無意味な抗い
死の淵で“未来の自分”を見たチャールズは、エタニティによって復活し、荒野で完全変態したリヴァイアサンと対峙する。
怪物が放つ暴虐の海嵐すら、チャールズの血を操る力の前では無力だった。
全力で抗うリヴァイアサンを見下ろしながら、彼はただ静かに“未来を壊す”決意を固め──
最後に落とした血の巨十字架が、怪物の命も運命も完全に押し潰す。
チャールズは、“死んだ”瞬間に見た景色を抱えたまま、ゆっくりと目を開いた。
彼はひび割れた大地の上に横たわっていた。
爆風の余韻に押し倒された雑草が四方八方へ折れ、夜気はまだリヴァイアサンの残滓で震えている。
そしてチャールズの全身では──砕けた骨は音もなく再結合し、裂けた皮膚は生き物のように蠢いて閉じ、地面に溢れた血さえも主のもとへ這い戻るようにして毛穴へと吸い込まれていった。
それは、“エタニティ”が発動した証。
死の概念すらねじ伏せ、彼を強制的に現世へ引き戻す恐るべき能力だった。
チャールズは上体を起こした。
焦げ跡の残る大地を見つめるその瞳は、何かを失ったように虚ろだった。
──未来で見た“自分”。
その悪夢の残滓が、思考の端でずっと燻っている。
「……あれは……なんだ……?」
「未来の……俺なのか……?」
少し離れた場所に、半ば変容したコナーが立っていた。
顔の半分はすでに人間ではない。青緑の鱗が浮かび、眼孔は縦に裂け、古代の憤怒を宿した爬虫の目になっている。
いや──正確には、それはコナーの肉体を器とする“リヴァイアサン”だった。
傷ひとつないチャールズの身体を見て、太古の怪物は低く唸る。
「……この男……危険すぎる……」
巨大な爪が地面を抉り、砂が跳ねた。
狩人としての本能──理性を越えた直感が、チャールズを“殺すべき脅威”と断じていた。
チャールズが立ち上がる。
白いコートが夜風を孕み、影が長く伸びる。
「……終わらせよう」
視線がゆっくりと地面へ落ちる。
「あんな未来……二度と見たくない」
彼はためらいなく手首へ噛みついた。
赤黒い血が夜気に滲み、空中に一本の黒線を描く。
すると──
その血から無数、いや“数千”の細針が浮かび上がった。
それらはチャールズの背後に翼のように広がり、
“ブゥゥン……”
と金属のような低い振動を響かせる。
空気そのものが、赤に染まり始めた。
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リヴァイアサンも応じる。
コナーの皮膚が破裂し、骨格が変形し、顎が裂ける。
背から飛び出した翼が月光を遮り、血と肉片が地面に叩きつけられる。
鱗は鋼鉄のように硬化し、
筋肉は膨張し、
大地が沈むほどの圧を生み──
完全変態した“巨躯のリヴァイアサン”が月下に姿を現した。
荒野が小さく見えるほどの圧倒的な存在感。
チャールズは微動だにしない。
背後の血針がただ震え、いつでも殺す準備を整えていた。
リヴァイアサンは、一瞬の逡巡もなく突進する。
地面を抉りながら体勢を低く──
巨大な脚で大地を蹴り──
──瞬間、猛獣の咆哮のような速度で跳んだ。
空気が裂け、大地が波打つ。
血針が風圧だけで弾かれる。
そして顎がチャールズの頭を噛み砕こうと迫った、その刹那──
チャールズはただ一本の指を上げた。
血針が流星群のように射出される。
ガァァァァァァン!!!
何百、何千もの針がリヴァイアサンの鱗を貫き、
巨体は衝撃で山肌へ叩きつけられ、岩石が崩落した。
リヴァイアサンの咆哮が夜空を震わせる。
まるで深海から吹き上がる嵐の音。
チャールズはゆっくり歩き出す。
重く。
静かに。
圧倒的な威圧とともに。
歩みのたび、足元へ吸われた血がさざ波のように逆流し、不可解な紋様を描いていく。
夜の温度が、理屈を越えて下がった。
「……あんなもの、二度と御免だ」
人間らしい感情はどこにもない声だった。
赤い針が再び空へ咲く。
闇に浮かぶ“血の花”。
「ここで……砕く」
---
リヴァイアサンは立ち上がり──口を開いた。
灼熱の海圧を孕んだ“黒い水流”が放たれる。
それは山をも断つ。
実際、丘の斜面が真っ二つに裂け、蒸気が噴き上がった。
チャールズは片手を上げる。
血が盾となり、彼の前で展開する。
黒い激流は盾を砕いたが──
彼には触れなかった。
怪物は翼を広げ、激風を生む。
土砂が宙に舞い、視界は濁流のような砂煙に覆われた。
その中を、再び突進。
チャールズは掌を横に払う。
血針が螺旋を描き、巨大な渦となってリヴァイアサンへ襲いかかる。
怪物の身体が弾き飛び、鱗が砕け、青緑の血が噴き出す。
しかしそれでも止まらない。
嫉妬の大罪を宿すリヴァイアサンは、全エネルギーを吐き出すように叫ぶ。
アクア・メイルストロム。
黒い水の竜巻が戦場を覆った。
空気が裂け、月光が歪み、大地が削られていく。
チャールズは嵐の中心に立っていた。
コートが激しくはためき、
黒髪が逆巻き、
それでも一歩も動かない。
「……無駄だ」
血が荒野から浮き上がり、
竜巻の渦を絡め取って圧縮し──
粉砕した。
リヴァイアサンの呼吸が荒くなる。
身体はもはや満身創痍。
鱗は剥がれ、血が滴り、視線は揺れている。
それでも向かってくる。
チャールズは目を細めた。
「……もういい」
彼が両手を上げる。
戦場に散ったすべての血が──
まるで地面から召喚された霧のように舞い上がる。
赤い霧は凝縮し、
巨大な構造物へと変化していく。
リヴァイアサンは本能的にそれを察し、
顔を上げた。
そして──見た。
月を覆い隠し、赤い光を放つ影。
それは──
血の巨十字架。
無数の亀裂が赤黒く光り、
聖なる象徴が呪われた墓標へと変貌したような、不吉の塊。
チャールズは静かに目を開いた。
「……さよならだ、コナー」
十字架が落ちる。
ドォォォォォォンッッ!!!
山が砕け、
大地が裂け、
戦艦を転覆させるほどの衝撃波が荒野を薙ぎ払う。
リヴァイアサンの身体は押し潰され、
粉砕され、
跡形もなく消えた。
舞い上がった砂埃が月を覆い、夜がさらに深くなる。
そして──
沈黙。
巨大なクレーターの中心に、
赤に染まった白コートの男がひとり立っていた。
風が吹き抜ける。
土と鉄の匂いを運びながら。
チャールズの赤い瞳は、ゆっくりと元の黒へ戻った。
彼は目を閉じる。
まるで、自分を縛ろうとした“未来”そのものを殺したかのように。




