準備に入るが、天包布の信徒が使う、天包布から伝わる御業で作られた、魔法封じの護符がヤイネを捕らえる。
そして、完全に魔法を封じられた状態になると、ヤイネの右腕に八百刃の文字が出る。
「なるほど考えたな、幻術で普段は隠していたのか。しかしこれで判明したなお前が八百刃でない事が」
最後の希望が潰え、難民に絶望が走る。
その中ヤイネだけは絶対の信望を持って断言する。
「私達が正しい戦いをする限り、八百刃様はきっと助けに来てくださる。あのお方は正しき戦いをする者の守り手なのですから!」
その言葉に、他の八百刃の信望者も武器を持って、前に出る。
「そうだ。俺達が戦ってる限り、八百刃様はきっと助けてくださる!」
そんな八百刃の信望者を見て、嘲りをもって天包布の信徒が言う。
「愚かな、たかが神名者がそれ程の力があると思っているのか? 真の神である天包布様でない、神名者、八百刃がそんな力を持ってる訳が無かろうが!」
ヤイネは真っ直ぐで瞳で答える。
「きっと来て下さります」
それを聞いて天包布が言う。
「それが何を意味するか解っているのか? 自分の名を僭称したお前を八百刃がお前を許すとでも思っているのか?」
その言葉に難民達に動揺がはしるが、ヤイネは一片の迷いの無い言葉で答える。
「そんな事は関係ありません。例え私が天罰を食らう事になってもここに居る人たちが救われれば!」
その一言に難民も武器を取る。
天包布の信徒達は一歩後退するが、元から難民を排除する為に集められた圧倒的な戦力があった為、宣言する。
「もう構わん行け!」
その時、ヤオが天包布の信徒の前に出て言う。
「あんた達に聞くけど、何で八百刃がここに居ないと思っているの?」
その言葉に天包布の信徒が答える。
「そこに偽者が居ることがその証明だ!」
それに対してヤオが言う。
「あちきは何時でも正しき戦いをする者の側に居る。それは全ての神の名の元での誓い。それが違うことなんかありえないの」
天包布の信徒の足が止まる。
「お前何を言っているんだ?」
ヤオは両手を地に向けて唱える。
『八百刃の神名の元に、我が使徒を召喚せん、大地蛇』
ヤオの右掌に『八』、左掌に『百』が浮かび、それが蠢き、大地を鳴動させる。
「天包布の思想を歪めるあんた達の戦いは間違っている。死にたくない奴は急いで逃げなよ!」
次の大地の鳴動は更なる高鳴りとなり、巨大な蛇が大地から頭を出す。
『我は、八百刃獣の一刃、大地に住まいし蛇なり。八百刃様に逆らえし愚か者よ、最後の選択だ、今すぐその場から去れ。さもなくば我が住処と一つになり、永遠の懺悔を行う事となるだろう』
大半の天包布の信徒達は逃げていく。
そして次の瞬間大地が崩れ、残った愚かな信徒達をその身の中に取り込んだ。
ヤオが元の状態に戻った大地を確認して、難民達の所に戻って来た時、ヤイネが片膝を着いた状態で頭を下げる。
「我々に御助力ありがとうございました」
ヤオが簡単に頷くとヤイネはその罪の証である右腕を差し出して言う。
「私は貴女様の名を僭称しました。その罪逃れられる物だとは思っておりません。どうぞお裁きを」
周りの八百刃の信望者が歯を食いしばる。
「そうだね、罰は必要だね」
ヤオはそう言って右手を前に出す。
『八百刃の神名の元に、我が使徒に力を我が力与えん、白牙』
右掌に『八』が浮かび、そして白牙が刀に変わる。
その場に居た誰もが、ヤイネの死を覚悟した。
そして白牙が振り下ろされた。
ヤイネが右腕を押さえる。
ヤイネの腕から血が流れるとそこにあった筈の八百刃の文字が消えていた。
「言っとくけどその傷は一生残るよ。それはあちきが来ないと思い、呼び出そうなんて思った事への罰だからね」
驚き顔を上げるヤイネ。
「しかし、私は貴女様の名前を僭称しました。その罪がこんな軽い物で良い訳ありません」
ヤオは大きく溜め息を吐く。
「八百刃はあちきのみをさす言葉じゃ無いんだよ。八百刃とは正しき戦いを守る意思。ヤイネさんにそれがある以上、八百刃の名を名乗ることは間違っていないよ」
その言葉にヤイネは涙を流す。
「ありがとうございます」
そしてヤオはその場を離れた。
『今回は報酬を貰わなくていいのか?』
子猫の姿に戻った白牙が言うとヤオは肩を竦ませて言う。
「難民からお金取れる訳無いでしょうが。それに暫く生活するくらいのお金はあるしね」
ヤオが財布を入れたポケットを叩くが、何も音がしない。
青くなって、荷物をひっくり返すが財布は出てこないのを見て白牙が言う。
『地ならしをしてる最中、かなり揺れていたから落ちたんじゃないか?』
「探しに行かないと!」
そう言って戻るとするヤオに白牙言う。
『地ならしをしたんだぞ、もう大地に埋ってると思うぞ』
八百刃がセイラス草原で長時間に亘って何かを探していたが、それを後世の人間は邪神の企みを探っていたと伝えている。




