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驕りの魔、夜を支配す

漆黒の夜、〈踊る女〉との決戦が始まる。

愛する者を傷つけられた怒りに、ヴェスペラの鎌は容赦なく死を刻む――。

ロンドン港の近く――

夜の闇に溶けるように、黒衣の女が歩みを進めていた。


ヴェスペラ。


その視線の先には、いつものように踊り続ける影があった。

――《ダンシング・レディ》。


ためらいは一切なかった。

彼女は背後に舞い降りると、女の髪をつかみ、そのまま天へと放り投げた。


次の瞬間、ヴェスペラの足が唸りをあげ、標的を蹴り飛ばす。

二つの影は黒い矢となって森の奥へ墜落した。


――轟音。


ロンドン郊外の森は揺れ、大地は裂け、木々は無残に折れ伏した。


深い闇。

低く漂う霧は、まるで獲物を待つ悪鬼の吐息のようだった。


ヴェスペラの足取りはゆるやかだった。

黒衣が風を裂くたびに、目に見えぬ重圧が辺りを押し潰す。


悪魔の気配が、滲み出ていた。


――その夜、街では異変が走った。

赤子は理由もなく泣き叫び、馬は厩舎を蹴破ろうと暴れ、犬たちは一斉に吠え立てる。

人々は胸を押さえ、得体の知れぬ恐怖に目を見開いた。


「……チャールズ を傷つけた者は……」


低く震える声が夜気を切り裂く。

その手には黒い大鎌。

月光を浴びて、鈍く冷たい輝きを放つ。


そして――霧の向こうから現れたのは、赤いドレスの女。

糸に操られる人形のように不自然に揺れ、虚ろな瞳と死んだ微笑を顔に貼り付けていた。


「――〈踊る女〉。」


ひと回りするたびに、ドレスの裾から鋭い刃がこぼれ落ちる。

銀の閃光が月の下で散り、次の瞬間、彼女は影のごとく突進した。


ヴェスペラの鎌が唸りを上げる。

一閃。大地は割れ、木々が真っ二つに裂けた。


だが〈踊る女〉は軋む人形のように体をねじ曲げ、寸前でかわす。

刃は木の幹に突き刺さり、甲高い響きを夜に刻んだ。


ヴェスペラの目が細められる。

空気はさらに重く――濃く。


【――砕けろ。】


鎌が円を描き、周囲の霧を吹き飛ばす。

轟音とともに木々は根こそぎ倒れ、女の体は空に弾き飛ばされ、無様に地へ叩きつけられた。


骨のように折れ曲がった肢体。

それでも、彼女は立ち上がる。


無言で。

無痛で。

壊れた死の舞踏を、なお続けながら。


ヴェスペラの歯が軋んだ。

彼女が片腕を掲げた瞬間、漆黒の瘴気が爆ぜる。


森を越え、恐怖が世界を包み込む。

鳥は巣を飛び出し、狼は遠吠えを上げ、ロンドンの民は同時に目を覚ました。

胸を締め付ける得体の知れぬ悪寒に。


「――赦さない。」


叫びと共に、ヴェスペラは夜を裂いた。

黒き大鎌が月光を掠め、悪魔と死者の舞踏が幕を開ける。


赤い女はぎこちない舞を踏み、刃を振るう。

しかし、ヴェスペラの瘴気に触れた瞬間、その体は震え、関節が悲鳴を上げた。


「……チャールズ を傷つけた……その罪。」


声が響いた。

人の声ではない。

深淵が重なり合ったような、低く凍える響き。


黒い鎌が月を映し――


CRACK!


ひと振り。

女の腕が砕け、刃は宙を舞い、体は泥に叩きつけられた。


ヴェスペラは歩む。

一歩ごとに大地がひび割れ、雷鳴のように森が震える。

鎌を振り抜けば、空気は爆ぜ、枝葉は次々に散った。


赤い女の体は裂かれ、砕かれ、それでも立ち上がる。

壊れた操り人形のように。


――だが、容赦はなかった。


ヴェスペラの怒りは止まらず、鎌は幾度も夜を薙ぎ払う。

最後に放たれたのは、天を割るような一撃。


大地を貫き、

――女の体を真っ二つにした。


粉々に砕け、影も声も残さず消え去る。


なおも黒い瘴気は森を覆い、空気を震わせる。

ヴェスペラはただ一人、荒れ果てた森の中心に立っていた。


その瞳は冷たく光を宿し、呟いた。


「……チャールズ に触れた報いだ。」


背を向けた時、ロンドンの人々はまだ震えていた。

恐怖の元はすでに消え去ったというのに。


夜はなお、彼女の影に支配されていた。

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