第8話 主君に捧げる剣
【ベリアスSide】
魔術で転移させられたという衝撃と混乱の中、ヴァエルと名乗る男の屋敷に通されたベリアス。
彼女はまるで王侯貴族が使うかのように豪華な客室で、久しぶりにまともな寝台で眠った。
翌朝。彼女は厚手のカーテンの隙間から差し込む陽の光で目を覚ました。
(……夢、ではなかったのか)
昨夜の出来事が蘇る。
謎の男ヴァエル。
悪徳貴族ランバートを一瞬で断罪し、自分を縛り付けていた莫大な借金証文を燃やしてくれた。
そして自分より遥かに強い、底知れない実力。
(あの人は一体何者なのだ……?)
ランバートという地獄から救い出されたのは事実だ。
だが、手放しで喜ぶには、彼女は傷つきすぎていた。ランバートもまた、最初は命の恩人だったのだから。
(私はまた別の貴族に買われただけだ。今度は前の主人よりも遥かに金と力を持つ、恐ろしい男に)
ベリアスは唇を噛み締めた。
だが、選択肢はない。
彼女はもうヴァエルの剣となると宣言してしまったのだ。
(今は従うしかない。少なくともあの男は私を剣だと言った。泥水の中よりはマシなはずだ。……そうだ、これは打算だ。生き延びるための契約だ)
彼女が覚悟を決めた時、部屋の扉が控えめにノックされ、昨日も見たメイド服の女アザゼルが「主がお呼びです」と告げた。
◇
俺は偽装したダンジョン感のない一室――ベリアスには「執務室だ」と説明してある――で、彼女を待っていた。
あえてソファにゆったりと腰掛けた俺の前に、清潔な平服と軽装鎧に着替えたベリアスが進み出て、カシャンと音を立てながら膝をつく。
「おはようベリアス。昨夜はよく休めたか?」
「はっ。身に余るおもてなし、感謝いたします。……ヴァエル様。昨夜のお言葉通り、このベリアス、貴方様の剣として、いかなる任務も遂行する所存です」
「ほう」
その声には昨夜の絶望ではなく、新たな主人に仕えるという打算と覚悟がこもっているのが透けて見えた 。
(いいぞ。いきなり心酔されるより、よほど人間らしい)
俺はその悲壮な覚悟をあえて受け流すように、穏やかに言った。
「堅苦しい挨拶はいい。まずは顔を上げてくれ。それより、君に正式な辞令を渡したい」
「辞令、でございますか……?」
「そうだ。ベリアス。君を、今日からこの屋敷の警備隊長に任命する」
「……け、警備隊長……? 昨日きたばかりの、この私を……ですか?」
奴隷や愛人ではなく、隊長という名誉ある地位。
ベリアスの碧い瞳が、信じられないというように俺を見上げる。
「君の剣技を見込んでのことだ。この屋敷の防衛の一切を任せる。……ああ、そうだ。君の部下も紹介しておこう。入ってくれ」
俺がそう命じると、玉座の間の扉が開き、三人の兵士が寸分の狂いもない動きで入室してきた。
全身を隙間なく覆う黒一色のフルプレートメイル。
背には大剣を背負っている。
三人は俺の前に進み出ると、機械のような動作で一斉に膝をついた。
「彼らが君の直属の部下となる者たちだ」
「……!」
ベリアスは元騎士として、その三人の兵士の異様さに瞬時に気づいたようだった。
「……失礼いたします」
ベリアスは立ち上がり、兵士の一人に歩み寄った。
「新しく隊長に着任したベリアスだ。勤務歴でいえば私が後輩だがな。……これからよろしく頼む」
だが兵士は微動だにしない。
兜の奥の闇から返ってくるのは、永遠の沈黙だけだった。
「……ヴァエル様」
ベリアスが困惑とわずかな警戒を滲ませた声で俺を振り返った。
「彼らは……その……」
(さすがにスケルトンに幻影魔法をかけただけじゃ、本職の騎士には違和感があるか……?)
俺は内心で冷や汗をかきつつも、平静を装って説明する。
「ああ。彼らは俺がとある場所から引き抜いてきた、凄腕の傭兵たちだ。……少々無口でね。愛想はないが、筋はいい。腕は俺が保証する」
「無口な、傭兵……」
俺は話を逸らすべく、ベリアスに決定的な一手を打った。
「それと、ベリアス。これは君への契約金だ。受け取ってくれ」
俺がアザゼルに目配せすると、彼女は一つの重そうな革袋をベリアスに差し出した。
中身を改めたベリアスが息を呑む。
中には、彼女がランバートの下で一生働いても手にできないほどの大量の金貨が詰まっていた。
「こ、これは……? 私への……給金、ですか?」
「ああ。警備隊長への前金だ。今後は毎月これと同額を支払う。……それで契約とさせてもらうよ」
「い、いえ! ですがこれほどの……」
(フン、安いもんだ。ダンジョン内に転がってる財宝をアザゼルに換金させただけだ。あんなもの、みすみす冒険者にくれてやって、強化を手助けする趣味は俺にはないんでな)
俺のゲーマー的思考など知る由もないベリアスはその金貨の重みに震えていた。
奴隷などではない。
対価を支払われる、対等な契約。
その事実が彼女の心を強く打ったようだった。
「……アザゼル」
「はっ」
「ベリアス隊長の食事を用意してくれ。ここで一緒に食べよう。……ああ、温かいものを頼む」
「かしこまりました」
すぐに豪勢な食事がワゴンで運ばれてくる。
湯気を立てる肉厚のシチュー、焼きたての白いパン、新鮮な野菜のサラダ。
ランバートの下で与えられていた、残飯のような冷たいスープと黒く硬いパンとは比べ物にもならない。
俺は執務机とは別に用意されたテーブルにつき、彼女の向かい側の椅子に腰を下ろす。
「……さあ立ってくれ。せっかくの食事が冷めてしまう。隊長が床に座ったままでは格好がつかないだろう?」
「……ッ!」
俺に促されると、ベリアスはおずおずと立ち上がり俺の向かいの席につく。
そして、木のスプーンでシチューを一口、口に運んだ。
その瞬間、彼女の張り詰めていた何かが、ぷつりと切れた。
「あ……(温かい。塩と香辛料の味が、染み渡るように美味い)」
碧い瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「……どうしたんだ? 口に合わなかったか?」
「ち、違います……! その……温かい、食事を、したのは……いつ以来か、わからなくて……」
しゃくりあげながら彼女は必死に涙を拭う。
誇りを踏みにじられ人間以下の扱いを受けてきた彼女にとって、この正当な報酬と温かい食事は、失っていた人間としての尊厳そのものだった。
「……そうか」
俺はあえて穏やかな笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「泣くことはないさ。君がこれまでどういう扱いを受けてきたかは知らないが、ここではそれが当然だ。警備隊長への待遇としてはな」
「ヴァエル様……!」
彼女の表情から警戒の色が消え尊崇の視線へと変わっていく様子に、俺は内心の笑みを隠せないでいた。




