ベオグラード最後の夜
怒りは街を滅ぼした。
だが瓦礫の中から、最後の遺産が生まれる。
イェレナの死はベオグラードを揺るがした。
ただの訃報ではない――人々の胸を腐らせる傷となった。
彼女は夫の手によって命を奪われた。
それは「死」という言葉すら汚す、屈辱そのものだった。
「神よ……イェレナ……」
女は両手で顔を覆い、嗚咽に声を震わせる。
「彼女は善良な人だったのに……どうして夫は……どうして……」
だが民の嘆きなど、ヴェルザレスの胸に渦巻く嵐には到底及ばない。
彼らにとってイェレナはただの光だった。
しかしヴェルザレスにとって――イェレナはすべてだった。
胸に残ったのは悲しみではない。
それは燃え盛る炎。
血肉を喰らう純粋な憤怒。
ラース。
その名はただの呼び名ではなく――彼自身の存在そのもの。
「畜生……」
ヴェルザレスの声は震え、歯はガチガチと鳴る。
「お前たちを楽に死なせはしない……一人残らず、この手で――」
その夜、彼は山を下りた。
重い歩みのたびに大地に火が灯る。
奪われた短剣を取り戻すため。
そしてベオグラードを滅ぼすため。
――イェレナなき都市に、何の価値があるというのか。
空は血のように赤く染まり、
空気は薄れ、人々の肺を鋭く裂く。
ヴェルザレスの足跡は小さな爆発を生み、石畳をえぐった。
彼は都市の牢獄に辿り着いた。
そこにはイェレナの夫が、怯えながらうずくまっている。
指をひと鳴らし。
――轟音。
建物全体が爆ぜ、囚人の断末魔と共に瓦礫と炎に呑まれる。
ベオグラードの民は悲鳴を上げ、逃げ惑う。
だがヴェルザレスの瞳は冷たい。
そこに慈悲は一片もない。
赦しなど存在しない。
彼はすべてを破壊した。
足に絡みつく老人も、子を抱いて庇う母も、泣き叫ぶ赤子すらも。
怒りは都市を蹂躙し、
その夜――ベオグラードは滅んだ。
炎が鎮まり始めると、残ったのは沈黙だけだった。
だがヴェルザレスの胸は空虚のまま。
短剣は――未だ見つからない。
よろめく足取りで、彼はイェレナの家へ向かった。
それは既に彼自身の手によって瓦礫と化していた。
瓦礫に手を伸ばし――そこにあったのは。
彼の短剣。
そして……泣き叫ぶ赤子。
ヴェルザレスは凍り付いた。
「なぜ……ここに赤子が……?
なぜ……こいつだけは死ななかった……?」
その声は怒号ではなく、心臓を裂かれる囁きだった。
荒廃の中で、生きているのはその泣き声だけ。
彼は赤子を抱き上げた。
震えるその手は、疲労によるものではない。
理解を超えた感情に突き動かされていた。
赤子はイェレナが遺した最後の命。
そしてその夜、世界を滅ぼした〈憤怒〉は――
たったひとつの命を救った。




