初めての友だち
ミルヴァートン家に引き取られてからの日々、チャールズは少しずつ貴族としての暮らしに慣れ始めていた。
だが、その心にはまだ、拭えぬ孤独が残っていた。
そんなある春の日。
ミルヴァートン邸に訪れたラヴェンズワード家の少年、ヒューゴ。
彼もまた、誰にも言えぬ孤独を抱えていた。
退屈なはずの庭で──二人は出会う。
それは、彼らにとって「初めての友だち」が生まれた瞬間だった。
その日、ロンドンの空はいつもより少し明るかった。春の風が穏やかに吹き、ミルヴァートン家の裏庭には、咲き始めた花々の香りが漂っていた。
チャールズは朝、リリアンと一緒に苗木を植え終えたばかりだった。手はまだ土で汚れていたが、彼は小さく微笑んで、その小さな若木を見つめていた。
庭のベンチに座り、本を開く。だがその視線は文字を追っていない。ただ静かに、春の午後の空気に身を預けていた。
その時だった。
遠くから、馬車の車輪の音が聞こえてくる。
使用人たちが慌ただしく動き始める。
「ラヴェンズワード家からのお客様が本日到着されます」と、ティートレイを持つ女中が小声で囁く。
チャールズはちらりと視線を向けただけで、また本に目を戻した。貴族の世界も、大きな名前も、彼にはまだ馴染みのないものだった。
しかし──運命は、またしても静かに歯車を動かし始めていた。
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「まったく、ミルヴァートン家ってのはいつ来ても退屈だよ」と、廊下を歩く少年が呟いた。
栗色の髪、隙のないシャツ、どこか飽きたような表情。 フューゴ・ラヴェンズワード。最上級貴族の子息であり、礼儀と沈黙に囲まれて育った少年。
「フューゴ、言葉に気をつけなさい」と父が窘める。
「だって本当のことだよ、父上。この家には子供がいないんだもん」
しかし──ガラス張りの廊下から庭を見下ろしたその瞬間、フューゴの足が止まった。
目を見開く。 「……あれ、誰?」
裏庭の木陰に、一人の少年が座っていた。 今まで見たことのない顔。
フューゴは窓に顔を近づける。 「……もしかして養子を迎えたの?」
父は一瞥をくれるだけだった。「ミルヴァートン家のことだ。余計な詮索はするな」
しかし、フューゴはもう聞いていなかった。 彼は走り出した。
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足音に気づいて、チャールズはゆっくりと顔を上げた。
整った服に身を包んだ少年が、まっすぐ彼の前に立っていた。
「……君、誰?」と、チャールズは静かに訊いた。
「僕? 僕はフューゴ・ラヴェンズワード」
チャールズは無言で彼を見つめた。
「君の名前は?」
「……チャールズ」
「チャールズ……何?」
チャールズは少し眉をひそめた。 「苗字は、まだない」
フューゴは数秒黙った後、ふっと笑った。 「変なの」
チャールズは顔をそらすが、フューゴは勝手にベンチに腰を下ろした。
「ここ、座っていい?」
「……もう座ってる」
「はは、確かに」
二人の間に、しばしの沈黙が流れる。
フューゴが空を仰ぎながら呟く。 「こういう堅苦しい集まりって、ほんと嫌い。大人はみんな退屈だし。でも君は違う。なんか──」
「……寂しそう?」と、チャールズが先に言った。
フューゴは一瞬沈黙する。
「……僕も」
チャールズはやっとフューゴの方を見た。
そして、二人は微笑み合った。 小さく、控えめに。 だが、それは紛れもなく「本物」だった。
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その日から、フューゴはよくミルヴァートン家を訪れるようになった。 時には家族と共に、時には裏門からこっそり忍び込んで。
一緒に勉強したり、剣術の稽古をしたり、王族の系譜を覚えるのが誰の方が早いかで喧嘩したり。
そんなことはどうでもよかった。
大切なのは、ただ一つ。
二人にとって──生まれて初めて、
「友達」と呼べる存在ができたということだった。